自分から、始める

今日はサクッとね、昨日のつづきで、

ものの見方、捉え方、どっちを選ぶ? 

何をどう捉えて選ぶ? の話。

しかも再び、シェア中心です、ごめん。

 

何かを選択するときに「それは自分にとって敵か味方か」

という発想をするのではなく、

つまり「それが正しいかどうか」の基準、で見るのではなく

『これ、どう「あったら」自分が心地よく(無理なく)感じられる?」

という基準から、選び始めてみる。

 

そのレッスンは、とくに初めのほうって、

慣れないから難しい部分もあるのだけれど。

だんだんコツをつかんでいくとね、こういうふうにもなれるんだよ。

2013年、きっとコツをつかんだ実感を感じられていたであろう、

心屋さんのお言葉。Facebookから。

   ↓

 

この話って、昨日シェアした

「自分に還ってくる」ということとも同じ部分、あるよね。

人のイヤな部分を突いてあざ笑う人は、

人間関係で「自身で本当はイヤだと思っている自己のある部分を、

他者から突かれ、笑われる」という感じのことが還ってくる

(そしてそれは、いや、しかもそれは! あなたが還す必要すらない。

本人にとって、もっとも痛烈な形でどこかから還されるから、だいじょうぶ)。

 

上から目線でモノを言えば、

いずれは自分も、他の人から「上から目線&モノ言い」攻撃、

されてしまうという仕組み。

そういうふうに、自分にとって学びとなるよう、仕組まれるのだ。

 

そして、はい。

『自分』の、ものの見方が変わると

世の中の「発想」まで変わる、その顕著な実例。

みつろうさんの記事。

『世界より先に変わるもの』
http://amba.to/2af9syo

 

ね。

私自身、こうやって「何を自由に選んでもいいんだな」って部分に

注目を始めると、ちゃんとね、

ステキな方々が「こういうふうに、いつもと違って見てみる、

そっちのほうを選んだら、こうなれたよ!!」ということを、

「もっとステキにわかりやすく書いてくれている例」に出会えるわけなの。

 

心屋さんの過去Facebook記事なんて、日付のお蔭で

心屋さん自身がFacebookに流してくれてたんだよ。

 

しかもこれらの話って、きっといろいろな解釈ができるんだけれど、

私の「自由、だったら何をどう選ぶ?」のテーマに『も』、

今回、ちゃんと合ってるでしょう?

 

ものの見方を変えると、自分の世界が変わるって、こういうこと。

 

だからこそ!

自分から勇気を出して始めたら、

本当にそれ、始まるんだよ、わかるかな?

 

このことが、必要な方に伝わることを祈ります。

 

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Photo by cocoparisienne (Adapted)
Pixabay

 

追伸:何をどう捉えるかの例、3つシェア

ひとつ前の記事の、ステキな実例になりそうなものを、3つも発見。

別に「間違ってる」とまでは、

言い切らなくてもよいのかも、と思うけれど。

 

とはいえ確かに、自分の感覚に「NO」を言い続けると

『自分の苦しさ』から逃れたい人には遠回りになりやすく、

しかもその間じゅう、やっぱり自分は何やかや、

周囲に引っ張り回されて、苦しいままなのは確かだろうな、と。

 

では記事紹介、いきます。すべて短縮リンクを張りますね。

ガツン! という感じのものもあるよ。

 

1つめ。

さすが生きる実例、わかりやすいっす、Happyちゃん♪

後半部分の記事なので、気になった方は

1つ前の、「前半」と併せてお読みくだされ。

◎Happy さん
『間違った思い込み(後半)』
http://amba.to/29O3a7Y

 

2つめ。

これはね、もう、出来事をどう捉えるか、の直球の例です。

直球というより、金づち級、かな。

自分なりに「どう感じるか」を、ていねいに味わってみてください。

◎はしぐちのりこ さん
『■子どもに死なれた親は何を信じていた? それよりももっと大事なこと。』
http://amba.to/2ajfkpX

 

そして3つめ。

自分に還ってくる、の部分が、こんなふうにも説明されていました。

なぜ書いたあとに、すぐこうやって、

よい説明に出会えるのかなあ。本当にありがたい限り……。

還り方にもさまざまあって、

形を変えることもあれば、そのままズバリ、還ってくることも。

でも蒔いた種は結局、収穫するのです、自分で。

◎和久田ミカさん
『悪口を言われたときには、ただ静かにお返しするのです』
http://amba.to/29AOhAJ

 

素晴らしい実例を教えてくださる皆様に、感謝m(_ _)m☆

 

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その人のためだけに用意された さまざまな道
どこをどのように通っても 学びとなる道がたくさん あなたを待っているよ

Photo by Studio Dekorasyon
Unsplash

 

どっちを、どこを通っても……

イヤ、違う! 間違ってる! ダメ! NOって言いたい、けど怖い! 

わかってもらえない、どうせ。 だって! そんな! 

なぜなのよ!? 許さない! オマエは敵だ! 

腹が立つ! 悲しい! 悔しい! どうして!!

いったい私が、何だって言うのよ!

 

という道を通っていっても

いつかあるとき ガツンと 目を覚まさせられるし

(そう 私もまんまと この学び方で 気づきを得始めた(^^;))

 

私はこれが好き! これをしていると楽しい! 

こっちのほうがうれしいな。 うん! YES, YES!

これ、心地いいなあ。好きだな。ホッとするなあ。落ち着くなあ。

ああ、これ、選べてよかった。 

こんな小さいことでも幸せになれるって私、お得な性格?

え? あなたはこれとは違うほうを選ぶの? そっかー。残念かも。

でも自由だもんね! 自分がよいほう、好きなほうを選んでいいわけだし!

えっ、あなたは一緒? 本当? やったー! それは良かった! 

うん、私もうれしい!! ありがとう!!

 

っていう道を通っていても やはりそのときどきに 気づきは訪れる

 

もうね どっちの道を 通っても

自分に必要なことは 学んでいけるように 

なぜかしら 仕組まれていてさ

 

本当 何を選んでも必要なことを学べるって

よくできてるなあ この采配 この仕組み

って 最近少しずつ 感じているのだけれど

 

どっちでもいい いいんだよ いいからこそ!

どれを選んでもいいなら あなたは

どのルートをたどって

自分の学びを得ていきますか?

ってことなんだと思う

 

で そういうようなことを 

ときにはちゃんと「私が選ぶほう」の話も交えながら

私はここで 勝手に話し続けているのかもしれない と自分で思う

 

あなたがそれを受け取らなければ 

相手に(私にも)それが還るだけの話だし

(憎しみも 愛も 悲しさも喜びも ね)

あなたが出したモノを 相手が受け取らなければ

やはりそれはあなたに 還ってくるようにできている

 

だったら あなたは 何を選んでいきますか?

 

私たちは そういう旅を この世で味わいに 来たのかもしれないね

 

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Photo by Kevin Young
Unsplash