昨日 書いた文章のなかで(久々に自己リンク張ってみよう)
『自分にもダメな「面がある」と 冷静に見ること』
という表現 使ってみたけれど
↓
◎自己否定は必ず 比較と関係しているよ
http://miharu.feeling.jp/?p=3907
そもそも その「ダメ」って あなたの主観で
しかもあなたの そういう種類の主観って
「絶対」とか 「そうじゃないといけない」ものではないことも 多いと思えるよ
それは
あなたが 勝手にそう思うことに「決めている」
だけの話
だからそれが苦しいなら
決めているのは自分なのだから やめれば? っていうことなの
たとえば ケンカしたときに 相手から
苦し紛れに言われた「悪口」があったとして
その相手は 苦しいがゆえに
黙らせようとして あなたに八つ当たりの 罵倒言葉を吐く
そういう手法 やり方を使うのは 「相手側の問題」ゆえなのだけれど
それをいちいち 「事実」とか「やっぱり」とか「私のせい」とかいうふうに
受け止めて信じてしまうのは「あなたのほうの問題」
そこで信じてしまうのは
「すでに自分が 薄々にでも そう思い込んでいた」からで
そう思っていなければ
「は? 何それ」
な 謎の話になるわけです
わかる?
あなたがすでに先に 自分に悪口 吐いてたのよ
相手が言い出す前にね
自分は日ごろから 自分を罵倒しまくっておいて
他者がそれに『乗じて』同じことをやってきたら
とたんに
「傷つけられた! ひどい!」
とかいう被害者モードになって しかも恨みが晴れなかったり
そういう人は ほぼ間違いなく
あなたがそれを 先に自分に言っていて
すでに自分を 傷つけていたのよ
痛いところを突かれたから怒るの
被害者気分になるのは
自分の「どうしようもない」感情を投影して
相手のせいにしている部分 思い切りあるのよ ってこと
だから 自己罵倒を「なぜ自分が選択するのか」を知って
それを手放すことで
そんな傷つき方も する必要なくなるんだってば
大切なのは
「他人からそんなことを言われなくなるようにする」
ことじゃないの
なぜ自分がそれを信じて
今まで自分に投げつけ続けているのかってこと
そもそも自分に 他者との違いがあったとして
それがなぜ「悪」だと 決めつけてるの?
たとえば よ 鼻が低いのは 悪
高すぎるのも 悪
へえ それが「悪」だから それが「原因」だから
悪いこと起こってるんだ
鼻が低いから あなたは言葉で殴られたりしたわけだ
違うよ 他者との違いを悪く捉え
そうなるに決まってると あなたが信じてきたから
その出来事が起こったら必ず あなたがそう解釈するだけだよ
相手の八つ当たりを「ほらまた『悪』だっていう証拠が出てきた」って
お菓子のオマケ集めみたいに せっせと溜め込んで
「立派な事実なのよっ!」って ずっと自分に差し出してるだけ
鼻が低くても あなたが言うところの「幸せな人」なんてゴマンといるのに
そこは一切 スルーですよ
だって「思い込みたい事実に」反するからね 都合が悪いものね
あなた自身の悪は あなたの言うところの 自分のダメは
ただの「ひとつのものの見方」であって
悪でもダメでもない
ってことに 気づいていってくださいますように
最後に 心屋さんが ある種の究極の
「ところてん押し出し型」チャレンジの
記事を書いてくださっていたので 紹介してみるね
ここで言うバットは
比喩に解釈してもいいし 実際に「持ってみる」のもいいと思える
(相手を ころ す ことまでは 正当化してません
それは激情型の「意見の押しつけ」で 相手とまったく同じやり方だから)
要するにそれくらい覚悟して 本気で 自分の感覚に向き合ってみろや
ということを 他者のためにわざわざ
こういうふうに表現できる「心屋さん自身の覚悟」には
本当にいつも 頭が下がります……
◎心屋仁之助 さん
『★虐待する親が神って??』
http://amba.to/29EEdah
赤じゃないといけないのに と 決めつけ 言い張るのではなく
私は赤が好きで大事 それが私の「好み」なのよ と
ただ それで いいのにな
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