私は、今はもう、死にたいと思っていません。
まずこのことをご承知ください。
私が死にたいと強く願っていたのは2004年の10~12月、
36歳のときでした。
社会人となって以降、20代は、とにかく仕事を面白く感じ、
できることもだんだん増えて、充実していました。
恋愛も、こんなに惚れてもいいのかしら? と思うような恋をしたり、
結果的に籍は入れなかったものの、式までは挙げ、
お互いの親が認めてくれた相手がいたこともありました。
そんな私の人生が変わり始めたのは、30代に入った頃。
まず、当時おつきあいしていた人が、死ぬかもしれない大病を患いました。
彼とはいろいろなことがあり、結局は支えようとして支えきれず、別れました。
その痛手を、私は仕事で癒そうとしたのです。
自分の足でしっかり生きていくんだ、と、当時は思っていましたが、
何のことはない、つらさを紛らわすために
ワーカホリックへと走っていました。
そのまま、仕事のしすぎで、生まれて初めて鬱病を発症。
2004年10月のことでした。
自分を思いきり自己否定し、死にたいと思いました。
そのとき、私の死にたい気持ちをとどめてくれたのは、
12月に、友人が事故で急逝したことでした。
長い間、思い出を共有してきた仲間が急にいなくなる。
葬儀に出て、その悲しさは本当に文字通り肌身に沁みました。
さらには一緒に深く悲しむ仲間たちを見て、
ああ、少なくとも今は死んじゃいけないな、
彼女たちをさらに傷つけてしまう、と思ったのです。
そうして、とりあえずなんとか、時短で仕事場に復帰した半年後。
ちょうど同じ頃に鬱病にかかった知人が、再発病、入院の末、
自死を選んだことを知りました。
そこから2年後にはさらに、知人の自死で悩んだことがきっかけで、
鬱をわずらった別の知人も、自死を選びました。
それぞれのときの周囲の動揺、悲しみ、混乱状況、そして自分の胸の痛み。
どうして私は、次々とこんな経験をするのだろう。
どうして私は死なず、知人たちは死ぬことを選んだのだろう。
そんな思いがずっと心に残りました。
私の自死そのものは、そうした経緯から「できなく」なりました。
残された者の悲しみが、自分自身の胸にこれほど突き刺さっているのに、
「次に私が死ぬ」という選択は、もうできませんでした。
たぶん、こんな形で死を思いとどまったからでしょう。
「生」を選び、未だ100%ではないかもしれないものの、徐々に立ち直ってきた私が、
本なども読みつつ、これまで考えてきた「生と死」のこと。
それを、綴ってみたいと思いました。
今、まさに、あの苦しい苦しい二択にとらわれている人のお気持ちが、
少しでも変わるきっかけになれば幸いです。