まず、他の方の記事から気づいた話。
自分を責めていると、
それに関する夢、見やすいよねー。
私も過去、どれだけ母親に夢で文句を言っていたかわからない(笑)
寝言でもよくケンカして、文句言ってたらしいから、
相当だったと思うわ(´▽`)ノ
で、自分責めをやめたら、母親責めもなくなって、
その手の夢もほぼ、見なくなった。
結局、
言いたかったのに言えなかった
そこを自分が、
そういう自分だったなー、テへッ(ゝω・)
って思えるかどうかで、
ジワジワ違っていくんだと思う。
相手に言いたかったのに、言えなかった、ということ。
それって別に『失敗』でも『悪』でもないんだもの。
そもそもそれ、もう過去の話だし。
記憶だから、変に自己都合で増強された思い出になってるし。
たとえば母に対する、私の『その時の受け止め方』も、
どうせメチャクチャ偏ってたし(笑)
それを責め立てたところで、何も始まらないのだ。
自分の気持ちが悪化するだけ。
悪化させて苦しみたいなら、責めればいいけれど、
そんなマゾなことしても、特には改善しないよ(^^;)、
たぶん繰り返していくだけ。
だからただ、そういうこともあった、
そういう自分だったなー、というだけの話として、
こだわらなくなったほうが、自分がラクなのだ。
あと、こだわりということで言えば、
心屋さんが今日書いてくれていた、
食べたら太る(もしくは太れる)
という思い込みについての説明も、
一部、すごく腑に落ちたのよね。
◎心屋仁之助さん
『★自分で自分を太らせていた、ダイエットの魔法の言葉』
http://amba.to/29U779q
痩せたいなら食っちゃいけない、
太りたいなら食わなくてはいけない、
どちらも結局は「食べるという行為」に対する
偏ったこだわり、つまり執着なのだと。
自分にとって心地よいものを、
心地よい食べ方『だけ』していれば、
体重は確かに、無理やりコントロールしなくても、
いい感じの範囲内で操れる。
量を食べすぎてるな、と感じながら食べたときって
自分にとって結局は『心地よくない』ことしてるのよ。
だって自分を責めてるもの、『すぎてる』って表現が、すでに。
3食きちんと食べないと身体を壊す、というのも思い込み。
空腹は、ものを少し食べる、しかもゆっくり食べることで
そのときいったん、確かに消えていく。
たとえば煮物を、ゆっくり噛んで食べる、
本気で丁寧に味わってみる。
私の口に入ってくれて、エネルギーに変わってくれてありがとうねー、
って思いながら、噛みしめて食べていったら、
ご飯(お米)を食べなくても、それで空腹消えることあるもの。
で、「空腹が消えた以降」の食事って、
自分の何がしかの欲や、思い込み、恐怖心などが、
そこにくっつき始めるんだと思える。
だったらもう、
『今、私は、幸せ的なことに飢えてるんだ』
ってことを、そのとき「自分に認めてあげる感じ」になってみたら?
たまたま今、私は『食でそれを埋めようとしてる』な、と。
もし、痩せたいのなら、幸せ感、他のことで感じようよ。
食品を使うのは、もうそこで終わりにして、
あとは食べるという行為『以外』のことに意識を向けていく。
しかも『時間が経つのをつい忘れるわ』的なことに
意識を向けて集中してみるのがいいな、と。
私の場合、たとえばそれは読書だったりするわけだけれど。
食べない自分、食べる自分、どちらにも
あんまりこだわらないことが、
結局は体重をコントロールすることに、
より素直につながるように感じている。
ぶっちゃけ私なんて、昔は心の奥のほうに
「母親に責められない、あるいは誉められる食事の仕方」
なんていうものが、ガッツリ潜んでいたのよね(笑)
たまには、ある日の食事1回分を
『春菊に、おいしい味噌をつけて食べる』
だけで終わらせても別にいい!
と、気づかせてもらったときは衝撃だった(笑)
「そんなの、許されないと思ってた!」と自分が言葉にしたとき、
初めて『え? 許されない? 許されないって表現、使ってるけど?
いったい誰に許されないというんだ?
自分?……違う、母に、だ!』
となって、
なんか『うぉぉ』って、感慨深いものを捉えたのよね……。
たぶん、まだ他にも、私も、
こういう『そうでなくてもいいのに、そうでなければいけないと
まったく疑問なしで信じこんでいる』部分、
たくさんあるのだろうと思う。食べるという行為に限らずね。
だから、何かに執着している、
こだわっている自分を見つけたときって、
『何かの代償としての穴埋め』を、自分から思い込みつきでやってるな、
と、あえて解釈することにして、
その行為から自分を「離してあげていい」という
許可を出す練習、してみればよいのだ。
今は私はそう思えていて、それを各種、実験中。
日常生活、公私ともども、ありとあらゆる場面でね。
そしてたいていの場合、そういうこだわり外し、
みたいな感覚に、自分がなれることを試してみたら、
別に大きなことでもないのに「なんか自分がラク、自由」
な感覚を持てて、その都度、気持ちがゆるやかになれている。
ということで。
別にそうでなくてもいんだ、
と、いろいろな場面で自分に許可を出す練習、
なにげにお勧めです。
たとえば、いつもなら腹を立てているパターンの状況に、
もしかしたら、これで腹を立てなくても、別にいいんだなあ、って
「ゆっくり思って、その気持ちを感じてみる」とか。
ぜひ試してみてくださいませ。
なんか、謎なこと言ってるかな……?
意味不明だったら、ゴメンね(^^;)
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