木元見春 のすべての投稿

追伸 ~一流に 立派になりたいなら~

一流 立派 何をかを 成し遂げること

自分をむやみに責めるやり方にはまっていては そうなれません

一流の人は 自分がミスを犯しうることを ちゃんと許容している

自分が 完璧ではありえないことを しっかりと 認められている

周囲がすぐ認めてくれないことが ありうることも きちんとゆるせている

ただ 自分を責めず 素直に改善点だけを 探し

よし と 次を目指し

亀の歩みであっても 到達を あきらめないこと

能力だけではなく その地道な積み重ねがあって

失敗も含む繰り返し練習があって やっと

その蓄積そのものが あなたを

立派だと 一流だと「周囲が勝手に判断してくれる」ところへ導きます

あなたが 自分を立派だと 思い込めるところへ 到達するわけではありません

あくまで 周囲の受け止め方が 変わるのです

あなたがやるのは 自分がそうなりたい方向へ練習すること

ただひたすらの 練習の 地道な地道な積み重ね

本当にただ それだけで いいのです

そしてまた 自分を追い込むタイプの人は だからこそ

自分をゆるし認めてあげることで 到達も できやすくなっていくのです

……客観的に わかっていても

実行が 難しい

それはもちろん私も 知っていますが

一流を 愛したいなら 何か成し遂げたいなら

それを目指していく過程 そのものが

必ずあなたのなんらかの糧に なっていきます

だからこそ 今から再び

結果でなく 過程そのものを味わう旅へ 出かけましょう

これは ありがたいことにこれまで

さまざまな「一流」クラスの方から

お話をお伺いする機会などがあったり

国宝レベルの方のことを知る書籍などに めぐり合うご縁があった

これまでの私が そこから教えていただけたこと

そうした機会とご縁に恵まれたことにも

あらためて 感謝している次第ですm(_ _)m

追い詰めるのが向いていない人

自分を叱咤して「これではまだまだ ダメ」と感じて

たとえばテストで90点取れても 落ち込んできたタイプの人は

自分を追い込みすぎて 鬱にも至ったりする

ねえ その 自分の足りなさを否定して がんばろうとするやり方が

病にまで通じてしまう あるいはそれに近いのなら

あきらかにそれ やりすぎ なんだよ?

あなたの場合は その捉え方 もはや 向いていない

うまくいかなかったことにだけ もはや 執着しているとも言える

ごめんね 苦しんでいるのに こんな書き方して

でも 叱咤 つまり自分を追い込めば 追い詰めてがんばれば

なんとかなるというのって 真実 ではないのさ

何をどうがんばろうと 努力しようと ダメなときはダメで

それは あなたのがんばりとは

まったく関係ない理由で そうなったりもする

人間関係でいえば

相手の問題であることを あなたが解決しようとしても

相手が気づかない限り 届かないことは 普通にありえる話で

がんばったのに と 思うあなたの気持ちは

「成果を出せなかった」ことに対する 後悔ってことになる

問題の本質からは もはや 離れたうえに

自分だけが勝手に決めつけ 自分を責めている

結局ひどいことしたんだわ 私ではダメだったのに

私には 足りなかったんだわ 能力や才能や その他のものが

いや そうじゃないよ

相手の問題を 自分ががんばればなんとかできる という思い込みが

そもそも ずれているんじゃない?

あなたは神様になりたいの? って話になるのよ

すべてをうまくいかせることなんて 誰にもできないのに

人間関係であろうが 公的な立場を保つ(仕事とかね)ことであろうが

自分がターゲットとして定めたものに関しては

「うまくいかなければいけない」なんて決めつけたら

うまくいくまで 自分のことを 否定と非難しか できなくなるよ?

それに人間関係の場合でいえば  

「うまくいくほう または悪くなるほうを 選ぶ権利」は

相手側にもあってさ

自分でなんとかしようと あまりに思い定めると

ある意味 相手側の権利を 無視してかかるわけだから

結局は その人の気持ちそのものを 無視してるとさえ言える

で できなければまた「自分が悪い」思考に はまるでしょう?

失敗した 格好悪い 恥ずかしい それがどうしたの?

取り戻すことが出来るのよ そんな評価なんて 

今からほかのもので 十分に

ほかのものではイヤだというなら それは執着しすぎってことだし

常に常に完璧で あろうとするから なろうとするからこそ

逆に おかしくなる

だからさ そういうタイプの人の場合

そもそも「できない自分」がいることを

否定すること自体 向いてないのさ

何か起こると すぐ 他人だけを非難して

自分側の問題点は 一切 省みようとせず

こっちは悪くないのにと

あらゆる理由を並べ立てる人にこそ その方法を試してほしいわけで

できない自分を 叱り 否定する形で やり直し続ければ 

いつか「ちゃんと」がんばれて なんとかなる という

その思い込みは 少なくとも あなたには 向いていない

もはや 自分を否定するからこそ

さまざまなことが うまくいかなくなってる

直すとしたら そこだよ

できなかったことに集中する視点より

自分ができたことを 見つめる目を養う練習のほうだよ

自分を否定して 非難しても

もはやあなたは 反省 には つなげづらくなってて

非難と自己卑下と後悔しか できなくなってるから

反省して うん よし って気持ちを切り替えて

その後は「気にしなくなれる」くらいのところまで

もう一度 自分を 取り戻さなきゃ

ひどい例になるけれど たとえば故意に 人を ころして 

他者の人生を 自分側の理由や都合で

勝手に 永遠に奪ってしまったのなら

そこまで取り戻すのは ものすごく 難しい話になるよ

でも あなたは そんなにまで ひどいことしてないでしょう?

だから じゅうぶん 「いていい存在」なのです

自分のあやまちを 自分でゆるして 

気にしてクヨクヨするのは 短い時間でおしまいにして

自分のステキな部分を 楽しんでいいのです 新たに もう一度

それだけの価値は あなたに じゅうぶん 備わっていて

あなたが そこから 目を背けているだけなのです

人生 うまくいかないことがあっても

別に かまわないし だいじょうぶだし

ある意味 当然の話

あなただけが 神様みたいに 完璧にならなくてもいい

そんなのぜんぜん 問題では ない

あなたが うまくいかない自分を 否定し さげすみ 嫌うこと

それだけが もはや今 唯一最大の 問題点なのです

だから その枠から はやく抜け出してね

失敗した あなたでも

じゅうぶん 今のそのままで すばらしいからね 本当は

はやく そのことに 気づいてあげてね

あなたには それだけの価値が 今も確実に あるからね

本当にそう思って だいじょうぶだからね

そこだけは 私 保証できる

だって本当に 本当のことだもの 

あなたは 今もじゅうぶん

これからも いつも 価値あるすばらしい人 です

ひとりの人、としての気持ち……「ひと休み」更新

マザー・テレサの言葉をTwitterでたくさん紹介したら、

人と人の関係、という点で、今の問題点を

語りたくなってしまった……。

ってことで「ひと休み」ブログ、更新です。

●『見春屋』木元の ひと休み

「人間対人間 として」

http://miharu.pleasure.jp/?p=168