カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

選ばれなければ 認められなければ いけないって?

ものすごくゆっくりとね 何度も繰り返しながら

今日は書いてみるよ

どの順番 どのタイミングで あなたに届くのか わからないからさ 許してね

 

誰かに 選んでもらえたら

誰かに 認めてもらえたら

私は 自信が持てるの

 

どうしてそこまで 

ひたすら何かを待つ必要があるのかな

それ 何の オーディションなのだろう

素晴らしい人間コンテスト とか?

 

つまりはイコール 誰かに認めてもらえるまで

私は 素晴らしくないの ってこと? 

なぜ自分の価値を最初から低く設定して

そんなにまで他人に

評価を委ねないと いけないのだろう?

 

選ばれるってことはね

その代わりに 他の人を蹴落としていいってことだよ

誰かに対して 優劣をつけるってことだよ

それ 何の戦いなんだろうね

何のための 戦いなんだろう

この世はすべて 戦い 争いでできていて

常に優劣だけで 成り立っているのかな

 

誰がそんなことを あなたに教えたのだろう

 

人間は選ばれるために 努力するのかな

自分が気に入った他者から 

優劣をつけてもらうために 努力するのかな

誰かを蹴落として 自分が優位に立つ

その発想 その視野自体を

丸々全部 やめるって方法もあるのだけれど

そっちをやめたら 人間失格なのかな?

 

誰がそんな競争を あなたに信じ込ませたのだろう

 

他者と 優劣を 競わねばならない

他人は 蹴落とすべき存在である

そして自分が認めた範囲の ステキな人

雲の上の誰かに 認めてもらって 選んでもらうの?

その雲という存在こそ 偽りだよ

雲の上の人たちって すでに勝った人?

人生を 勝っている人?

その他大勢は ダメな人ってこと?

 

自分が 雲の上の人よりは

何が何でも絶対に 劣っているのだという視点

人生は 人に優劣をつけるためにあるという その世界観

自分が赤ちゃんのときには 存在しない視点

それを 誰かに教わり 刷り込まれ

他者は蹴落とすべき存在だと 学ばされたかな?

あなたは劣っているのだと 決められたかな?

 

そういうことを言うヤツのほうが

よっぽど井の中の蛙で 品性が下劣だけどね

その下劣さを 信じる必要が なぜあるのだろう

 

人は皆 違っていて

それぞれに 素晴らしい面を 備えている

それをどう表現するかが 自身の選択次第なだけで

それぞれに優れた面を持っている事実に 変わりはない

 

なのに ある一面だけを比べ 優劣をつけることに

どんな意味があるのだろう?

 

そんなの スポーツや芸能界に生きる人に任せなよ

日常の暮らしの中にまで

私は劣っているのだ とかいう 視点を

わざわざ持ち込むこと自体 やめばいいんじゃない?

あなたと その人の 素晴らしさが違うだけだよ

ときには自分との違いが多いので 

相性として 合わないだけだよ

 

本当の姿は 

あなたはあなたで 素晴らしい

あの人はあの人で 素晴らしい

それがあるだけだよ

なのにわざわざ 自分でも 自分を蹴落としながら

誰かからの何かを 待っていく人生を歩むの?

そんな必要が なぜ あるのだろう?

 

あなたの心根の優しさや 思いやりや 愛を

すべて競争に使い

あるいはそんなもの捨てて

見た目の美や お金や 地位や立場や名誉

その他 優しく立派な家族や彼氏彼女を持つこと などで

わかりやすく「優位に立ったように見える」形に

なる必要があるってわけ?

 

それさ もう一度 聞くよ

誰に 認めてもらいたいのだろうね

誰に ほめてもらいたいのだろう

誰に 仕返ししたいのだろう……?

 

すでに今 あなたが見比べ 見下し始めている

まさに あなたが勝ちたいと思っている 世間かな? 

世間を見下したいという視点を 願いを抱えながら

なのに私の素晴らしさを認めて って 

世間に 誰かに 認めて! って 頼んでるよね それ

 

うん その矛盾した考え方ごと いらないと思うよ

この世界がそんなところだという視点で生きるから

すべて競争しなくちゃいけなくなり しかも

自分ですべてを 優劣という結果に落とし込んでから

『世の中を観る』形になってしまってる

 

それはもう 自分という存在を 

すべて他者からの意見に委ねてるだけ

他者から選ばれる 他者から輝いて見える だけを願い

『自分という人間の大切さ』が 自分の中に

どこにもいない人 だもの 

何も楽しめないよね 楽しむことすら 難しい

すべては他者からの評価待ち だから

 

自分という存在を 競争のみに使ったら

そんな世界しか 見えてこないよね

ねえ 本当に なぜあなたは 

自分の存在価値というものを 他者からの判断に委ね

人生そのものを オーディションにしなくちゃいけないのだろう……?

 

勝って 見下した相手から 素晴らしいと言われ

雲の上の人たちに 素晴らしいと言われなければ

あなたは生きている価値がない存在なのかな……?

 

勝ったときに初めて

ふふふ 俺って 私って 素晴らしい人間だわ と微笑み

やっと自分を認め 自己満足して ウットリするのかな

 

……私にはそれ ただの自己チューの  

傲慢な勘違いヤロウにしか思えないよ 

ゴメンね そんなの目指して どうするの? と

本気で 聞きたいよ……

 

自分が見つめ 願い 望んでいく世界は 

突き詰めればそんな結果になるのだということを

その明らかなズレを 知ってほしいと願うよ

世間から 認めてもらわねばという その視点 視野自体を

やめてみればいいのにと 祈るよ……

 

そんな競争の勝ち負け 必要なしに 

あなたは自分がいていいことを知り

自分で存在を大切にしてあげて

他者に対しても また 

素晴らしい面に注目して 付き合いを楽しんで

泣いて笑って 誰かを愛して 

一緒に 対等に 仲間として……

そんなふうに 生きていっても いいんだよ

そんなふうに 誰でも 生きていいんだよ

あなたは そう生きて いいのに……

 

それでもなお 外側の認めてもらえる条件をくっつけられるまで

自分を 非難し続けていきたいのかな

そうやって そんな世界観のままで 

いつか何かに 勝つまでは そのままでいたいのかな?

 

2014_12_23何をもって 勝ったと思えるのかが明確でない

終わりのない 勝利探し

 

 

自分への 光

暗闇に のまれそうに なったら

この言葉を 思い出してね

 

自分への 光

 

あなたは どんなときでも

何の条件も まったく必要なく

自分の心に 光を 明かりを

ともしてあげていいんだよ

 

そのために

何かにならなくちゃいけない

そんな思い込みこそが 罠 だからね

 

あなたは 自分で

自分に光を当てていい存在

今 ここにいるから がその理由

条件なんて それでもう

とてつもなく じゅうぶん なのです

 

自分で自分を 暗闇に追い込む

それこそが 過去という記憶から作られた罠であること

どうか 知っておいてね

 

あなたが どんなにちっぽけな存在であるように思えたとしても

自分で 光をともしていいのです

 

2014_12_22

Photo by ぱくたそ

 

それは愛でなく怯え

生きるうえでは、

常に良い子にしていないと、

自分が傷つけられるだけである。

2014_12_20

Photo by Travesty Photography

 

そんなふうに『自分が』受け止めていると、実際、

イヤなことばかりが起こるようになります。

 

本当は良いことも起こっていますが、

人間には、自分が注意を向けたものを感じるための能力が

もともと備わっているのです。

 

それははるか昔、狩りをしたり、森の中で他者を見つけたりするために

発達した能力で、実際、私たちは今でも自然に、

あらゆる音の中から「音楽を聞き分けたり」、

人通りの多い街の風景の中から「知人に気づいたり」します。

 

確かに、イヤなことをしてくる、そんな他人はいます。

それは相手が怯えているから、だったりします。

怖いから、傷つけられる前に、傷つける。

万が一にも、相手が自分を傷つけることのないよう、

常に先手を打って、まず自分が相手を傷つけ、

相手を自分の『下』として見ることで、

自分を優位に保とうとするのです。

 

彼女に罵詈雑言を投げかけ、ニヤニヤして楽しむ彼氏、

いばり散らすパワハラ、セクハラ上司or家族は、

まさに常に、怯えているわけです。

本人は気づいていませんが、怯えを露呈させている。

 

でね。

相手のその怯え。

これは本来、相手側が抱えている問題です。

あなたが、それをまともに受け止めてあげる必要は、

全く、どこにも、存在しません。

 

自分に投げかけられたイヤな言葉は、相手の怯え、ですから、

道で自分の視界を通り過ぎる『見知らぬ人』のように、

とくに関わることなく、素通りさせてしまえばいいのです。

 

自分が注意を向けなければ、反応を返さなければ、

相手はつまらなくなって、それを『やりたくなくなる』のです。

目線を合わさず、聞かないで素通りさせていることを示す。

あるいは反抗ではなく、単純に『あなたの問題ですね』という意識で

静かに、落ち着いて相手の目の中を見つめる。

 

まあ、静かに目を見るとなると、家族などでは怒って暴力を振るう輩がいるので、

その場合はまず目線を合わさない、などの『防御対策』は別途、必要ですが、

それは今のテーマではないし、暴力の度合いや関係性によっても

対策が変わってくるので、ここでは述べません。

知りたい方は、きちんと専門の方の情報をつかんでください。

自分のためにね。それは本当に、放置しないでください。

 

元の話に戻ります。

相手はあなたに受け止めてもらい、自分を優位に立たせたい。

また、すでにその立場にいる場合は、それを保ちたい。

つまりあなたに「受け止めてよ、自分を上にしてよ」と

甘えてくるわけです。はい、たとえ親であっても、ね。

 

ですが、もう一度、ハッキリ言います。

あなたが相手の問題を受け止めてあげる必要は、全くありません。

ここで『この人の痛みをわかってあげられるのは私だけだ』

と思ってしまったら、すみません、言いますよ、依存関係スタートかも、です。

そう受け止めたいと感じちゃうのは、あなたもまた、

自分が感じる気持ち、自分の快・不快の感覚を、大切にしていないからです。

 

こちらをいたぶる、痛めつける、あるいは本当に物理的に殴って、

なのにそのあとで普通に話しかけてきたり、

ご機嫌を取るかのように謝る、その繰り返し。

それがたとえば自分の子どもだったら? 放っておけないじゃない? って?

はい、放っておく必要はありません。それこそまさに、

今のうちに、しっかり気づかせてあげてください。

どんなに近い関係の他者であっても、イヤなやり方で

相手に関われば、相手はやがてあなたに無関心になる、

つまり『他者から嫌われる』のだ、ということを。

愛される、の反対は、無関心です。

 

それを一番明確に伝えられるのは、あなたなのですから。

そして、それ以外の部分で、子どもに関わってあげてください。

その区別は明確につけたほうがいいと、私は思います。

 

愛するがゆえに、イヤなことに動じないで、無関心でいる。

大切な人であればあるほど、きちんと気づいてもらいたいですものね。

 

自分がイヤだと感じることを、相手の望む通りに、

そのまま自分の評価としては受け止めてあげない。

それは相手のためでもあり、また、何より自分のためでもあります。

受け止めたくなるのなら、それこそが、あなた側の問題です。

最初に話した『良い子でいないと嫌われる』というような、

思い込みの部分で反応する。あなたも怯えているのです。

 

また、まるで街の風景から知人を見つけるかのように、

毎日の中から、イヤなことばかりに注目し始めるのも、自分です。

 

イヤな気分がすぐに晴れない場合、数時間、引っ張ったりしますよね。

わざわざ思い出して、再度、イヤな気分を自分に与える。

そうやってイヤなことを繰り返し、自分に刷り込むために、

わざわざ時間を割いているのです、あなたが。

 

そして翌日も、イヤなことに注目する。何度も思い出しては、

イヤな気分になる。すると次にたまたま、別のイヤなことが起こる。

自分が時間を割いて刷り込むイヤな思い出が、2つに増える。

2倍の時間、使って、2つのことを刷り込む。

 

もう、お分かりでしょう。これらを数日間繰り返せば、

たとえ前のほうの小さな出来事は忘れたとしても、

はい、毎日、イヤなことしか起こらない日々の完成、です。

 

相手がイヤなことしかしてこない、だけではありません。

あなたも、新たな苦しい記憶をどんどん加えながら、

それを頭の中で繰り返して自分をわざわざ痛めつけ、しかも

相手側の問題が解決しないように協力してあげているのです。

 

ではなぜ協力するか。

嫌われるのが怖いから、ってこと、多いと思います。

あのね、それ、相手はエスカレートしかしません。

しかもエスカレートして、もっとひどくあなたを扱う挙げ句、

あなたの反応に、やがて飽きます。だって本当は、相手も苦しいから。

それをして、本当はイヤな気分も、味わっているから。

あるいは調子に乗って、他の人の反応もまた、試したくなります。

そこでもっと望ましい反応を示してくれる相手に出会えば、

そちらに関心を移すのは当然です。

 

ということでいずれにせよ、あなたはやがて、

イヤなことをできる対象としての関心を、相手から持ってもらえなくなる。

つまりあなたにとっては「嫌われた」と、

受け止めることもできるような、イヤな出来事と思い出の追加になるかもしれません。

 

だからこそ、苦しいのを我慢して、延々、

受け止めてあげたところで、意味がないのです。

依存関係が始まれば、相手もさんざんいたぶってから

謝る、が続いていくでしょう。

謝りながら、お前が悪いと言うでしょう。

でも、イヤなことをできる→受け止める、という関係が続く限り、

お互いに本心ではイヤなことを味わう相手、にしかなり得ません。

 

いつか本当に気づいてくれる? もちろん、相手に何か変化が起これば、

その可能性が全くないわけではありませんが、

起こるかどうかもわからないことを待つ間に、

相手があなたへの優位性に関心をなくす可能性もかなりあります。

 

そんな『偶然任せ』に期待して、あなたは毎日、イヤなことを増幅させ、

自分が苦しみながら、待つのですか? 何のために?

幸せになりたいから、と、偶然がやって来るまで、

長い時間を不幸せに過ごしている、もしかしたら相手が飽きる。

その今の状態を、まさに自分が今、変えられるのに?

待つのでしょうか?

愛してるから、イヤなことをイヤだと言わず、

無理に笑顔を作りながら、起こるかどうかわからないことを

待つのでしょうか?

 

どうしても言えなくても、愛ゆえに、相手の問題をきちんと素通りさせる。

そんな相手との関わり方が、あるのです。

 

自分が良い子だと認めてほしいがゆえに、嫌われるのを怯える、

そっちの選択、ではないほうへ、

そろそろ、自分の注意を向けても、いいのではないでしょうか。

言うことを聞きすぎるのは、結局、

あなたのためにも相手のためにも、ならないのだから。

 

あなたは、何よりもまず先に、自分で自分を、大切にしていいのです。

それができてからのほうが、イヤなことを受け止めずに、生きられます。

 

つまり、イヤなことに注目しなくなり、頭の中での繰り返しが減るのです。

繰り返しが減れば? イヤなことが起こらない世界、

他者とのもっと幸せな関係を作れるのです。

 

まずは、相手からの評価が、ただの憂さ晴らしかもしれないこと。

そこに、もっと注目してみてください。

 

今回は、あなた側の面、だけに注目して語ってみました。

誰かの憂さ晴らしには、無関心でいい。

あなたはそうしていいし、誰でも、そうしていいのだと、

私には思えます。