生きるうえでは、
常に良い子にしていないと、
自分が傷つけられるだけである。
Photo by Travesty Photography
そんなふうに『自分が』受け止めていると、実際、
イヤなことばかりが起こるようになります。
本当は良いことも起こっていますが、
人間には、自分が注意を向けたものを感じるための能力が
もともと備わっているのです。
それははるか昔、狩りをしたり、森の中で他者を見つけたりするために
発達した能力で、実際、私たちは今でも自然に、
あらゆる音の中から「音楽を聞き分けたり」、
人通りの多い街の風景の中から「知人に気づいたり」します。
確かに、イヤなことをしてくる、そんな他人はいます。
それは相手が怯えているから、だったりします。
怖いから、傷つけられる前に、傷つける。
万が一にも、相手が自分を傷つけることのないよう、
常に先手を打って、まず自分が相手を傷つけ、
相手を自分の『下』として見ることで、
自分を優位に保とうとするのです。
彼女に罵詈雑言を投げかけ、ニヤニヤして楽しむ彼氏、
いばり散らすパワハラ、セクハラ上司or家族は、
まさに常に、怯えているわけです。
本人は気づいていませんが、怯えを露呈させている。
でね。
相手のその怯え。
これは本来、相手側が抱えている問題です。
あなたが、それをまともに受け止めてあげる必要は、
全く、どこにも、存在しません。
自分に投げかけられたイヤな言葉は、相手の怯え、ですから、
道で自分の視界を通り過ぎる『見知らぬ人』のように、
とくに関わることなく、素通りさせてしまえばいいのです。
自分が注意を向けなければ、反応を返さなければ、
相手はつまらなくなって、それを『やりたくなくなる』のです。
目線を合わさず、聞かないで素通りさせていることを示す。
あるいは反抗ではなく、単純に『あなたの問題ですね』という意識で
静かに、落ち着いて相手の目の中を見つめる。
まあ、静かに目を見るとなると、家族などでは怒って暴力を振るう輩がいるので、
その場合はまず目線を合わさない、などの『防御対策』は別途、必要ですが、
それは今のテーマではないし、暴力の度合いや関係性によっても
対策が変わってくるので、ここでは述べません。
知りたい方は、きちんと専門の方の情報をつかんでください。
自分のためにね。それは本当に、放置しないでください。
元の話に戻ります。
相手はあなたに受け止めてもらい、自分を優位に立たせたい。
また、すでにその立場にいる場合は、それを保ちたい。
つまりあなたに「受け止めてよ、自分を上にしてよ」と
甘えてくるわけです。はい、たとえ親であっても、ね。
ですが、もう一度、ハッキリ言います。
あなたが相手の問題を受け止めてあげる必要は、全くありません。
ここで『この人の痛みをわかってあげられるのは私だけだ』
と思ってしまったら、すみません、言いますよ、依存関係スタートかも、です。
そう受け止めたいと感じちゃうのは、あなたもまた、
自分が感じる気持ち、自分の快・不快の感覚を、大切にしていないからです。
こちらをいたぶる、痛めつける、あるいは本当に物理的に殴って、
なのにそのあとで普通に話しかけてきたり、
ご機嫌を取るかのように謝る、その繰り返し。
それがたとえば自分の子どもだったら? 放っておけないじゃない? って?
はい、放っておく必要はありません。それこそまさに、
今のうちに、しっかり気づかせてあげてください。
どんなに近い関係の他者であっても、イヤなやり方で
相手に関われば、相手はやがてあなたに無関心になる、
つまり『他者から嫌われる』のだ、ということを。
愛される、の反対は、無関心です。
それを一番明確に伝えられるのは、あなたなのですから。
そして、それ以外の部分で、子どもに関わってあげてください。
その区別は明確につけたほうがいいと、私は思います。
愛するがゆえに、イヤなことに動じないで、無関心でいる。
大切な人であればあるほど、きちんと気づいてもらいたいですものね。
自分がイヤだと感じることを、相手の望む通りに、
そのまま自分の評価としては受け止めてあげない。
それは相手のためでもあり、また、何より自分のためでもあります。
受け止めたくなるのなら、それこそが、あなた側の問題です。
最初に話した『良い子でいないと嫌われる』というような、
思い込みの部分で反応する。あなたも怯えているのです。
また、まるで街の風景から知人を見つけるかのように、
毎日の中から、イヤなことばかりに注目し始めるのも、自分です。
イヤな気分がすぐに晴れない場合、数時間、引っ張ったりしますよね。
わざわざ思い出して、再度、イヤな気分を自分に与える。
そうやってイヤなことを繰り返し、自分に刷り込むために、
わざわざ時間を割いているのです、あなたが。
そして翌日も、イヤなことに注目する。何度も思い出しては、
イヤな気分になる。すると次にたまたま、別のイヤなことが起こる。
自分が時間を割いて刷り込むイヤな思い出が、2つに増える。
2倍の時間、使って、2つのことを刷り込む。
もう、お分かりでしょう。これらを数日間繰り返せば、
たとえ前のほうの小さな出来事は忘れたとしても、
はい、毎日、イヤなことしか起こらない日々の完成、です。
相手がイヤなことしかしてこない、だけではありません。
あなたも、新たな苦しい記憶をどんどん加えながら、
それを頭の中で繰り返して自分をわざわざ痛めつけ、しかも
相手側の問題が解決しないように協力してあげているのです。
ではなぜ協力するか。
嫌われるのが怖いから、ってこと、多いと思います。
あのね、それ、相手はエスカレートしかしません。
しかもエスカレートして、もっとひどくあなたを扱う挙げ句、
あなたの反応に、やがて飽きます。だって本当は、相手も苦しいから。
それをして、本当はイヤな気分も、味わっているから。
あるいは調子に乗って、他の人の反応もまた、試したくなります。
そこでもっと望ましい反応を示してくれる相手に出会えば、
そちらに関心を移すのは当然です。
ということでいずれにせよ、あなたはやがて、
イヤなことをできる対象としての関心を、相手から持ってもらえなくなる。
つまりあなたにとっては「嫌われた」と、
受け止めることもできるような、イヤな出来事と思い出の追加になるかもしれません。
だからこそ、苦しいのを我慢して、延々、
受け止めてあげたところで、意味がないのです。
依存関係が始まれば、相手もさんざんいたぶってから
謝る、が続いていくでしょう。
謝りながら、お前が悪いと言うでしょう。
でも、イヤなことをできる→受け止める、という関係が続く限り、
お互いに本心ではイヤなことを味わう相手、にしかなり得ません。
いつか本当に気づいてくれる? もちろん、相手に何か変化が起これば、
その可能性が全くないわけではありませんが、
起こるかどうかもわからないことを待つ間に、
相手があなたへの優位性に関心をなくす可能性もかなりあります。
そんな『偶然任せ』に期待して、あなたは毎日、イヤなことを増幅させ、
自分が苦しみながら、待つのですか? 何のために?
幸せになりたいから、と、偶然がやって来るまで、
長い時間を不幸せに過ごしている、もしかしたら相手が飽きる。
その今の状態を、まさに自分が今、変えられるのに?
待つのでしょうか?
愛してるから、イヤなことをイヤだと言わず、
無理に笑顔を作りながら、起こるかどうかわからないことを
待つのでしょうか?
どうしても言えなくても、愛ゆえに、相手の問題をきちんと素通りさせる。
そんな相手との関わり方が、あるのです。
自分が良い子だと認めてほしいがゆえに、嫌われるのを怯える、
そっちの選択、ではないほうへ、
そろそろ、自分の注意を向けても、いいのではないでしょうか。
言うことを聞きすぎるのは、結局、
あなたのためにも相手のためにも、ならないのだから。
あなたは、何よりもまず先に、自分で自分を、大切にしていいのです。
それができてからのほうが、イヤなことを受け止めずに、生きられます。
つまり、イヤなことに注目しなくなり、頭の中での繰り返しが減るのです。
繰り返しが減れば? イヤなことが起こらない世界、
他者とのもっと幸せな関係を作れるのです。
まずは、相手からの評価が、ただの憂さ晴らしかもしれないこと。
そこに、もっと注目してみてください。
今回は、あなた側の面、だけに注目して語ってみました。
誰かの憂さ晴らしには、無関心でいい。
あなたはそうしていいし、誰でも、そうしていいのだと、
私には思えます。