カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

シンプルに『自分のため』に

昨日の続きでもう2つ、話をシェアします。

今日は自分の言葉も書くので長いよ(笑)

お許しを。

 

まず、1つめ。自己価値について。

あなたには価値がない、ということが真実なのではなく、

「私には価値がない」と

自分で思い込んでいる、

それが今のあなたの実状(視野)である

ということなんだよ。

 

そう思い込んでいるから、

目の前の出来事を

そういうふうに解釈する。

 

あえて悪いほうに受け取ることもあれば

(しかも、ときには自分で気づけずにそれをやってることもある)、

悪い出来事を自分のせいにすることもあるし、

さらにはそもそもヒドイことをこちらに言う人って

その人自身の問題をあなたにぶつけているだけ、などということが、

落ち着いて判断できなくなっている。

 

自分と他人を見張りまくって、常に採点しているのだ。

 

で、私は「価値のない人なんて

この世にいないよ」という感覚を、

鬱を経て感じられるようになっているけれど、

こう書くと、ならば悪徳商人みたいな人はどうなのよ!

みたいなツッコミを入れたくなる気持ちもわかる(笑)

 

あのさ、

「自分の価値を見失っている人」

なら、もちろんいるよ。

それによって、自分さえよければ、に陥っている人ね。

 

それって、自分の価値を自分で見失ったまま、

他のモノで埋め合わせしようとして

『本気でみずから、自分の価値を下げるようなやり方に

喜びを見出しているつもり』なだけでしょう。

 

それにそういう人って、他の部分で、必ずうまくいってない。

他者を犠牲にして、自分さえよければ、と割り切る、

そんな腹黒いやり方をして、本気で心から安堵して喜べている、

安泰で静謐で平穏で満ち足り、何の不安も心配もない人、なんて、

私、書籍でさえ、出会えたことない。

そんな人がもし、いるなら、マジで教えてほしいよ。

そういう人は、ほぼ必ず人間関係で苦しんでるよ。当たり前だけれど。

 

そういう嫌な面を一切無視して、

私は、あるいはあの人は、すごくうまくいってる! などと

捉えられる人も、そうそういないと思うけれど、どうなんだろうね。

 

ゆがみを自分で作ったら、そりゃゆがみ続ける。

本人がわざとそれを、選んでいるのだもの。

 

たとえばさ、

他人を非難することを生きがいにして、怒りなどをきっかけに、

自分の正統性を主張してやっと安心する。

それもまた「他人と闘うことでしか自分の価値を認められない」という

自己否定の変形版でしょう?

 

他人を常に見張って採点して批判しないと! というその瞬間には、

ちっとも、その人、安心できてないよね。

しかもその瞬間は自分のこと、大切にできていない。

 

他者を使うのでなく、自分に対して、向き合う。

そのゆがみのようなものに本人が、自力で向き合うことでしか、

本当の意味での解放は起こらないんだと、私には思えるのだ。

 

その「向き合う」というやり方のひとつとして、いったんは、

自分の価値が!

云々の『今までの規制枠』から離れる、

離れてから、枠の中身を見つめ直してみる、

という視点が必要なのだと。

 

長々と解説を入れちゃったけれど、

最初に紹介するこの記事で、価値とか自信、のことを

扱い注意、と言っておられるのは

「離れて遠目に見る視点を持ってみないと、枠の中にいるままでは難しいよ」

という話なんだと、私は解釈している次第。

 

記事にある、アダルトチルドレン(AC)っていう「くくり」もさ。

『右へならえ』から始まった、よい大学、よい会社、よい暮らし、

女性ならそこに専業主婦、なんてラインも加わって、

= それがいちばん素晴らしい!

という洗脳が1950年代の後半にはもう、あったわけで。

その意味ではみんな、多かれ少なかれ、ACの傾向、持ってると思えるよ。

勝ち組、負け組なども、バブル崩壊を経たあとの発展系だよね。

だからACにも、そんなに囚われなくてもよいのだと。

そういう傾向も自分の内側にあるのね、ならば私はどうする?

という捉え方のひとつ、くらいに考えたほうが、

結局は楽になりやすいのだろうと思えます。

 

まあ、こうした事柄を踏まえつつだけれど、

それでもこの記事は、よくまとまっていて訴える力もあって、秀逸だと思えるよ。

そもそもこの方、いい意味で不思議な男性だ、と個人的には感じてる(*^^*)

 

◎【母の呪いから解放する】心身調律セラピスト岡田哲也
『「あなたには価値がある!』と煽るセミナーは形を変えた母の呪い。』
http://ow.ly/WOmT1

 

さて、次、2つめ。これは短くいこう。

 

とても貴重なあなただからこそ(昨日、紹介した記事にも

このことについて引用文での説明、あったよね)、

嫌なことを嫌なまま、

何度も思い出しまくって、

自分を傷つけ続けるのはもったいない。

 

自分のために、それを活かして別の形に昇華していったり、

『これ以上は関わらないことを、私が、私のために選択する』ほうを、

選んでいいのだと思える。

 

壮大な夢を語って、まわりから馬鹿にされてきた経験を持つ、

植松努さんのFacebookでの言葉。

途中までしか表示されない場合は、「その他」や「もっと見る」、

または下部の日付を押せば、

ログインしなくても続きが読めるかと。

柔らかくて素晴らしい。こういう感覚、好き。

いろいろなところから、あなたに必要なものをつかんで、

この連休中もどうぞご自愛くださいまし(*´∀`*)ノピンク薔薇

 

2016_01_08

photo by Andrewkim
Pixabay

 

比較しないで、あきらめないで

2016年の最初のブログですが、

今はちょいと、また私、

自分を大切にしてみる(感じてみる、

それをやってみる、

逆に、今はやらなくていいや、と感じたら

やらないことのほうも、ちゃんと選択する)

という練習期間のようです。

 

もちろん私も、自分については

日々、メンテナンスして、

日々、やりたい練習、積むわけですよ。

 

ということで今日は、この記事を紹介します。

少し長いけれど、ステキな文章を、

きちんと引用してくれています。

 

比較しなくていいよ、自分と他人を。

その意味が少しでも、届きますように。

ほんの少しだけでも、呼吸が楽になれたら幸いです。

新年のこのひととき、

そうした感覚のものが何かよい形で、

読んでくださる方へ届きますよう、

心から祈ります。

 

◎高橋ナナさん
「これを読んで今すぐ裕福になってください。」
http://ow.ly/WK8LN

 

2016_01_07

Photo by Greg Rakozy
Unsplash

 

嫉妬=自分の『現実』を見たくない、さらに……

起業カウンセラーであり、心のセラピストでもある

大野木さんの、この記事を読んで

◎大野木睦子さん
「おまえに嫉妬とは何か、教えてやる。」
http://ow.ly/WrtGY

嫉妬って、

自分では今、できていないことを

自分で認めるのが「本当は」怖いから

他人に転嫁する部分、あるよな……、

と、改めて思った。

 

で、そういう転嫁についてもさ、

認めたくないのは甘えだ! とか

おかしい!

わかってないよ!

などといった批判を浴びせるだけなら、そりゃ誰でもできることで。

 

これを、自分に対してやっている人は

(自己批判・自己非難ね)、嫉妬のさらにその奥側のほうに、

「だってどうせ私は」ダメだし

をいつも抱えているんだよな、と。

 

嫉妬したとき、このままでは何となくダメ、程度なら

それ本当に、ダメだと感じているの? どんなふうに?

という部分からも、

問いかけることは、できるけれど。

 

鬱にまでなっている人だと(なっていない人でもときに)、

自分を心底、嫌っているから、

そんな問いかけをしても(本当にダメ? も一応、心の奥の話だけれど)

だって

どうせ

でも実際に!

だからといって!

という、堂々めぐりの答えしか出ないのだよね……。

過去の私もそうでしたわ。

 

だから、そこまで自分を嫌っている人は、

目の前の問題解決を目指す以前、

何とか改善! を目指す前に、

 

そもそもなぜ、

自分のことをそこまで、ダメでどうしようもなくて嫌いだと

信じている わけ?

という、その方にとっては、

さらに奥の、ものすごく痛い部分を

いずれ、見つめてもらう必要はあるのです。

 

そこを見たくないから、もろもろがズレていき、

いろいろな嫉妬も起こる場合がある……。

 

これ、奥のほうから逆に、捉え直してみるね。

 

自分の一番根底にある、もともとの自己卑下は

いつも当たり前のものとして、放置している

→ 現実問題で発生する問題

→ (例えば)悔しい、どうせ私には無理、できない……あの人はできているのに

→ 嫉妬

 

こんなふうに、奥に何を抱えていても、

現実問題はいつも2番目以降のことだから、

それらだけで表面的に捉えていると、

うらやましい、のあと、

せいぜい、反省して、私も何とかしなくちゃ、と

そのあたりでウロウロして試行錯誤ばかり。

あるいは試行錯誤もできなくて、そんな自分を罵倒。

で、いつも終わっちゃっては、いないかな。

 

2番目以降を何とかしようとしても、

土台が「『当然レベル』の自己嫌悪」なのだから、

何かのキッカケがあれば積み上げたものは、雪崩のように崩れるのよ。

で、勢い、他のモノ(自分以外のモノ)で

何とか埋め合わせしよう、なども始めたり。

 

嫉妬したときに、せっかく、このままではダメ、と言って

これをしてみよう

こうなってみよう

こう心がけてみよう

これを手に入れれば

あれになれば

これをできるようになれば

 

ってやっていっても、自分を嫌ったまま、がくっついていると、

本当の意味では解決には至らないのです。

 

もう少し、説明してみるね。

見春屋でお手伝いさせてもらっている私が

いつも感じるのだけれど、

私に告白してくださる側は、出来事などから、

さらにその奥の自分の気持ちについて

話をすることになる場合が多いのです。そのとき、

とんでもなく嫌な自分、を、
他者に打ち明ける

ってことにも、チャレンジしてくれているなあ……と。

 

それっていつも、すごい! と思えます。

だから私も、そのたびに、

私に話してくださる意味、を、真摯に捉えながら、向き合っています。

 

つまりね、何が言いたいかというと、

嫉妬しちゃったわ

→ こんな自分なんて(また)ダメだわ

 

が繰り返されているなら、それこそがまさに

自分についての深い深い気づき、のチャンスだよ、ってこと。

 

(また)の部分が、いつもくっついてくる人は、

その思いを何度も繰り返してきているはずです。

 

どんなふうに繰り返しているのかというと、

表面に現れた問題を、

自分の思い込み……私はダメ人間、の

『強化』『証拠』に、最初に変換しているの。

 

問題自体をまず『自己卑下に使える現実的な証拠』として捉え、

その「あと」から、それらの問題へ対処しようとする。

いつも先に、そうやって、

現実の問題に、余計な視点をくっつけているのです。

 

すると結局は、目の前に現れてきた問題も、

自分の奥の、また奥にある根っこの思い込みも、当然、

美しく(とてもよい形で)解決することは、なかなかできにくくなる。

しかもその場合、いろいろな思い込みの色眼鏡も、入りやすくなるしね。

 

とはいえ、たとえば「嫉妬から湧き起こる『いつも私は……』な感覚」は

あるわけだから、そこで本気になって、自分の内側を整理し始めれば、

奥の土台のほうの問題へつなげられる糸口は、

必ずちゃんとつかめる、方向性は見えているのです。

 

だから今すぐに、とは言わないけれど、

信頼できる人に、いずれは

『自分で自分を変えるために』土台のほうまで全部、明かしてみる、

そうすることで、自分の奥を見つめる手助けを求める

(整理は手伝ってもらえても、気づいていくのは自分でしかできないからね)、

その勇気を出してもらえれば、と願います。

 

表面でクルクルしているだけでは、もう、

苦しいままだと気づいているのなら、なおさら……。

 

2015_12_30

Photo by Simon
Pixabay