カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

持つことの……

怖いのは 自分には何もないと

かみしめること

 

そう感じている人って

結構 いると思うのだけれど……

 

その前提にあるのは

「持っていないとダメ」

という気持ちじゃないのかな

 

身体一つで生まれてきた私たちは

生まれるにあたり 何も持っておらず

また 何かを所有したまま 一緒に消えることはできない

最後はたぶん 記憶くらいかな

それも持っているとは 言えないものだし 記憶も不変ではないよね

 

別に何も持っていないこと

それは基本で自然なことなのに

あなたはなぜか

持っていないと ダメだと信じ込んでいる

 

持っている「ように感じられるもの」を

たくさん所有しなければいけない

しかもなるべく立派で

人から賞賛されそうなヤツをね

 

お金や物に限らず 

人間関係 地位 生き甲斐 

はい その他には何を並べよう?

 

ねえ ならば生まれたての赤ちゃんは

この世の中で最も ダメで 劣る存在かな?

赤ちゃんは いるだけで 微笑むだけで

人々を笑顔にさせてくれたりもするけれど

あなたの捉えているルールに従えば 

この世でいちばん 何も持っていないから 

いちばんダメな人なんじゃない?

 

この世に自然に在るものは

たいてい 何も持っているようには思えないけれど

人間だけが それほどまでに 持っていないとダメな存在?

 

欲を持つな って言ってるんじゃなくて

持っていないと『ダメ』

この『ダメ』ということばかりに注目したら

そりゃ全人類 不幸ですわ……

 

あらゆる人間には 必ず何か 持っていないものがあるよね

少なくとも人種の違い 国の違い 生き方の違いなどがあって

それを『どの程度ダメか』で採点し始めたら

本当に『すべてを持っている』人など存在しなくなるよ

簡単に言えば 黒い瞳の人は 青い瞳にはなれないしさ

 

要はね それを『ダメ』と捉えるかどうかの話なんだよ

 

わかるかな

欠けているものをダメと捉え始めたら 

欠けていることに注目し続けたら

ありとあらゆるものに ダメが見つかる理由が生まれるよね

でもそれは単純に あなたが採点し始めて

しかも『ダメ』という気持ちを 使うからなのだ

 

これはダメだからこうしよう と思ったときに

なぜ私はこれをダメと思うのだろう?

その奥にはどんな『欲』が隠れていて

その『欲』は それこそ 備えていないと人間失格なのか?

 

そういうふうに 根源から 捉え直してみて欲しいんだ

 

たとえば恋人がいないと人間失格 なんて思いは

ただの『条件あと付け』でしかなくて

恋人を持つことで「何を得ようとしているか」なんだよ

その「何」をどんどん 奥まで 見つめてほしいのだ

 

それは 得なくては人間失格なことなのか

それだけが すべてなのか

ほかにも 別の何かがあるんじゃないのか

普通って? 基本って? 当たり前って? 標準って?

その基準を あなたはいつ どこから

何を持って決めて そう思い込むことにしたの?

 

できれば自分を罵倒したい気分のときでなく

少し静かに落ち着いているときに

本当に一度 そういう根源の部分を見つめて欲しいのだ

幸せのかたち その視野を 広げてみるためにも……

 

あなたの今の『思い込み』は 

他の角度から見た場合 わりとすんなり

外せることも多いと思えるよ

 

『持っていないとダメ』というおびえで 何かとつながる 増やすのは

最初からそれを 自分の都合で「穴埋め」に使おうとすること

つまりある意味 それを恐怖心から利用したいのだということ

 

何かと最初から そんなつながり方をする必要は 本当はなくて

それがない自分でも別に 豊かで「あってよい」のだということ……

 

それが人であれ 物であれ 環境 立場であれ ね

 

禅問答みたいかな でもそうなのよ

いつか 気づいていってもらえたらと 祈ります

 

2015_06_30

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Pixabay

 

生きることと食べ物と……「ひと休み」更新

食べ物、から捉える、人という存在の話。

佐藤初女さんの本について。 彼女にも「信仰」があるのだよね……。

 

キリスト教、決して『好み』ではないつもりだけれど、

静かな生き方には、学ばされることが多いのだと思える。

 

◎『見春屋』木元の ひと休み
生き物としての私 
http://miharu.pleasure.jp/?p=282

 

2015_06_29

Photo by skeeze
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どうすればうまくいくか、の前に……

何かがうまくいかなかった。

そのとき普通は、ならば次はどうすればうまくいくのか、を、考えるよね。

 

でもね。

そのときって実は、別のやり方をすぐ再検討してしまうのでなく、

何がいけなかったのか? を本当にいろいろな角度から、

捉え直せる機会であることにも、気づいてほしいな、と願う。

 

うまくいくか、いかないか、の前に、そもそもね。

それやり遂げること、どうすればうまくいくか「だけ」を「見つめていい」のは、

自分がそれをやっている間じゅう、

ワクワクして楽しめて幸せなこと、に対してだと思えるの。

 

あるいは、なぜかどうしてもやりたくて、

やっている間は心が集中して没頭できる、

そうやって過程を味わえるから、あきらめられないわ、ってことに対してだと。

それに対する「次はどうすればうまくいくか」は、考えるときも幸せだからね。

 

やっている間、笑顔になれるもの。

そしてやったあとにも、身体的・精神的疲労が回復できる範囲のもので、

充足感があって、つまり自分に対する嫌悪感が湧かないもの。

 

単純な例で言えば、適度なテレビゲームは楽しめる人も多いだろうけれど、

過度な熱中は、そのあとの体力・精神的回復がすぐにできず、

それがもとで、自分に対する嫌悪感をもたらすよね。

スポーツなども同じ。本当は、仕事も家事も、私は同じなのだと思っている。

 

自分に負荷をかけすぎて、挙げ句、そんな自分を嫌いになるようなものは、

やはりそれに対する『自分の思い』のほうを、

捉え直してみていいのだと思えるよ。

 

なぜそれを、自分はやりたいのだろう? って部分に、立ち戻る。

そうでないと、楽しめるはずのそれが、

自分で自分に加える罰のようなもの、に変わってしまうから。

 

当然、やっている間も、終わってからも、

別にうれしさが増すものでないことに対しては、

どうしてそれをうまくいかせたかったのか、

そもそもなぜそれをやりたいのか、きちんと考えてみたほうがいい。

 

うまくいかせた「結果」が、他者から気に入られること、愛されることであるなら、

そもそもそれは、設定として間違ってもいることに、気づいてほしい。

 

うまくいっても、そのとき、その他者が気に入るかどうかはわからないよ。

その人が気に入らなければ、うまくいったことには、決してならないよね?

その人が気に入るかどうかは、そのときの「ゴキゲン」次第。

 

するとあなたは、やがて、その人のゴキゲンを取れるように、

相手の顔色を見てビクビクしなから、達成を目指していくことになる。

 

やる内容云々ではなく、何をするのかの基準が、

ある種の「精神的奴隷に自分から勝手に成り下がる」以外、

だんだん、やれることがなくなっていくよ。

 

自分がやれることは、相手の希望に沿うものじゃないとダメ、

そうなるともう、うまくいこうが、いくまいが

ひたすら顔色、うかがうしかなくなっていくよ? それ。

 

だったらそれって、自分をこき使って、一体、何を努力しているの? って話。

設定が違っている、というのは、そういうことだ。

 

あなたがやりたいことをやっているのではなく、

相手に気に入られたいだけだよね?

あなたが、やりたいことを楽しんでいるのでなく、

他人からほめ言葉、ほしいだけ。

自分が何をやりたいかなんて、どこかに吹っ飛んでるじゃない。

相手に気に入られることなら、なんだってやるだけ?

 

なぜ、そっちを選ぶのだろう?

自分がやりたいことを楽しんでやって、それでかつ、

他者からも「勝手に」認めてもらえる、喜んでもらえる。

 

他のやり方もあるのに、

なぜわざわざ、他者の顔色ばかり、どんどんうかがうしかなくなっていく道を、

自分から選んでいるのだろうね?

 

その先には、どんな素晴らしい「次」が待っていると夢想しているの?

「人の言いなり」へと、どんどん突き進む人生に、どんなステキな「次」があるの?

 

で、もちろん、達成できなければ、相手に気に入られなければ、

モロに自分を罵倒するか、

わかってくれないと被害者になるか、

になっていくよね? それ以外の選択肢、自分で思いつく?

 

ならばうまくいかなかったとして、ねえ、そこに、どんな「次」があるの?

ヤケクソになって、過激なことを、うまくいかせるため、と思ってやるか、

力尽きて、人生そのものがうまくいかないんだと、話を思い切りデカくして、

嘆きまくるしかないんじゃない?

 

自分が楽しめることを選ばず、

代わりに「何を」選んでいるのか。

それを選ぶのはなぜなのか、

なぜそんなにも、自分を見捨て続けているのかを、

見つめてみること。

 

そちらは、なぜ選んではいけないのだろう。

そっちを選ぶことの、何がどう悪いというのだろうね。

 

自分に対する『次』、がない検討。

うまくいかないときの自分に対する責め方、攻め方は、

自分が選んで、自分からやめる。

そのときは、設定を、そもそも捉え直してみる。

何を差し出して何を得ようとしているかのほうを見る。

 

その勇気を、いつか持ってくださいね。

それが正しいから、とか、表面的な言い訳ばかり、つけないでさ。

 

2015_06_27

Photo by ゆんフリー写真素材集