どうすればうまくいくか、の前に……

何かがうまくいかなかった。

そのとき普通は、ならば次はどうすればうまくいくのか、を、考えるよね。

 

でもね。

そのときって実は、別のやり方をすぐ再検討してしまうのでなく、

何がいけなかったのか? を本当にいろいろな角度から、

捉え直せる機会であることにも、気づいてほしいな、と願う。

 

うまくいくか、いかないか、の前に、そもそもね。

それやり遂げること、どうすればうまくいくか「だけ」を「見つめていい」のは、

自分がそれをやっている間じゅう、

ワクワクして楽しめて幸せなこと、に対してだと思えるの。

 

あるいは、なぜかどうしてもやりたくて、

やっている間は心が集中して没頭できる、

そうやって過程を味わえるから、あきらめられないわ、ってことに対してだと。

それに対する「次はどうすればうまくいくか」は、考えるときも幸せだからね。

 

やっている間、笑顔になれるもの。

そしてやったあとにも、身体的・精神的疲労が回復できる範囲のもので、

充足感があって、つまり自分に対する嫌悪感が湧かないもの。

 

単純な例で言えば、適度なテレビゲームは楽しめる人も多いだろうけれど、

過度な熱中は、そのあとの体力・精神的回復がすぐにできず、

それがもとで、自分に対する嫌悪感をもたらすよね。

スポーツなども同じ。本当は、仕事も家事も、私は同じなのだと思っている。

 

自分に負荷をかけすぎて、挙げ句、そんな自分を嫌いになるようなものは、

やはりそれに対する『自分の思い』のほうを、

捉え直してみていいのだと思えるよ。

 

なぜそれを、自分はやりたいのだろう? って部分に、立ち戻る。

そうでないと、楽しめるはずのそれが、

自分で自分に加える罰のようなもの、に変わってしまうから。

 

当然、やっている間も、終わってからも、

別にうれしさが増すものでないことに対しては、

どうしてそれをうまくいかせたかったのか、

そもそもなぜそれをやりたいのか、きちんと考えてみたほうがいい。

 

うまくいかせた「結果」が、他者から気に入られること、愛されることであるなら、

そもそもそれは、設定として間違ってもいることに、気づいてほしい。

 

うまくいっても、そのとき、その他者が気に入るかどうかはわからないよ。

その人が気に入らなければ、うまくいったことには、決してならないよね?

その人が気に入るかどうかは、そのときの「ゴキゲン」次第。

 

するとあなたは、やがて、その人のゴキゲンを取れるように、

相手の顔色を見てビクビクしなから、達成を目指していくことになる。

 

やる内容云々ではなく、何をするのかの基準が、

ある種の「精神的奴隷に自分から勝手に成り下がる」以外、

だんだん、やれることがなくなっていくよ。

 

自分がやれることは、相手の希望に沿うものじゃないとダメ、

そうなるともう、うまくいこうが、いくまいが

ひたすら顔色、うかがうしかなくなっていくよ? それ。

 

だったらそれって、自分をこき使って、一体、何を努力しているの? って話。

設定が違っている、というのは、そういうことだ。

 

あなたがやりたいことをやっているのではなく、

相手に気に入られたいだけだよね?

あなたが、やりたいことを楽しんでいるのでなく、

他人からほめ言葉、ほしいだけ。

自分が何をやりたいかなんて、どこかに吹っ飛んでるじゃない。

相手に気に入られることなら、なんだってやるだけ?

 

なぜ、そっちを選ぶのだろう?

自分がやりたいことを楽しんでやって、それでかつ、

他者からも「勝手に」認めてもらえる、喜んでもらえる。

 

他のやり方もあるのに、

なぜわざわざ、他者の顔色ばかり、どんどんうかがうしかなくなっていく道を、

自分から選んでいるのだろうね?

 

その先には、どんな素晴らしい「次」が待っていると夢想しているの?

「人の言いなり」へと、どんどん突き進む人生に、どんなステキな「次」があるの?

 

で、もちろん、達成できなければ、相手に気に入られなければ、

モロに自分を罵倒するか、

わかってくれないと被害者になるか、

になっていくよね? それ以外の選択肢、自分で思いつく?

 

ならばうまくいかなかったとして、ねえ、そこに、どんな「次」があるの?

ヤケクソになって、過激なことを、うまくいかせるため、と思ってやるか、

力尽きて、人生そのものがうまくいかないんだと、話を思い切りデカくして、

嘆きまくるしかないんじゃない?

 

自分が楽しめることを選ばず、

代わりに「何を」選んでいるのか。

それを選ぶのはなぜなのか、

なぜそんなにも、自分を見捨て続けているのかを、

見つめてみること。

 

そちらは、なぜ選んではいけないのだろう。

そっちを選ぶことの、何がどう悪いというのだろうね。

 

自分に対する『次』、がない検討。

うまくいかないときの自分に対する責め方、攻め方は、

自分が選んで、自分からやめる。

そのときは、設定を、そもそも捉え直してみる。

何を差し出して何を得ようとしているかのほうを見る。

 

その勇気を、いつか持ってくださいね。

それが正しいから、とか、表面的な言い訳ばかり、つけないでさ。

 

2015_06_27

Photo by ゆんフリー写真素材集

 

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