カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

自分が決める、決めていい

一つ前の記事では、紹介した方の話が

力強くて素晴らしかったので、

あえて何も書かずにリンクさせていただいたのですが、

その内容に関することもちょうどいくつか、下書きしていたので、

今日はそのうちの一つを書き上げ、アップしたいと思います。

 

「~ねばならない」が心にしっかり、食い込んでいる人、信念になっている人は、

何かを達成すれば、自分の力を認めてあげられると思っているかも。

私は、過去の自分も振り返りつつ、そう感じています。

それは裏を返せば、何かを自分で「うまくできた」と感じられない限り、

自分を認めない、と決めつけているってことでもあります。

 

自分に条件をつけて、できなければ許さないなんて、

実はとてもスパルタ。とても厳しい。とてもマゾ。

 

そんなことを一切、しなくてもいいのに、なぜかしなければいけない、

そうでなくては自分が堕落してしまうと決めている感じ。

 

これを延々、自分に課せば、

常に緊張して、自分に注意を払って見張ることを

続けることが「当然」となります。

ミスしないか、できているかをチェックし続ける。

ずっと肩に力が入りまくることになるのです。

 

そんな緊張状態が、自分のデフォルト。見張りが基本です。

そりゃ、ずっと張り詰めて採点しまくって見張っていれば、

やがて自分で疲れてしまうのも当然ですが、

その人にとってはそれが、あまりにも当たり前の姿勢なので、

自分の緊張状態にさえ、あまり気づけない。

 

そしてダラケていたり、怠けていたりするように見える人、

自分とは逆の状態にあると「自分が捉えた」人のことを、許せなくもなります。

 

で、ついでにそういう人のことも常に見張って、悪い点を見つけては

「ムキーッ!!p(`Д´#)q」と怒ったりもする。

イヤなモノをわざわざ見つめてわざわざ怒るのです。

 

わざわざ、黒くてイヤな感情を、自分の中に湧き上がらせては、また疲れる……。

はい、これもマゾ的ですよね。

 

以前に話したお姉さんも、私が

「うちの部署だけでなく、大きな全体としての流れを見て」

業務分担を改善した(だから上司にもスンナリ提案が通った)ことが見えておらず、

ただ、目の前の彼女の仕事が増えて、

逆に私の仕事がその部分では楽になったから、怒っている。

それはそれで、間違いというほどのことでもはなくて、

ただ私とは見ている部分が違うだけ。

 

本当はその分、私も他の面での仕事を

より増やしているのですが(上司の要請でね)、

そこのところはお姉さんに直接関わりがないため、お姉さんは気づかない。

 

私が増やした部分は、大きな流れのなかでは、

お姉さんの部署にも役立っているのだけれど、

お姉さんの直接の仕事量には関係がないため、お姉さんはそこを見ないのです。

 

そして勝手に、怒っておられる。

 

だからといって私は、自分の都合しか見てないのはお前のほうだー! などと、

お姉さんに怒る気はありません。

単に違うだけと思えるから。

私は私で、会社の役に立てて、仕事の流れが良くなっていれば(実際なっているし)、

それで心地よいので、お姉さんが何を思おうと、別に関係ないのです。

 

これもまた、自分がどこを見るか、という選択ですよね。

きちんとしていきたいのは、私もお姉さんも一緒。

捉え方、捉える範囲がお互い、別なだけ。

 

お姉さんがプンプンせずに、なぜそんなふうに? と質問してきたら、

その辺のことを私はたぶん、説明しただろうけれど、

勝手にブチ切れて勝手に怒っている人に説明したところで、

悪いようにしか受け止めてもらえないかもしれないので、

相変わらず緊張状態を勝手に作り出してくれていますが(笑)

放置しているのです。

 

この例からもわかるように、自分が視野を変えて見てみたら、

必要のないところに、わざわざ黒く反応している可能性もあるわけですよ。

 

そして一つ前の記事にもあったように、

「目標にした何か」を成し遂げたり、自分が立派にならなくても、

そういう自分が今、見ている世界、捉え方は、自分で変えられます。

 

ご紹介したTakamiさんは、何かを達成したわけではありません。

ただ、何が苦しいのかを探していき、ふと、気づかれた。

 

やったことは、自分を責めすぎずに見つめる、客観的視点の練習だけ。

何かの達成感から自分を許せたわけでもなく、

なのに周囲の人に対する気持ちも、自分への気持ちも、

180度に近いくらい、変わっている。

負担に思っていたことが、他の面では良さも持っていたことにさえ、

目覚められたりもするのです。

 

何を成さなくても、立派に為さなくても、大丈夫だと私が言うのは、

まさにこのこと、なのですよ。

 

そして苦しい人ほど、そのチャンスを「捕まえる機会を持っている」と言えます。

なんせ、苦しみを手放したい、何とかしたい、変化させたいという気持ちが、

そこに「すでに」あるのですから。

 

だから、どうか、あきらめないでください。

成功だの立派だの美しいだのなんだの、

一般的で、王道なやり方だけが、すべてではありません。

人からわかりやすく認められるやり方「だけ」が、正しいわけではないのです。

それも別に悪くはない方法ですが、そのやり方でなくても、別に全然、

問題はないのです。あなたが他の方法はダメだと思い込んでいるだけの話。

 

Takamiさんはこれから「自信を持つ練習がますますできそう」な気がしませんか?

そういうふうに変化した人に、他者からは見えますよね?

そう、自分が気づいたあとで、周囲がそうやって

自分のことを見る目を、勝手に変えてくれる可能性も生まれていくのです。

あなたが今の自分を、マゾ的に責めることを、やめていけばね。

 

そこであきらめてしまったら、実現はしません。

あきらめないからこそ、さらに他の道も探そうという

別視点の気持ちも「より、持てる」ようになる。

そして道を探せば、出会えていくのです、自分に必要な人と。

 

もう一人、出会うまであきらめないことの例を挙げておきます。

一見、普通っぽいこの方も、周囲からバカにされようが、

自分にとって気になることを探すのは、あきらめませんでした。

あえてこういう表現をしてみますが、このおじさんが、

大好きな宇宙と、モロにつながる仕事でイキイキと仕事をされていること、

道ですれ違ったときに見抜けますか?

 

そういう意味で、世間一般と比べて自分の勝ち負けを捉えることの

くだらなさも、伝わってほしいと願います。

 

気づいていける。変えられる。挑戦できる。

自分でそうしようと、決めてやっていくだけでね。

だからこそ、人の力は、素晴らしいものを秘めているのだと、私は言い続けます。

こちらも以前に紹介した動画ですが、再び、プロフィールつきで

ご紹介して終わります。

 

あなたが、自分の世界を、自分で変えられるのですよ。

そのために苦しいやり方を必ず選ばなくてもいいのですが、

少なくとも、今、苦しいからこそ、あなた自身がその機会を作り出せるのです。

 

◎植松 努さん TEDでの紹介ページ
http://tedxsapporo.com/speakers/tsutomu-uematsu/

 

一方向からだけ見て「閉じ続けず」に、

かつ、あきらめずに、別の角度から、自分を開いてみてくださいね。

 

2015_06_25

Photo by 916237
Pixabay

 

「気づき」を見つけた人

ご自身の気づき。

それを大きく、強く、深く、

表現しておられる記事に、出会いました。

 

必要な方に届くことを祈り、

リンクさせていただきます。

 

私の説明など、いらない記事だと感じます。

読んでみてください。

 

自分が自分を苦しめている、ということ。

それに気づかれる人が、

現れてくださいますように。

 

◎Takamiさん
「仁さんにふられて良かったーーー!! 仁さん、ふってくれてありがとーー(≧∇≦)!!」
http://amba.to/1IydLZV

 

2015_06_24

Photo by Ana_J
Pixabay

 

思いのサンドバッグ

自主性 自立心 独立心なんて

自分一人で生きていけるようになってしまうだけの

寂しい人間にしかなれない

 

それをごまかすために 自主性 って 格好つけて表現しているにすぎない

 

心の奥でそう感じる人は それこそ 自分が大切にしたい他者に対しても

その相手には自主性 持たせないよね

 

全部 明かせ 隠し事するな きっとその中には私への不満も隠れているから

そんなのにおびえるのはイヤだ

そうならないよう 全部 明かすのが 愛でしょう? って

 

自主性があるから 尊重 が生まれるのであって

そんなにも全部を 明かしてほしいと思うこと自体 

すでにその時点で相手を見張ってるよね

あなたの寂しさを埋めるための道具に 相手を使ってるよね

 

全部知らないとイヤなのはなぜか?

あなたが 「隠し事=自分への不満」だと決めつけるからだよ

言葉にできない深い愛も 人は内に秘めることができるのに

あなたが勝手に「隠し事=悪いこと=自分への不満」だと思い込む

 

相手の自主性には 任せられないってことはつまり

相手のこと 信じてないんだよ

相手のこと信じ切れないのは

自分のこと 信じてないからだよ

 

自分が「嫌われるダメ人間」であるのが基本形だからこそ

誰かを求めて 誰かを見張り 誰かにそばにいてもらえないと寂しいんだよ

 

お互いが みずから自主的に 相手を思いやる

そこに初めて 深い信頼が生まれ育っていくのに

そういう「ゆとり」を 許さない関係……

 

だからね 何度も言うの

あなたがそこまで 自分を嫌っていることのほうを 先に変えていかないと

他者との関係性も 変わらない

あなたはすぐに何かあると 裏切られたとか

私はこう思っているのに! と思いを山のように 相手にぶつけ

自分の思いを受け止めるためのサンドバッグに 相手を変えてしまうの

だから相手も じゃあ こっちの思いはその中のどこにあるんだよ! って

こちらをサンドバッグのように扱ってくる

 

あるいは ぶつけられすぎて疲れて 離れていく

 

それってさ どこに信頼の生まれる余地 あるんだろうね

見張っている そのどこに 信頼が「そもそも」存在しているのだろう?

 

自分がこの人となら 一緒にいていいな と思うのは

あなたが感じて決めること

そのときは 自分の感覚 きちんと大切にしているでしょう?

自分の感覚に 従っているでしょう?

 

そうやって自分の感覚も 本当は大切にできるのに

自分のことを それでも全然信じないと思い込んでいるのは なぜなんだろうね

そっちを 捉え直してみるほうが 

誰かとの深い信頼関係を築くより 

やっぱり先かも と 私には思えるんだ

 

そこを放置していくと もしかしたら

あなたは お互いを見張り合う 

つまりお互いを サンドバッグにし合う

苦しい依存関係のなかでしか 

怖くて 過ごせないままかもしれないからさ……

 

どうしてそこまで 自分をすぐ悪く捉えたがるんだろう?

何をダメな証拠だと 思い込むことにしたんだろう?

 

その「嫌って当然」という決めつけは 全然「当然」ではないのだよ?
 
ねえ そこに どんな思いが 隠れているんだろう?

 

2015_06_22

Photo by Maximus_W
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