カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

本気で「休む」をやってみた?

いつまでも引っ張って

いつまでも苦しいと思い

いつまでもモヤモヤを抱えるくらいなら

 

本気で1週間 できれは1ヵ月以上

『考える』ことすらまったくやめるつもりで

気合い入れて 休んでみなよ

 

それをせずにチョロチョロ動いて

いつまで経っても「アタマ」で考えて

身体にまで すでに表れている『心の疲労』を

引きずることに どんな意味があるの?

 

考えすぎて 自分を責めすぎて 疲れてるんだよね?

なのになぜ

それを繰り返す必要があるのよ! って

勝手に決めつけ続けてるの?

 

金属疲労 知ってるよね?

同じところで曲げ伸ばししていたら 金属でさえ 折れるよね?

そのやり方だけが正解じゃないのかもしれないってところは

何が怖くて 見つめたくないのだろう?

 

少なくとも 金属疲労並みに 同じパターンで苦しんでいることは

自分がいちばんよく 知っているはずなのに

 

なぜ 折れてもまだ 続けていくべきだと 信じられるの?

 

休んで アタマからも身体からも 疲れを取り除く

自身を心地よくしてあげて

柔らかい感覚を取り戻してから

改めて 問題を見つめ直すほうが

よほど近道なんだけれど?

 

それをダメだと決めつける根拠って何?

あなたが いったい『何』を信じてしまっているか

そっちを知るのは なぜダメなのかな?

 

2016_06_06

Photo by Wikipedia

 

否定的感情はただの「サイン」扱いにしてもいい

否定的感情。

腹立たしい! 悲しい! 私だけがこんなに苦しい!

って部分ばっかり見て、そこのみに注目するのか、

へー、私って、こういうことでこう感じるのね、

じゃあ、私はこの問題をどうしたいの?

また、自分で何を大切にしていきたいと思うわけ? 

という問いかけを使い、

『自分のことに気づく』ためのサインに使うのか。

 

そこで人間の幅の練習って、違っていくよね。

 

怒りや悲しみや苦しみに出会ったとき、

『そう思っている自分がいること』を

しっかり受け止め、味わってみる

(泣く、怒る、モヤモヤを表に出してみる、あえて感じてみる、

相手の前で正当性を主張するだけが

正しくて立派な良い在り方ではないので、

ひとりのときにやってOK)。

 

そのあとで、もしこれがサインだとしたら、

という感じで、自分の内側を覗いてみる。

 

それでも、別にいいんだよ。

 

焦って誰かに何かをわかってもらって

その誰かに何とかしてもらおうと丸投げするから、

事態がややこしくなることも多くてさ。

 

自分でやったら負け、とかいう言い訳を

そこにくっつけているのだろうけれど、

何のことはない、他人の力を自分のために

使わせたい! と、もくろんでいるだけです。

 

別の面から見れば、ごめんなさいね、

とてもイヤラシイ、腹黒いやり方だよ、それ。

 

相手と真摯に向き合い、お互いを

対等なものとして交渉してないもの。

つまり、折り合う、近づき合おうとする姿勢じゃなく、

下手に出つつの、あるいは上から目線での

他者コントロール欲だもの。

 

ましてや、自分は悲劇のヒロインをどっぷり味わう(酔う)だけで

自分の力を一切使わずにぶつけるのみ、の場合。

 

こんな私

=ダメな人間

それを助けてもらおうとする、その『相手』

=ダメ人間に関わる、人を見る目のない人間

みたいなことを、

同時に相手にも示していることになる。

 

関わってくれる相手にも、

むっちゃくちゃ失礼なことを『示す』羽目になるのよ、それ。

自分が、わざわざ選んで! そんなところへ

自分と相手を連れていくの。

 

矛盾してるよね。破滅したくないといって

助けを求めながら、相手を巻き込んで

破壊を選んでいくようなものだよ。

 

どうしようもないのよ! のみを

その瞬間、選んでいるのはあなた。

変えようがない部分はそりゃ変えられない、でもね、

自力を使うこと を拒否し、

自分を知ること、も拒否し、

わざわざ

どうしようもないのよ、だけを見つめるやり方。

それを、そのときに選んでいるのはあなたなのです。

 

落ち着きなよ、とりあえず。 

自分が不快な感覚にわざわざ集中して

どっぷり浸かったあげくに

どうしようもない気分になってる、

つまり自分に振り回されているだけだから。

 

自分が自分を振り回してるのだから、

それを止めるのも自分でできるよ、もちろん。

そこで他人を使って「私への愛の証を見せなさい」

みたいな『ネタ利用』をすると、うまくいかないんだってば。

 

さみしい自分がいるんだなあ、って、

まずそこに、冷静に気づいてあげて、

私はさみしかったんだなあ、って、

自分に話しかけてあげてごらんよ。

 

そうなのよ、って感じで、

 内側でいろいろ、対話してごらん?

 

少なくとも、悲劇の王女! みたいな

黒いウットリ感よりは、

そういう心の内を知ることのほうが、

自分を平和にさせられると思うよ。

 

すぐには解けなくても、いいの。まずは知ってみる。

そのあと、

だったら、どうしよう? 

とりあえず何をしたい?

って、自分に質問してあげて、

疲れてたら休んでいいんだよ。

 

せっかくのサイン、ムダにする必要は

まったくないと思うのだけれど?

 

2016_06_05

Photo by mrtakeaway
Pixabay

 

これからがこれまでを決める……記事紹介

何が起ころうとも、

先に、その意味や答えを見出す必要はない。

後から、わかることは、たくさんある。

 

焦ると、自分の小さい脳みその中でしか

答えを探せない。

偶然という新しい学びの機会を、

わざわざ自分から、

すべて捨ててしまうことにもなるんだよ。

 

すぐには難しいと、わかっているけれど、

実際のところ、スタート地点は単純なの。

自分の『捉え方』が始まりで、実はすべてに通じていく。

 

だから、焦らないでね。

暗い気持ちの方へ、この記事を贈ります。

 

“これまで”が“これから”を決めるのではなく、
“これから”が“これまで”を決める。
理論物理学者・佐治晴夫さんインタビュー
http://greenz.jp/2014/03/13/haruosaji/

 

今日は短くてごめんなさいね。

 

2016_06_03

Photo by Vincentiu Solomon
Unsplash