本気で「休む」をやってみた?

いつまでも引っ張って

いつまでも苦しいと思い

いつまでもモヤモヤを抱えるくらいなら

 

本気で1週間 できれは1ヵ月以上

『考える』ことすらまったくやめるつもりで

気合い入れて 休んでみなよ

 

それをせずにチョロチョロ動いて

いつまで経っても「アタマ」で考えて

身体にまで すでに表れている『心の疲労』を

引きずることに どんな意味があるの?

 

考えすぎて 自分を責めすぎて 疲れてるんだよね?

なのになぜ

それを繰り返す必要があるのよ! って

勝手に決めつけ続けてるの?

 

金属疲労 知ってるよね?

同じところで曲げ伸ばししていたら 金属でさえ 折れるよね?

そのやり方だけが正解じゃないのかもしれないってところは

何が怖くて 見つめたくないのだろう?

 

少なくとも 金属疲労並みに 同じパターンで苦しんでいることは

自分がいちばんよく 知っているはずなのに

 

なぜ 折れてもまだ 続けていくべきだと 信じられるの?

 

休んで アタマからも身体からも 疲れを取り除く

自身を心地よくしてあげて

柔らかい感覚を取り戻してから

改めて 問題を見つめ直すほうが

よほど近道なんだけれど?

 

それをダメだと決めつける根拠って何?

あなたが いったい『何』を信じてしまっているか

そっちを知るのは なぜダメなのかな?

 

2016_06_06

Photo by Wikipedia

 

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