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だいじょうぶだよ(再びの……お節介野郎)

だいじょうぶだよ。

そこから、出ておいで。

 

その場所から動かなければ、

誰かを傷つけたり、逆に

傷つけられたりすることはないだろうけれど。

 

ぐるぐるめぐる、同じ思考パターンから、

抜け出しにくくはなるかもね。

そして自分自身のことは、そのパターンのなかで、

傷つけ続けてしまう可能性だってある。

 

すると自分の心の奥のほうにいる、

震えて、何かにおびえている小さな自分を見つけるのは、

難しくなるのかも……。

 

奥のほうの小さい自分を

ぎゅっと抱きしめてあげながら、

一緒にその場所から一歩、

あなたが踏み出してみてもいいんだよ。

 

世界は、確かに未知だから、

こわいときも、あるかもしれない。

けれど、その一方でまた確かに、

素晴らしいところでもあるのだから。

 

その素晴らしいところに必ずある、

あなたの輝きが、

あなた自身に見つけてもらうのを待ってるよ。

 

だから、だいじょうぶ。

また少し勇気が出てきたら、

小さなあなたと一緒に……

 

そこから、出ておいで。

 

2015_02_24_2

Photo by JonWestra
ID:201403240500
GATAG フリー画像・写真素材集 4.0

 

まっすぐ、あるいはゆがみも含めた正直さ

自分を認めてあげる、解放してあげる、というのは、

見栄や体裁をできるだけ取っ払って、

今の自分の「状態を素直に明かす、示す」ことなんだな、とふと思った。

 

何か気まずいことが起こったときに、それを取り繕うために

相手を責めたりしたくなるけど、人を責めるのって、

自分の気分がどこかで必ず何か、イヤなものを含むことになる。

 

責めているときは夢中で、それに酔いしれているように見える人もいるけど、

それが終わって、たとえそこで相手が全面的に謝ったとしても、

「してやったり」の気分の陰に、必ず、拭いきれない疲労が残ると思う。

 

スッキリした、とか思いながら、でも何か完全には割り切りできないもの。

それでまた、責めた相手に「あなたのせいで疲れたわ」とか

イヤミを言って何とかしようとしてみたりさ……。

で、そのイヤミでさらに自分は疲れるのよね。

延々、イヤな気持ちループだ、それ。

 

また、これも、ひとつの例だけど。

自分を優位にしようという意図で、

薄ら笑いを浮かべて防御のために相手に野次を飛ばすのと、

相手に愛を持って『しっかり!』の意味で野次を飛ばすのとでは、

その「あと」の自分の気持ちが違う、というような記事を今日、読んで、

それ、本当にそうだな、と思えた。

 

野次という形を取ることがいいか悪いか、の部分でなくて、

野次だろうが何だろうが、自分が『どんな意図』から、

相手に対する意思表示をしているのか、

気づいていながらやるのと、気づかないままやるのとでは、

全然、結果が違ってくるな、と思えたのだ。

 

で、たとえば情けない自分を自覚しながら、

それでも言いたいことを伝えてみる、というようなときは、

必ず「表現する言葉も選ぶ」よね?

できるだけ相手が勘違いしないように、

なるべく、自分の気持ちを的確に伝えようとする。

 

これをふだんからやっていけば、それだけでもずいぶん、

いろいろと自分が「マシ」になると思えるんだよね。

それが最初に書いた『正直さ』の話につながる。

 

「あのね、正直に明かすよ。

私がね、こういう言い方、あなたにしちゃうのは、

本当は自分でも情けないのだけれど、

私、今のまま耐えるのは、あまりに苦しい。

表現には気をつけていくから、まずは言わせてね」

って気持ち。

 

奥にある気持ちも全部、そういうふうに正直に明かしてしまうことで、

相手の受け止め方もまた、変わると思えるのだ。

 

イヤなことを言うのって、自分が苦しい。でも、言いたいときがある。

だって言わないと、もっと苦しいから。

そういう自分の「小さい器」、自覚しながら言えばいいんじゃないかな。

 

あなたのせいで! あなたが悪い! どうしてあなたは! 

みたいなことばっかり考えるよりは、

そのほうが疲れ具合、ずっと少ないよ……。

 

で、情けない自分、実際、それがいてもいいのだ。

他人に何を伝えようと、あるいは伝えまいと、

情けない自分、がいること自体を許していい。

 

だって本当に今、そうなんだもの。

自分が、自分のこと、そう感じるのだもの。でしょう?

それを見ないようにすることが、あなたの『ゆがみ』を生み出し、

あるいはまた『ゆがみ』を増強させる。

ましてや、それを何とか消し去ろうなんて考えたら、

余計なことを「さらに」しちゃうかもしれない。

 

頑張ります。

それ以外に改善方法を見つけられない人は、

情けない自分を許そうとしないから

とにかく『馬力をかけて』何とかする、しかなくなる。

そしてまた、情けない自分がいることを許さないから、

他人のことも、何だか必ず許せない。

だから相手まで改善しようと頑張り続けて、

うまくはいかず(そりゃそうだ)、疲れを増やし続ける。

 

しかも、イヤな気持ちのほうも、それによってさらに増えていく。

そのパターンでは、頑張れば頑張るほど、イヤなことが増えていく。

わー、何やってんだろ? って話だよ。

 

そもそも、別にさ。

弱くていいの。情けなくてもいいの。

当たり前だよ、あなたも人間だから。

それより、自分に正直になろうよ。

正直になれぱ、全身の力がいったん抜けるよ。

全身の力が抜けて初めて、やっと次から(!)

何かをするときに『自分のどこに、力がこもっていくか』を

自分で、自覚できるのだから。

全部に力が入りっぱなし、力みっぱなしだと、そういうことにも気づけない。

そしてひたすら力を入れ続け、イヤなことをいろいろ増やし続け、

延々、どこか何かで疲れ続けていく人生……になる。

 

『自分のどこに力がこもるか』という意味については、次回以降、

もう少し書いてみようと思うけれど、

イヤなこと、無理なこと、自分に嘘をつくこと、などをしているときは、

どこかに、あるいは全身に『無駄な』力がこもっていくもの。

 

で、それこそが、あなたの力、あなたのパワーの無駄遣いなのだ。

使うべきは『明るいことにつながる力』であって、

しかもそれなら、あなたは、あまり疲弊しないで済む。

 

だからまずは、正直になろう。

正直になって、まずはいったん、

ふんわり脱力させようよ。自分を、自分でね。

 

2015_02_20

Photo by ゆんフリー素材写真集

 

さらに追記、のブログ紹介

今回、2つの記事を書き、とくに一つ前の追伸では

自分のふだんの感覚とは違うことをやって、ちょいと気持ち悪かったので(^0^;)(笑)

自身のへフォローの意味でも、同じテーマで

ステキな説明をしてくれているな、と思えたものをひとつ、紹介しておきます。

 

自己プロデュース、という視点で話をされている方からの指摘。

ま、これもまた、刺さる人には刺さるし、

反発する人は反発するんだろうけれど……。

 

商売やら自己プロデュースの手法云々、というところではなく、

自分が『ふだん、どんな観点でいるか』の部分で、

何か感じてもらえたら幸いです。

 

もともと私自身は選ばない方面、また、選ばない「説明の仕方」なので、

個人的にちょっと面白いと感じるのです、この方の文章。

ときどき、読ませていただいてます。

 

この方が説明されているように、

他者だけでなく自分のことも、もっと知っていって、

もっと自分自身を輝かせてあげていいんだよね、実は。

それを「おごり高ぶり」だとか、否定的観点だけから見つめているから、

誤解も生まれ、自分を苦しめることにもつながっていく。

 

あと、女性が説明する自己プロデュース、という部分で

「ケーッ!」と一蹴、嘲笑する人ほど、

『人の輪の中心になりたい』な気持ちに振り回されている、という

踏み絵のような話でもある(笑)

 

◎玉来なおこさん
『<言いたいことを言えない>という方へ。<言いたいことを言えるようになる>処方箋をお届けします。』
http://amba.to/16Nc8fT

 

2015_02_07

Photo by Photo Space “Nature