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週末の心の洗濯に

そのうち削除されるかもしれないですが、

タイミングが合う方は、観てください。リンク先を紹介します。

1時間29分の、心の洗濯です。

 

本当はよろしくない形、なのだろうけれど、

各国で上映禁止になったので、こういうことになるだろうな、とも思えます。

国のお偉いさん方が禁止したがるの、わかるわー(笑)

 

何はともあれ、ご縁のある方に、届きますように。

 

たまたま予告編を紹介してくれていた友人、

その数日後に、この動画の存在を教えてくださった方、

さらに私が忘れることのないよう、というかのごときタイミングで

シェアしてくださった、癒羽さんに感謝。

 

そして何より、フランス語を翻訳して

アップしてくださった方に、心から感謝です。

 

説明は、あえてつけません。

ただ、感じてみてくださいませm(_ _)m☆

 

映画「美しき緑の星」、1996年の作品です。

美しき緑の星

 

2015_05_09_1

 

DVDの写真はこちらから、お借りしました。

販売はしていませんが、本家フランスのAmazonより。

一応リンクも。アフィリエイトなしです(笑)

http://www.amazon.fr/dp/B000056EA6

追記: 観終わってすぐにこの記事を書いたのですが、

すでに動画が削除されていたとの情報が来ました。

私はお昼過ぎに知って、そのあと削除されていて、でも数時間後に

復活した、という話も聞いた(そして私は観られた)ので、

気になる方はときどき、タイトルで検索してみたりしてチェックしてくださいませ。

映画宣伝のほうは、YouTubeなどで字幕付きのものがあるはずです。

 

めぐり逢えますように。

 

 

もはや それは幼子の

昨日あった出来事で それは小さなイジワルで

ゴメン もはや 可愛らしいとさえ感じて

思わず微笑んでしまった 私がいた

 

そんな受け止め方 きっと本人は絶対 されたくないだろうけど

ゴメン 本当に幼くて可愛らしかった

 

微笑む自分にも なんだか ほほう と思えたけど

こんなことを つい観察して ついでに自分も観察して

ふふふ と 微笑む私がいるっていうのは

これ 年の功かな? 鬱の功のほうかな?(笑)

 

いずれにしても ますます私は割り切れて ラクになれていて

もはや少し 面白くさえあって

なんだかとても ありがたい話なのである……m(_ _)m☆

 

と ブログ記事を書く前に こっそり つぶやいておこう(笑)

自分のための 記録

 

2015_04_22_01

No. 067
Illustration by M/Y/D/S 転載不可

 

熱々でなく「静かに落ち着ける温かさ」が好みです

なんとなくわかってはいたけれど、

他者の文章を読んで、

あらためて自分の中で腑に落ちたこと。

また短縮URLで、それらの記事も紹介しながら、

今日は思い切り、自分内整理させていただきます。

 

なんのことかと言うと、それは共感の「示し方」。他者との近づき方や、

カウンセリングでの、あるやり方や「度合い」に関する、個人の好みの話。

 

先日、心屋さんがね、共感する面での『女子力』について、

記事を書いておられた。

◎心屋仁之助
「■女子力と、カウンセリング力」
http://ow.ly/3xKKjN

 

これを読んだときに、あー、なるほど、私も、

ハグしちゃうよ、方面の共感の示し方は、基本、しないな、と思った。

 

それが実際のカウンセリングの場面であっても、今のところ

そこまで「熱めの、温かい共感」を示すやり方はしていないし、

私はたぶん、そういう方向性の手法は今後もしない、と。

 

この記事で心屋さんもおっしゃっているけれど、

 

『「わかってほしい」が強い人には

「わかってもらえる」というのが、まず先に、とても大事』

 

というところも、それはそれで、ふむふむと、納得できたのよ。

でもそこで、悩み続けるご本人がとどまってしまうと、

『ただの「くれくれ星人」になってしまう』

という部分に、そーだよなー、カウンセリングで起こる疑似恋愛って、

こういうことから始まるんだろうなー、と、思っていた。

 

そうしたら、ですよ。

今日また心屋さんが、あるお母さんからの、

自分の娘に対する実験的なカウンセリングの体験話を、アップされていて。

 

■自分が自分の「本心」に気付く方法
http://ow.ly/3xKKrC

 

この記事の後半、共感しまくって娘を盛り上げるお母さんの様子を読んだときに、

あ、これはほぼ、私にはできない方面だ、と速攻で思えた。

 

『いなくなっちゃえばいいのにね』(の、さらにオブラート取り去った版)などは

もはや私、言いたくない部類に入る表現だし、

一緒に他者を批判して、その悪口度合いをどんどん高めて盛り上がっていくこと自体、

私は中学生くらいのときから、あんまり得意じゃなかった。

 

だからもし、それで相手から「すごい」と喜んでもらえたら、

場合によっては心地悪いと感じるかも……。

 

そしてこのお母さんを、悪い意味ではなく、すごいと思える私もいる。

何だろうな、私の知らない強さ。

それは私に、娘という存在がいないからかもしれないし、

あるいは自分の内側の一部に、割り切りスッパン! の

オッサン脳(笑)を持っていることも、関係しているかもしれない。

 

だからどうやらね、友だちと話すときでも、

ふむふむ、そうなんだねー、と、

わりと静かめに、温かくゆるく、共感することを好んでいるようなのだ、私。

 

でね、これは完璧に『私が勝手に受け止めた、私側の感覚』なのだけれど、

先日、ある場面において、この記事のお母さん的手法を

自主的に寄り添って発揮するのが、仲良しの愛ってものでしょう!

と、宣言されたように「私が」感じたのよ。

 

詳細は思い切り省くけれど、経過の最初のほうの段階ですでに

かなりハッキリと、それを求められたように「私が」受け止めた。

 

なのであんなにもスッパリと、違うアプローチを示したんだわ、私。

 

しかもそれを、最後に正当化もされたように感じて(この辺は私の

色眼鏡だったのか、それとも事実だったのか、確かめようもないし、

今は確かめたい意志もない)、

それで思わず笑ってしまい、相手のことを『卑怯』と思えたのだわ……。

 

あ、かなり意味不明で、しかも強いこと書いていて、ごめんなさいよ(^◇^;)

それくらい『方向性がまるっきり違う』って自身で受け止めたら、

そりゃもうオッサン脳バリバリに発動させて、スパーンと違うやり方するわ、

私なら……いや、私だから。

 

そういう意味では、相手も人選を間違えていると思えるし、

しかもそのときのテーマが、これまた、とてもとても機微を要することであると

私が『常々、思っていた』ものだったゆえに。

さらにスパーンとしたくなったのだね。

間違えたらやばいと、ハッキリ思えたから。

 

なるほどなー。

自分の感覚や感情の経過を、

まさかこんなふうにたどれるとは思ってもみなかった。

いやあ、自分がどういう人間なのか、また一つ、知ることができました。

 

私は静かに温かい共感を示す、わりと落ち着いたやり方が好きで、

別にそれがカウンセリングでなくても、

自分であれ、他者であれ、近づきたいときは

そういう方法であれこれ紐解き合っていく、

そういうのを好む人間だと、改めて気づいた……。

 

南の島のおっかさんは確かにLoveだけれど、

ま、目指しているのは春だし、この木なんの木だし、

そういう意味ではドッシリしていても熱々では全然ないかー、と、

これまた、謎めいたことをメモしておこう。

 

はい、きっと最後までよくわからないままの方、いらっしゃいますよね、

ごめんなさいね。

私はアメンバー記事を書かない人だし

(今後もきっと書かないだろうな……ここはそのための場ではないし)、

今回の気づきは『木元見春としての私』を示すことにもなると思えたので、

あえてメインブログにて、公開記事とさせていただきますm(_ _)m☆

 

意味不明のまま、最後までモヤモヤされた方がおられたら、

どうか今回だけは、おゆるしくださいませ。

 

2015_04_20

画像番号: kis0102-009
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