「自分の道と、周囲とのバランス」の一例……かな

「私の例」だけ、今回は淡々と語ってみようと思う。

何かの参考になる……だろうか?(笑)

むかしむかし。

私は、本好きな中学生であった。日記や友達との手紙もバンバンやりとりしていた。

つまり活字が、読むのも書くのも好きで、ついでに占い雑誌も好きであった(笑)

その雑誌によれば、私の星座は、情報を扱う仕事に向いているという。

向いている職業として「編集者」という項目があった。

「これだ!」と思った(笑)

そんな単純な動機からマスコミ方面を目指すこととなり、

それが職業として流行っている地域は日本国内で限られていたので、

私は普通に、実家を離れて就職先を探すつもりでいた。

が、しかし。

ここで、母の強固な反対にぶつかった。

母は子どもを愛するがあまりに、心配で身体を壊すような人であった。

私は早産で生まれ、誕生直後に全身黄疸が出て、保育器1ヵ月生活から人生が始まったゆえ、

とくに食も細く、扁桃腺も弱くて、幼稚園時代、すぐに発熱していた。

あとになって聞いた話では、私が発熱するたびに母は

早産してしまった自分を責め(骨盤が小さかったので仕方ないのだが、責めていたらしい)、

その都度、心配して、下痢になっていたらしい……。

幼稚園児の私にとっては、1ヵ月に1度、発熱することは「自分にとって普通のこと」だったし、

寝ていれば別に超高熱になるわけでもない。

身体は確かにだるいけれど、堂々と幼稚園は休めるし(笑)、

おやつの時間には、すり下ろしリンゴ(熱のある身体にはおいしかったのだ!)も

食べさせてもらえるし、眠ければ寝ていればいいし、で、

それなりにたぶん、発熱時間もラクに過ごせていたのだが……σ(^◇^;)

母は、私がそんな気持ちでいたとは知らなかっただろうし、

いかんせん幼稚園児の頭ではそれを伝えて親の心配を減らしてあげよう、

なんて配慮も、もちろんできなかった(笑)

そう、とにかく、心配性なのだ。

「悪いことが、この子の身に起こったらどうしよう」と思うあまりに、

手の届く範囲であれば、見守っていられるし、何か起こっても手をすぐ貸せる! と

たぶん、感じていたのだろう。

その「保護」の枠を、わざわざ自分から飛び出して、

「勝手に」どこか遠くへ行ってしまうなんて判断を、娘がするなんて、と。

うん。ごめんね。それは本当に、申し訳ないと思ったよ。

でも、14歳のときに思い定めて、そのために行く大学まで選んで、

バイトで貯めた自費で、遠くの場所での就活もいっぱいして、一応、頑張ったのさ、私。

その部分は認めてくれていたので、私の前では、母もさすがに泣かなかったけれど、

近所に住む叔母(母の姉)のところへ行って、こっそり泣いていたそうだ。

でね。それでもいつか、実家のほうへ帰ってくると思ってくれていたらしい。

家を離れる前と同じくらいの年月を、親と離れて過ごし、

それまでもずっと「帰ってこないの?」「うん……」という

ごまかしの会話が繰り広げられていたのだが。

今年になって、やっと私は、

「よほどのことがない限り、別にこれから先も、実家へ戻るつもりはないよ」と

本人に、静かに伝えられたのであった。本当に、やっと。

電話の向こうで、母が「そう……」と、落胆しているのは感じたけれど、

さすがに二十数年も時間を経たから、どこかで少し、あきらめてはくれていたんだと思う。

「なぜなの?」と、詰め寄られたり、怒られたりすることはなかった。

実は1年くらい前、私はひとつ、失敗してたんだよね。

私を心配するあまり「もしこんなことがあったらどうするの、

あんなことがあったら△△なのに」と電話で不安な予想を言い続ける母に対し、

長年、それを聞いてきた私は、ついうっかり

「いつも悪い予想しか言わないのはなぜ? 私を失敗させたいの?」

って、あっさり、言ってしまったのだ……。そして当然、母を怒らせた(^^;)

だって「こっち(実家)に比べたら地震が多いし、大きいのがもし起こったらどうするの?

もう危ないから帰ってきたら?」とかいうレベルでも心配されてきたのだ、私。

仕事、生活、将来、それこそありとあらゆる点で、

「もし」という仮定のあらゆる「悪い出来事予報」をずっと、ずっと聞いてきた。

「気をつけるよ」「大丈夫だよ、備えているし」などと言っても、それはムダ。

そして実際、私に失敗が起こったら「それ見たことか」と言わんばかりの心配攻撃(と、

あえて表現してみよう)。それが母の、愛ゆえの言動。

強い強い愛情表現なのだ。

もうね、ストーカーとか、鬱とかσ(^◇^;)きゃー、絶対、言えないよ、であった(あとから伝わったが)。

いまだに伝えていない秘密もある(笑)

とはいえ。

これは私が遠くに離れたからこそ、延々、心配させているのだし、

それは申し訳ないことでもあるし、ありがたいことでもある。

年老いた母親を、今さら責めるつもりもない。

ただ「私とは表現方法が違うんだな」と思う。

まあ、いまだになんだかんだ、親の心配を気にしている、私も確かにね。

でもこういうふうに思えて、また、語れるようになったのは、

鬱を経験したおかげ、と言える部分も大きいので、

人生、七転び八起だなあ、と思える次第である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

code