ゆがんでいても いいのだ
ひずみがあっても いいのだ
完璧な真円にならなければいけないなんて
誰が決めたの?
地球だって 真円じゃないのに
自分を叱咤することで
うまくいくのは
もしかしたら学校の勉強だけかもよ
勉強ってね
誰かが「問題」を先に作ってくれていて
そこには必ず すでに「正解」が用意されていて
いつそれに たどり着くか だけでしょう?
そして
「正解」に たどり着きさえすれば
問題は 解決するのさ
だから自分を叱咤するという「励まし方」を使っても
ある程度までは 伸びるわけで
しかもさ
ときどき テストという形で 能力を試されて
それは必ず「点数」に現れるから 成果もわかりやすくて
勉強する期間も 範囲も
中間 期末 学年末 入試 などと決まってて
だから何とか 続けられたりもする
でもこれ すでに誰かがきちんと作ってくれた道を
淡々と たどるときの やり方なんだよ
なのに 人生の問題で 同じように
自分を責め続け 奮い立たせさえ し続ければ
解決策も見つかるはず なんて
どこかで 思ってないかな?
もしそうなら それはあまりに危険だよ
それだと延々 外側だけに対処して
自分の内側の 自分に対しては
その声も聞かず 理解しようともせず
ただ叱るだけ 奮い立たせようとするだけだもの
いつまで 誰かが敷いたレールを
なんとか探って たどろうとするの?
外側の問題のみに 集中 というつもりなんだろうけど
そうやっていつまで 自分を見捨てて外側に 執着 していくの?
正解など 誰も知らないし
正解なんて ないのかもよ
誰かが正解です と認めてくれたとしても
それが真の正解とは限らず
単に相手にとって 都合がいいだけのこともあるよ?
なのにいつまで 外側に 答えを求め
外側に 合わせ続けるの?
答えは あなたのなかにも
すでに必ず 備わってるんだよ
相手にとってだけ 都合がいいのではない
自分にとってだけ 都合がいいのでもない
折り合える 分かち合える 答えがね
それを求めるためには
叱咤だけでは ダメなんだと思う
ゆがんでいる自分
欠けている部分がある自分
それをまず 知って
責めずに
そうなんだな そういう自分がいるなって
ただ 理解する そこからでいいんだよ
ねえ 弱い自分がいたら なぜ ダメなのさ?
その思い込みを まずは外してみることで
やがては他者の弱さも ゆるせるようになって
すると 他者との関わり方も変化して
自分が少しずつ 楽になるよ
責めるくらいなら 自分の内側への視野を
どうか先に 広げてほしい
いろんな弱さを まず静かに 見つけてほしい
そういう自分がいることを
素直に 知ってほしいと願う
責めているだけでは もはや変わらないのなら
そろそろ やり方そのものから
捉え直してみても いいんじゃないかな
自分を 他人を責めるあなたも また
愛おしい ひとりの かけがえのない
大切な人間 なのだから
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ほとんど磨かれておらず 内側に黒い部分も持っている
そんな原石のままの 素のままのあなただって
本当はこんなふうに 美しい
拒否するだけ 否定するだけ 見ないだけ
それだと 全体像を知ろうとしないわけだから
トータルの美しさなんて いつまでたっても気づけないよね
自分のことは 黒いところしか見ない
そんな偏った視野を続けるの 苦しいよね
ありのままの 自分を見て
いい悪い ではないところで 受け容れてみる
そういう自分であることを 苦笑しながらも ゆるす
そこから新たにもう一度 始めてみても 本当にいいんだよ……