自分の内側

昨日のブログで「自分の内側」という表現を使ったので、

今日は、その内側と外側の境目って、どこなんだろうという話をしてみたいと思う。

 

私の解釈なのだけれどね、私のなかでは「自分」って

「考えたり感じたり」の思いを『持つ』部分、のこと。

部分って言っちゃうと、ちょっと語弊があるけれど。

 

たとえば、私が、誰かのイヤな言動を見て、不快さ、を感じたとする。

その最初の瞬間の「ムッとした」感じ、

そういうなんだかモヤッとしたものって、

胸よりはもうちょっと下、おなかの真ん中あたりにまず表れる。

そして同時に、「え!?」という『頭の中で思い浮かべる言葉』も湧く。

すごく一瞬なんだけれどね、「モヤッ」が湧くときに「え!?」って出てくる感じ。

 

トキメク方向の「ドキッとする」のは胸のあたりで、その瞬間、

頬にもちょっと血が集まってくるし、

同時に頭のなかで「うわっ」とかいう言葉を発していたりもする。

 

悲しさを感じたときも、胸にまず「何か」が来るけれど、

このとき頬には、何も感じない。そして「う……」という言葉が思い浮かんでいる。

どちらかというと、頭の中で思い浮かぶ言葉は、

どこかで感じた「もやっとした何か」が表れたことによって出てくるのかもしれない。

 

で、ですよ。

そうなると内側の私って、感じ取る際に

身体のいろいろな場所を使ってはいるけれど、

「身体全部、そのもの」よりは、

そのもっと「内側」とか「奥」な感じがするわけです。

背骨よりも奥深く、みたいな印象。具体的に想像するの、難しいんだけれどね。

 

こういうことって私は、昔からずっと、

当たり前のこととして、自分の身体を使ってやってきていたのに、

自分が、何をどうやって感じているかなんて、気づいたことなかった。

 

はっきりと気づけたのは、私が死ねなくなったあと。

もう私は死を選べない、そういう意味では、回復することしか道が残されていない。

じゃあいったい、どうやって生きればいいのだろう?

自分をこれ以上、見下げて苦しまないで済むには、どうしたらいいのだろう、と

いろいろ探っていたときに、

たまたま受けた、あるセラピストさんのセッション。

 

その人が「今日は、自分を感じてみましょうか」というレッスンをしてくれたのだ。

そのときに、こうイメージしてみてください、って言われたのが

「私というのは、CD盤の『穴』の部分である。

その外側にCDの部分、つまり『自分の身体』があって、さらにその外側に、

今まで外側だと思っていた『外界』がある。

『私』は穴から、五感も使いながら、

『身体を含めた外側全体』を見渡し、感じている」と。

 

この「本来の自分はCDの穴」っていう表現で、

先に書いたような「感じ」をどこで最初に受けとめているか、みたいな話が、

ストンと腑に落ちた。

 

そうか。

たまたま私は「この身体」の内側にいるけれど、

ここまでが私、っていう区切りを厳密につけるとすれば、

肉体もすでに「自分の外側」って思ったほうが、

なんかスムーズに納得できるわ、って。

 

で、私はこの外側の肉体とは関係が深いゆえに、

感情の湧きどころとして、腹を使ったり、胸を使ったりできる、勝手に。

人前で「あがる」、そういう形の緊張をすると、

足にも震えという「お知らせ」が来たり、

汗をかいたりもするのか、と。

 

で、話を昨日のところに戻すと、だからこそ「自分の内側」、

つまり本当の芯のところの私を磨く、心地よくするのって、

寝たきりでも可能だよ、と言えるわけです。

 

たまたまね、この内側を「心地よく」するために、

キレイな花を見たり、美味しいものを食べたり、身をキレイにする、

という方法は「使える」けれど、

自分の内側を磨くのに、別にそれが必須ではない。

 

自分が「心地よくなれる練習」を積むことが

『内側を磨く』ってことなのだ。

 

そう捉えれば、病があっても、できそうなこと、あると思わない?

笑えたら、免疫力だって実際に上がるんだよ?

外側だけれど、自分と関わりの深い「身体」を大切にしてあげることも

自分の内側を「心地よく」するのに役立ちそうじゃない?

 

お金も、勉強も、成績も、地位も名誉も見栄えも、

「内側」を良くするために「うまく利用」はできるけれど、

必須じゃない、別にそれが「私というもの」じゃないのよ。

 

っていうかどうせなら、内側を磨く、

自分を心地よくしていくために、そうした外側のものと

上手につきあっていく、うまく扱える練習のほうを積もうよ。

それがなければ死ぬしかない、なんて、

単なる思い込みだっていう意味、伝わるかな?

 

そして、自分の「内側」をいちばん「心地よく」してくれて、

自分の内側磨きにいちばん役に立つのが「愛」や「思いやり」と

呼ばれる範囲の、温かい感情、なのだと思う。

 

しかもね、誰かからそういったものを受け取ることが必須、じゃないの。

自分が内側から「それを表現できる」ことが、内側磨きに役立つ。

特定の誰かに限定していなくても全然、問題じゃないの。

見知らぬ人にだって「表現できる」ことはわかるよね?

 

そしてさらに、絶対、とも言えることは、

自分に向けて「愛と呼べそうな範囲のもの」を発してあげることって、

他のあらゆる手段よりも効果が高い

ってこと。

これは私も練習してきて、確実に、そうだと思える。

 

だから本当は、何かを持ってないこと、が問題なのではないし、

誰かにほめられたり愛してもらえたり、が

できていないことが問題なのでもない。

 

あなたが、自分の内側を見捨てている

あるいはまったく無視している

 

ことのほうが、よっぽど大きな問題なの。

だってそれ、いちばん、自分を苦しくさせる方法として「近道」なんだもの。

 

ゆえに、もう一度、言っておくね。

 

自分の外側のことが

うまくいかないという理由から、

今、あなたは、自分が苦しんでいるように

思えるのだろうけれど、

それは「外側のこと『しか』見てない」から

苦しいのだよ。

 

あなたはCDで言えば『穴』の部分。

そこを見つめ直していくことで、必ずいつか、

その苦しみから「あなたにとってやりやすい方法で」抜け出すことができるよ。

身体、肉体を含めた「外側」のものだけを見つめるのは、

そこまで苦しい今だからこそ、ちょっと、やめてみない?

自分の内側のほうに、もっと意識を向けてみない?

 

なぜ私は、自分の内側、芯の部分、

CDに例えれば穴の部分を無視しているのだろう?

どうやったら私は、自分の内側を大切に扱って、

『磨ける』ようになるのだろう?

 

そういうふうに内側を知る練習を始めるとね、

そこに「ものごとを損得でしか捉えていない自分」とか

「見栄を張らなければいけないと信じてきた自分」などが

見つかり始めるのですよ。

 

そういうシンプルな部分からもう一度、

練習、始めてみない?

 

2016_04_26

Photo by Hans
Pixabay

 

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