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変化のリスク。 ~前編~

前回の記事では、あえて

変わるには何か負荷がかかる、

と書き、それを「リスク」と表現した。

たぶん、動けない人には、そのほうが伝わりやすいだろうと思った。

自分で自分の「思考と言動の責任をとる」という表現も、

そう捉えて怖がっている人がいると思い、そのまま使ってみた。

で、今回は人間関係の面に絞り、それって本当に、怖いことなの?

という点を、話したいと思う。

リスク、責任、負荷、と書くと、何かとてもきつくて苦しくて、

そうそう、だからやるのが怖いんだよ、

考えるのさえ、重たくて怖いんだよ、

というふうになっていくだろう。

だからそれよりは今の、この、すんごい苦しくて

他の人より劣ってて、人とうまくいかなくて、

自分がダメなままなんだけれど、

これまで慣れてきた考え方、やり方のほうに

結局は、とどまってるんだよね、と。

うん。

あなたがこの先も、一生そのままでいることのほうを、

きちんと本気で覚悟して選択するのであれば、

それもまた、一つの生き方だろうと思う。

でもそれならば。

苦しいんです、つらいんです、私はダメで、

と吐いて、不特定多数の人に慰めてもらう必要も、本当はないはず。

身内か、親しい友人くらいに、たまに甘えればいいのだ。

厳しい言い方をしているけれど、

本当は変えたくないのに、たまにはちょっと話聞いてよ、

どうしたらいいんだろう、と話すのは、

実は相談ではなく、甘えだ。

そっちを選んだのが自分なのだから、たとえ他者から

大丈夫だよ、などと慰めてもらったとしても、

そのときだけで終わることのほうが多いでしょう?

あー、いっぱい刺さる書き方してゴメンね、

続きがあるから、あえて、なの、もうちょっとガマンしてくださいね。

さて。

怖いから、見たくない。やれない。

やれない、できない、と書くと

とても受動的で不可避な感じがするけれど、

本当は別に、不可避でない。

やるほうを選択する気になれない、という

自分の選択の問題なのだ。

ここで鬱の人に、先に言っておきたい。

鬱の最中は、選択したくなくなる脳みそ回路に

自動的になってしまうだろう。

それは今現在の、脳みその仕組みゆえ、なんだけれど、

実は自分のなかで「やるほうを選択しなくなる思考回路」

が、暗くなっていく過程で先に芽吹いていたことも多い。

途中からだんだん、

もともと、そう考える性格だから、鬱になっていくのか?

鬱になってるから、そう考えるのか?

の区別がつかなくなるような、

卵が先か、鶏が先か、みたいな状態。

なのでここではその、もともと、の部分が

多少は、気づかぬうちに途中からでも、

芽吹いていったと仮定して、話を進めていく

(実際、そういう場合も多いと思えるので )。

で、あらためて、書く。

怖いから、結局、選択していない。

じゃあ、その怖さって、どこから来ているのか?

たいていの場合は「過去から」だ。

過去にイヤな経験をした。

それが足かせになり、同じ思いは繰り返したくない、と。

うん、そうだよね、私もいまだにそういう部分はいくつも持っている。

イヤな経験は繰り返したくない、単純に。

でも、自戒を思い切りこめて書くけれど、人間関係の面で言えば

それって実は、他者を否定し、排除している考え方。

自分の思考のパターンにだけとらわれ、

今、目の前の状況、目の前の他者が目に入っていないのだ、実は。

同じ人相手に、完全に同じタイミングで、

自分も同じ年齢、同じ日時、同じ状況であれば、

あなたはまた、同じような対応をして、苦しく気まずくなるかもしれない。

でも、そんな完全同一のシチュエーションは、あり得ない。

過去は絶対に、帰ってこない。

相手は、以前の、たとえばひどい人とは違う人間だ。

以前は、あなたを「けなす」意図で相手が発言したかもしれない。

でも今回は、ほぼ同じ言葉であっても、

相手が自分を心配してくれている場合もある。

その相手の言い方がヘタなだけで、

以前の意地悪な人とは、意図が180度違う可能性だってあるのだ。

~後編につづく~

何かを変えたいなら

昨日、「ひと休み」のほうで書いた『3月のライオン』のなかで、

とある人が言ったセリフ。

「リングに上がりもしねーで

野次だけ飛ばすヤツを見ると

虫酸(むしず)が走るんだよ」

これは勝負の世界で噛みつくタイプの人が、あるシーンで

ケンカ腰に他人へ吐いているセリフだけれど、

うん、確かにそうだよな、と思える面がある。

たとえば私は「媒体を作る」ことを仕事にしているので、

クライアントさんの中で、たまに「どこかを必ず批判して

変更させること」を自分の仕事と思っておられそうなタイプの

上司の方に、出会ったりもする。

打ち合わせを重ね、制作に入り、完成間近になってから

「ここはこうしたほうがいい」といきなり大変更をかけてくるような方だ。

その変更理由に意味があればもちろん、大切なことだし、

こちらもきちんと考え直さなければいけないのだが、

以前に言ったことを「忘れて」、思いつきで

こっちのほうがいい、とおっしゃる方もいる。

ゆえに私は、経験を積むごとに、そういう匂いがする上司の方にはあらかじめ

きちんと丁寧に「言質」を取り、以前に言ったことを忘れないようにしてもらい、

もし変更する場合は、どれくらいの費用と時間が追加になるかを、

その場でざっと話して確認し、まず了承してもらう、

そうしたことを心掛けるようになった。

顧客満足度を考えれば、変更すること自体は普通にありえる。

変更そのものが問題なのではない。

ただ、ここまでもう進んでるから、追加の費用と時間をいただきますよ、

しかもそれを言ったのはあなたですからね、と

その場で確認し、今後の方針を了承してもらうのだ。

言った人を、制作のほうへ巻き込むような形。

そして発言したからには、責任の一端は担ってくださいね、と

ご本人に自覚していただくわけだ。

とはいえ、これが大企業の役員様クラスになると、

こちらも言うのにかなり度胸がいる。

しかし作るものに対する責任は私にあるから、

たとえ相手がお偉い様でも、場合によっては

きちんと「現実」を見ていただかなくてはいけないのだ……。

そう、変えることには、責任が伴う場合が多い。

自分自身を変えていくときにも、やはり何か、

新しい負荷のようなものがかかるのだ。

だからと言って、何も責任は取らずに

ただ文句をつけたり、「本当はこうあるべきなんだよ」と

言葉だけ並べるのも、違うと思う。

それが自分自身のことなら「言ってるだけで変わらない」ってことに

つながりかねないし、自分以外への提案なら、

「変えることで新たに起こる問題点」には、

言った人もきちんと向き合う必要はあると思える。

せめて、新たな問題点を把握し、それについては、

じゃあどうすればいいか、考えを提示する覚悟を持ってほしいのだ。

そうでないと、本当にただの野次馬になったり、

高みの見物をする卑怯者になりかねない。

ならば変えないほうが無難でいいのか、という話にもなりうるが、

うん、たぶんね、多くの場合で、新たな問題点のほうに自分が

まったく責任を負う気がないなら、

口出しはしないほうが無難だろう。

言い方を変えれば、自身の問題点については、

自分が新たなリスクを負うしかないのだ。

怖くても、震えても。

変えたいのであれば、まずは一歩、くらいから、

新しく自分でやってみるしかない。

慣れているやり方、思考のほうがどれほど苦しくても安心なのは、

そこで起こる問題点自体を「すでに理解しているから」、

まだ少し、安心なだけなのだ。

リスクは負いたくない、でも変えたい。

周囲にせよ、自分のことにせよ、

それはかなり、難しいことなのだと思えるし、

実際やってみると、リスクだと思っていたものが

全然つらくなかったり、「意外とやれるんだ」という

新たな「自信の源」みたいなものにも変わったりする。

そして何より、変化が楽しい、と思えるはずだ。

自分は何も負わず、何も対策を考えず、

周囲にただ変えろとか言ってるだけなら

それは「自己満足」に過ぎないのだろうと。

まあ、自己満足が狙いの人もいるのだろうけれど……。

そうであるなら周囲には、認めてほしいとか、同意してほしいとか、

その手の負担はかけないほうが良いだろう。

とくに自分を変えることは、自分にとって新たに苦しいかもしれない。

それは多くの場合、恐怖心となって表れるだろう。

でも、今の苦しさが本当にイヤなのであれば、

その「新たに生まれる恐怖心」と、

どうしても少しずつ、向かい合ってみるしかないのだ。

より良い、自分自身の明日のために。

自分で自分の責任をとろう、と、決めてみる。

失敗したところで、実はそれが次のヒントになることも多いから、

ちゃんと、自然に学べるようにできているんだよ。

結局は口先ばっかりの卑怯者なんだ、とか、

自分を卑下したりするよりは

きちんと「自分をそれに関わらせてみる」ほうが

よほど楽になれる場合が多いことは、知ってもらえたら……と思う。

それにね、丁寧に向き合えば、対策は、やっていくうちに

きちんとひらめいて、さらにいろいろ考えられるようになるよ。

私の経験でもそうだったし、それはたくさんの

「変えたい人」が、「やってみたら気づいた」と、

私と似たようなことをおっしゃっているので、本当の話。

だから、大丈夫。変えたいなら、勇気を持って自分から、

まずは一歩、踏み出してみてほしい。

あなたを変えられるのは、あなた自身の力であって、

それをもう本当は奥底に備えているからこそ、

変えたい、と、今、あなたは思えるのだから。