木元見春 のすべての投稿

自分が決める選択肢

あなたが選んでいる

あなたが

そう受け止めることを

それに基づいて行動することを

今は 選んでいる

相手の問題に関わりたいのか

相手をなんとかしたいのか

相手から尊敬されたり

愛をもらいたいから なのか

そういう見返りを求めているのか

自分が正しいと納得したいのか

自分が正しいと認めてほしいのか

自分はいい人だと訴えたいのか

自分を否定したいのか

否定したくないのか

他者のせいにしたいのか

それによって自分を

安心させたいのか

自分のことをあきらめているのか

他者を理解することを

あきらめているのか

怖いから動かないのか

恐れを知らないと軽蔑するのか

他者を卑下することで

自分の安定を得たいのか

他者を攻撃することで気持ちを

一時的にスカッとさせたいのか

一時的しかスカッとできなくて

その後イヤな気持ちになりたいのか

なったとしてもいいのか

なったことにすら気づいていないか

自分を卑下することで

動かない理由を作っているのか 

動かない言い訳を自分にしているのか

あらゆる場面で 何かが起こるたび

あなたは(当然、私も)

それをどの方向から受け止めるのか

一つひとつ

自ら選んでいる

もちろん 選ぶ自由はあるから

自分を傷つけるのも

選択肢のひとつなのだけれど

いつまでも続けていたら

ただ単に 苦しいだけだと

そう思えるよ

もしそれを変えることすら

ダメだと思えるなら

その ダメだと思う気持ちも

ただの選択なのだと せめて

気づいてもらえたらと思う

そんなことを感じていたら

またタイムリーに現れた記事。

恐るべし、衛藤先生だ……。

言い方が違うから

こちらなら納得できるという人も

いるかもしれない。

最後にリンクを張っておこう。

http://ameblo.jp/n-etoh/entry-11490669269.html

外側からの愛 内側に隠された愛

外側からの愛で 自分の穴を埋めようとする人は

自分で自分を否定したまま

誰かに認めてほしいと願っている

自分のことを わかってほしいと

ステキな ちゃんとした人間だと

思ってほしいと願っている

なぜ 自分を否定したままなのか

なぜそんなふうに 自分を自分でいじめ続けるのか

その点については 放置したままでね

しかし相手には 相手の意思がある

あなたの思う通りにはしてくれない

だから 相手に振り回される

あなたは願う

少しでも自分を見てくれたのなら

もっとちゃんと見てほしいと

もっと自分を愛してほしいと

しかし 一方的なそれは 一方的であるがゆえに

ときに相手に 押し付けとさえ受け取られてしまう

そのとき何が起こっているかというと

絶対に 埋められないと信じこんでいる自分自身の穴を

自分の外側のもので 必死に埋めようとしているわけだ

ねえ その前提が もう違うよ

人は 自分のことを 好きになっていい

ダメでも 弱くても 好きでいていいのだから

自分のことを 一番大切にしてあげられるのは

まず何よりも 自分自身なんだよ?

そんなことできるはずがないと 思い込んだのはいつ?

理想通りに進めないとダメだなんて

決めつけたのはいつ?

思い通りのよい人生を

他の人はちゃんと送っていると

勘違いしたのは 何がきっかけだったのだろう?

理想を追い求めるあまり

常に“今の”自分を否定し続ける人は

この先も決して 思い通りの人生を歩めないし

理想にだって到達しないよ?

だって 通過点を歩んでいる最中の

練習している自分を

馬鹿にしているだけなんだもの

一足飛びに上達するのが普通だと

世の中の他の人はその「普通」だと

思い込んで もうしっかり

決めつけてしまっているのだから

そんなやり方で 思い通りの人生に

到達はできないし

そもそも思い描いた通りの人生を

歩んでいる人なんて 皆無といっていい

そんな予定調和のとれた

美しい素晴らしい理想的な人生なんて

誰も歩んでなどいないのだ

日々 状況は変わり

悲しいことも 辛いことも

楽しいことも うれしいことも

交互にやってくる

その中で人は常に少しずつ学び

感じ方を変え 意識を変え 歩んでいく

そこにやっと 進歩が生まれるのだ

まだ理想的なものを

何も持っていないのは

それが今 通過点だからに過ぎない

だから決して 自分を否定する必要はないし

通過点の自分を 否定してはならないとさえ言える

否定すればするほど あなたは理想と今との距離感だけを味わい

そこから 進めなくなることだろう

人生とは 歩み続けていくこと

つまり どこか 何かの点では

必ず通過し続けているということだ

だから 理想的な状況に

達してないからといって

あなたが ダメなわけではないのだ

一生 可能性を抱え続けていく

唯一無二の存在であるあなたは

生まれてこの方 ずっとそうであったし

これから先も そういう存在なのだ

あなたは 今の自分をまず

そのまま 今すぐ 許してあげていいんだよ?

通過点で当たり前だし それでいいんだよ?

あなたには 何も欠けていないの

あなたは自分の中に すでに

たくさんのたくさんの 可能性の種を持っている

自分自身への否定をやめることで やっと

その種の存在に少しずつ 気づけるのだ

だからこそ 否定という枠を

まず取り払わないといけない

必要ならば記憶をさかのぼって

自分を否定し始めた その記憶自体を

もう許して 手放してあげるのだ

過去における あなたの最大の過ちは

起こった出来事のひどさや

出来なかった成果云々ではない

それは何らかのきっかけで

自分を否定し始めたという事実

その点にあるのだから

失敗は成功の学びに変えられるから

それもまた 単なるひとつの学びでしかなかった

本当に ただそれだけなのだ

あなたはまず 外側からの愛より先に

内側からの愛と信頼を 取り戻さなくてはいけない

それはあなたの内側で

巧妙な言い訳や理由をたくさんくっつけて

すでに隠されてしまっているけれど

あなたにもう一度 気づいてもらうことを

ずっと待ち望んでいるのだ

思いやりとその解釈

人からの信頼を

あっさり 裏切って

あとからやるからいいもん と

言い訳に変えられる

夏休みの宿題レベルみたいな話

そんな人が 実際 いるんだね

裏切っていることは

勝手に都合のいい 猶予期間

ごめんよ

他者からの思いやりに対し

黙って嘘つける人

本当に初めてだったから

意図がまったくわからなくてさ

わざわざ

信頼を裏切られると困る理由まで

説明してみちゃったりしたんだけど

逆に 落ち着いてくださいよと

言われる始末

あなたが困っている今の事態

それそのものを

自分や他者への言い訳

都合のいい免罪符にしていたとは

まったく 想像してなかったんだ

それさえあれば 思いやりを

寄せてくれた人に

黙って嘘ついても

あとからなんとかすれば許される

その発想自体が

理解できなくてさ

もしかして しでかしたことに

おびえてしまっただろうかとさえ思い

丁寧に下手に出て 自分の

困る気持ちだけ伝えて

探りまでいれちゃったよ……

平気な顔してなりゆき任せだったとは

想像できてなくて……

思いやりや信頼を そんな形で

しばらくの間だからいいやとか

都合よく解釈して あっさり

踏みにじる人もいるんだなあ と

新年に書いた マザーの言葉が

あらためて 身にしみた

そんな学びになったよ

これ 本心でそう思える

私なら 先に手を打つし

どうしてもそういう事態になるなら

本当にごめんなさいと

真剣に自分から 申し出てしまうからさ

そうか そこまでしなくても という

解釈ってあるんだなあ と

思いやりには 応えなくちゃという

気持ちより

申し出るという

自分の後ろめたさのほうを

優先できる

そのための言い訳に使って

それで自分をも 仕方ない と

納得させている……

うん だからさ その免罪符の使い方

この先もしかして

いろいろつらくなると思うけど……

それは相手の問題で

私が解決してあげなくちゃ

いけないことではないから

がんばってほしいとだけ 最後に祈る