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追伸:悪口言われて気分良くなるはずないよね

ほぼ たいていの場合

他者から比較されて 罵倒されたり

そういう方向の悪口言われたら イヤだよね 傷つくよね

 

で 今のあなたは

さんざっぱら

自分に悪口言ってきているけれど(それこそ何年かけて?)

 

言うのが他人だろうが自分だろうが

『言われたほう』は腹が立ったり

悲しんだりするよ 当たり前じゃない

 

そんなことを自分にやり続けながら

なぜ 私は うまくいかないのか って?

 

自分をそうやって傷つけ『続け』たら

いつかうまくいくと信じているのは

それこそなぜなのさ? と問いたいわ

 

鏡に映った 

あるいは映しもしないで

想像で思い浮かべた自分に

もう一人の自分が 罵詈雑言吐きまくってるの

四六時中 自分に文句つけてるの

 

そんなの 心地よく生きていけるはずないよね

なぜそんなやり方が『正しい』とか

『そうじゃないといけない』とか

なぜ本気で 信じてるのだろうね

 

しかも よ

そのやり方によって『結果的に』だけれど

あなたは 周囲に対しても

批判的になってること 多くない?

周囲の人にも 不満を感じること 多くなってないかな?

 

ねえ そっちのほうが 意味わからなくない?

 

あなたが自分に向かって吐いている 悪口の言葉を

あなたの表情で

ソックリ真似をして 私が繰り返したら

 

あなた 間違いなく 傷つくよね?

 

じゃあ 『人』を傷つけ 不満も増やすというその行為 その手法を

なぜ自分には 延々 やり続けての?

 

それはどんな意味がある自作自演なの?

そのやり方でなくても そもそもそんな捉え方しなくても

いいんじゃないのかな?

 

どこから なぜ そんな「信念」が 自分の中で始まって 

それが正しいのだと信じて 続けてきたのか

その根っこを知って やめたほうがよくない?

 

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あなたが毎日 自分に対してやっていることを
図解するとこうなるけれど
これ いつか必ず良くなるのかな 自分が……
ホントにそうなのかな? 
なぜそうする『べき』なのだと あなたは信じてきたのかな?

Illutration by ijmaki (Adapted)
Pixabay

 

信じていないのに「正解を言ってる」?

自分はダメで いつも○○が××で 

自分には価値がなくて

自分のことなんて 信じられるわけがなくて

 

ねえ

そのダメな人間が言ってることを

なぜこの世の唯一の正解であると 

あなたは信じているわけ?

 

そんなにもダメな人間が言ってることを

あなたは なぜ 信じられるの?

 

そんなにもダメな人間なんだから

ものすごく偏った ものの見方を

しているかもしれないじゃない

 

あなたは 自己を信じられないと言いながら

その一方で メチャクチャ「自分の意見」を信用してるんだけれど?

 

いい加減 そこを 疑ってみたら?

この人はなぜこんなにも 

とある人(自分をそれくらい離して見てごらん)のこと 

バカにして 見下げて 

その人と他人を 比べてばっかりいるのだろう?

 

なぜこの人は そんな生き方をしているのに

苦しいとか 言うのだろう?

 

自らを苦しませる方向へ連れて行き

延々 苦しませるようなことばかり やっておきながら

まださらに 他者と自己を比べて 

その偏りを「世界のすべて」だと信じて

ずっとずっと

なぜ? なぜ私はダメなの?

なぜこんなに苦しいの? ってやっている

 

その「私はダメ」という規定の 生まれ処のほうは

絶対に探ろうとしないで 

ダメを土台にした世界の表面上で

くるくるくるくる 繰り返し 

あらゆる批判ばっかり吐き出していく

 

そんな空回りの状態なのに

まさに 自己の「矛盾」を 自分で思い切り表現しているのに

そのことに 気づいていないのは なぜだろう?

 

改めて 尋ねるね

「まったく信用ならない人」の ものの見方や判断を

「信じていない人」の しかもひどい罵倒の意見の数々を

あなたが事実だと 信じ切っているのは なぜですか?

 

信用ならない人が言った「ダメ」という意見だけを

あなたが採用し続けるのは なぜですか?

 

その偏った 矛盾だらけの世界観を

自分が「それしかないのだ」と

なぜ信じ始めたのか

今まさに 信じ切っている理由は何なのか 

そっちのほうを そろそろ探ってみたらどう?

 

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ナゼですかー? それホントですかー? ナゼですかー? それホントですかー?
ちょっとホラーだな(^^;) でも本当に 今までのあなたって 
まさに「心の中の狸」に 化かされ続けてきたのかもよ?

Photo by kisendo
Pixabay

 

コンプレックス(=自己否定)が前提のときのお話

「○○できれば、私はこんな苦しさと

オサラバできるのに」

 

「○○さえあったら、自分はもっと幸せだったのに」

 

この言葉を発するとき、

そこに存在している自分の気持ちって

『○○がない(持てていない)から自分は不幸』

という、決めつけだよ。

原因を○○のせいにすることにより、

もっと大切な部分を見逃してしまう、という状態。

 

本当はね、

『○○のせいにする』ことって、

ときには有効で、現状を打破するための

よいきっかけにも使えるのだけれど。

 

私のブログを読んでくれている人には

そんな打破、思いつきもしないわ!

という苦しさの中にいる方も多いかと思えるので、

今回は、もっと別のところを、深く掘り下げてみたい。

 

さて。

○○できれば

○○さえあったら

 

これって、過去か、あるいは過去から派生した今、

を見ているよね。

 

そしてそれが、自分で物理的に達成、

手に入れることが可能な場合もあれば、

自力だけではどうしようもないものもある。

 

まず、○○に当てはまりそうなものの例。

自分にまつわるものから言えば、

お金、学歴、ステキな顔や身体の、部品および形、

音楽系や美術系などのいわゆる「才能」的なもの。

気が利く言葉を発する機転、そういう系の能力。

 

環境で言えば、

ステキな親(笑)、家族、親戚、友達、知人、

今の住まい、学校、仕事、職場、

生まれた家、生まれた地域、生まれた国……。

 

さらには

チャンス、めぐり合わせ、なども、あるかも。

 

これさえあったら、こうだったのに、

あるいはこうなるに違いないのに!

 

うん、まずこれ全部、単なる仮定の、

あなたの「たぶんそうなるはずなのに」という想像だよね。

それぞれ、これらを手にしていても

不幸な人は山ほどいるよね。

 

そしてそれぞれ、あなたには今、

あるいは昔、あるいは昔から今までは

「欠けていた」ものなんだ、と。

 

で、ですよ。

上記に並べてみたものって、ほぼたいていの場合、

手に入れられれば、一人で心地よく、

満足できるわけではない。

 

そこには必ず「見比べるもの」が

対象として必要になることが、多いはずなの。

 

だって『ほら! どうよ!』と

他者に見せつけられないのであれば、

その魅力が半減あるいはゼロになるものも、

上記の中に、たくさんあるじゃない?

つまり『見てくれる他人』の存在も必要、と。

 

つまり今のあなたは、そんな「埋める」方法論ばかりに頼って、

達成すれば苦しさから逃げられる、

と思い込んでいるわけだけれど、

その方法論自体が、すでに「比較前提」なわけですよ。

 

ねえ、手に入れるかどうか、それ以前に、

その根底にある「優越感LOVE主義」こそが、

あなたを苦しめてるんじゃない?

なぜ比較のなか『だけ』で生きてるの?

 

しかも、比較してるつもりで、自分にはメチャクチャ注目。

欠けているところばかりとはいえ、

自分のことをメッチャクチャ必死で「見つめてもいる」よね。

そのあとで周囲を見渡してキョロキョロ、比較。

 

嫌っているのに、自分のこと、見つめまくり。

しかも欠けているところだけ見て、他人と比較しまくり。

 

もうあなたは、少なくとも、自分に注目できる力、

あるんじゃない、すでに。

だったらそんな『優越LOVEの方法論』に頼らなくても、

欠けている自分から『死』という形で逃げようとしなくても、

その『優越LOVE視点』そのものから、

自分が抜け出すことはできるのよ。

 

視点がズレてるよ、と何度もお伝えしているのは

ここなのです。

何かを達成すれば、こうなれば、ではなく、

なぜ私は

比較による優劣と「自分の欠けているところ」だけに

注目し、そこにこだわるのか? 

を知ってみる。

欠けているところ(=欠点)を埋め(=なくせ)さえすれば、

私は幸せになると「自分で信じちゃって」いる、

それは、なぜなのか?

そこをひも解く勇気を出すこと、なんだよ。

 

面白い生き方の女性、はるちゃんの、

ダンナさんである岡田さんも、

こんな記事を書いてくれているよ。

 

『幸せな人がやっている5つのこと』
http://amba.to/29kb4AE

 

望んでいるものを「達成」しなくても、

自分のズレを知れば、

苦しさが、別の形のものに変わるのよ。

 

たとえば、あなたの「○○したい、○○になりたい」 は

他人から悪口を言われなくても済むようになる、

という安堵感を持つためのものであり、

 

他人に悪口を言われたときに

それが自分に刺さるためには

『もともと、それを、自分がコンプレックスに感じている』

状態が必要なの。

 

そういうシチュエーションが

事前に存在していて

そこで初めて、その悪口が、自分に刺さってくる。

 

あなたが、自分を、そもそも刺している理由を知ると、

刺すこと自体、やめられるよ。

自分が自分を刺すことをやめると、世界が、本当に変わるのよ。

 

と、いつものごとく長くてゴメンね。

自分を、割れた欠けだらけの鏡で

ずっと見ているようなものであること、気づいてね。

自分の本当のステキな姿、見えてないからね、まだ今のあなたには。

 

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Photo by TanteTati
Pixabay