木元見春 のすべての投稿

明日があるという辛さ

鬱の病で、自分の死を願う人にとって

『明日があるという事実』が

ものすごく苦痛であることは、

私も経験しています。

 

このままではイヤだ、と思う気力すら、

自分にはもう湧かない、と素直に思えるでしょう。

 

本当は、そんなときだからこそ、

徹底して、自分に優しくしてあげてよいのです。

そこまで、自分を傷めてしまっているからこそ。

 

今は、そう思えなくても、

自分は本当は、まだまだ捨てたもの、

ではないのです。

 

今はそんな言葉すら、

聞きたくないかもしれませんが、

鬱による苦しみは、

本当は、永遠、ではありません。

 

永遠だと思う気持ちもわかりますが、

あなたが、抜け出したくなったときから、

永遠ではなくなり始めます。

 

そのためには、薬の加減だけでなく、

何を自分のためにしてよいのか、を、

自分に許可することが大切になっていきますが、

そういうふうに工夫することで、

本当は、死という究極の苦しみへたどり着く道を、

選ばなくてもよいのです。

 

人には、必ず平等に、命を終わらせる瞬間が訪れます。

そこは誰にも変えられません。

生きものであるから、必ず死はやってきます。

 

ならば逃げ出すために、

先に死を選んでもいいじゃないか、と

私も考えていましたが、

死に至るまでの苦しみが怖すぎて、

その道を選べませんでした。

 

そして私は、それさえ選べない自分の弱さを、

自分で罵倒していました。

 

が、しかし。

私の場合は、ですが、

周囲の環境が激変して、自ら先に死ぬという選択が

できなくなったあとで、それもかなりあとで、

気づいたのです。

 

あそこで死へ逃げていたら、

私は一生、自分を許さないままで、

終わってしまっていたのだな、と。

その奥に潜んでいた、自分が見ないようにしていたこと。

その「意味」がわかったから、私は言います。

 

その『許さないほう』を 選ばなくても

本当は

だいじょうぶ だよ 

と。

 

2015_05_27

Photo by ゆんフリー写真素材集

 

恋愛での裏切り……

今日はたまたま、恋愛の話で、裏切り、という言葉を

記事やニュースで何度か目にしたので、

それについて語ります。

 

そして今回は、とても想像をたくましくして、書いてみます。

あえて強調して語る部分もあるので、

これを読まれた方が、

実際にそうだと言っているわけでは「まったく」ないことを、

どうかしっかり心に止めて、読んでみてください。

 

恋愛、というものについての、私自身の感覚も、きっと多分に含んでいます。

 

「前は好きと言ってくれたのに 今は嫌いと言った 嘘つき」

ではあなたは、今までに好きになった人のことを全員、

今でもまったく同じテンションで愛していますか? 

大親友と呼べるほど、恋人と呼べるほど

今でもそれぞれの人を思い切り、死ぬほど愛していますか?

 

目の前にいようがいまいが、人の気持ちは変わることがあります。

他者の愛の度合いが変わるのは許さないけれど 

私の愛が薄れることがあるのは、当たり前ですか?

 

「こんなに尽くしたのに」

相手が尽くしてほしいと言ったときに尽くしましたか?

相手に『尽くす』を押し付けませんでしたか?

尽くしたから還せ、って

そういうプレッシャーは一切、かけませんでしたか?

 

あなたがやりたくて尽くしたのではありませんか?

尽くすのが楽しくて、やりませんでしたか?

 

もし逆に、相手から勝手にどんどん一方的に『心尽くし』を渡されて、

こんなにたくさん渡してあげたのだから

あなたももっともっともっと、

私が満足するまで還せ還せ還せ 

と詰め寄られたら、

あなたはその『交換』を、どう感じますか?

 

そしてそもそも、思いやりとは『交換』するために使うものでしょうか?

自発的に、与える喜びのためには、現れたりしないのでしょうか?

 

「どうせ私は魅力がないから」

魅力のない人が、他の人と恋愛関係になるでしょうか?

なぜそんなに自分を低く見積もり続けるのですか? 

つまりは結果だけがすべて、ですか?

もし結果しか見ないのなら、例え結婚しても、

そういう意味では、結果は現れません。

私たちは経過の中を、生きているのだとは、感じられませんか?

 

「私に対して言いたい放題で去って行った」

ではあなたは、相手に一切、何も意見的なことは言わず

一切、何も要求もせず、

愚痴も言わず、常にニコニコして

相手をただ、ホッとさせることのみ、を

真剣に行ったのでしょうか?

 

……伝わるでしょうか。

誰かと愛し合うという時間があったこと

その経験をできたこと

自分は他者から愛される価値があったこと

 

なぜ、その事実は見ないで

相手のひどさだけを見つめて、拡大して取り上げるのでしょう?

 

あなたは一切、ひどいこともわがままも

「恋人ならこうあるべきだ」説も語らず、

完璧に相手に共感を示していましたか?

『共感をきちんと使う』、

つまり、自分の感覚を無視することは一切、しませんでしたか?

きちんと自分をも、大切にしましたか?

 

それでもすまない、違う、と言って相手は去って行ったのでしょうか?

 

短い時間だったけれど、愛ある時間と経験をくれてありがとう

そう思って自分のために、少しずつ

今の心の空白を埋めてあげませんか?

 

あなたは本当は、何に怒っているのでしょう?

あなたは本当は、何に失望しているのでしょう?

 

そこをていねいに、『自分のために』ひも解いてあげることは

きっとあなたにたくさんの宝物を与えてくれますよ。

 

恋愛、という経験は、

うまくいこうがいくまいが、

自分をとても豊かにしてくれるヒントが詰まっています。

 

そちらのほうを、自分のために、ひも解いてあげませんか?

誰かと恋愛ができた、あなたなのですから、

そこにはたくさんのステキさが、本当は詰まっていますよ。

 

なぜそこの部分は、気づこうとしないのでしょうか?

結果を『与えてもらう』ことだけが、

あなたにとっての恋愛ですか?

 

今はまだ、苦しいだけかもしれないので、時の薬も使いながら、

どうかその経験をいつか、

『あなたの中に備わっている愛の質』を

高めることのほうに、使っていただけますように。

 

あなたは すでに自分の内側に

愛を持っているから こそ

人を好きになれるのです……。

(他人を好きになれない、という人も、本当は持っているのですが、

今回はその話、割愛します)。

 

今はつらいばかりでしょうから、どうぞゆっくり、自分を休ませてあげて、

自分を大切に扱ってあげてくださいね。

まずは、その練習を自分から、自分のために。

 

私の勝手な思いを述べて、ごめんなさいね。

私もたくさん泣いて、心がぽっかり穴あきになった経験は、もちろん、あります。

泣きたいだけ泣いて、少しずつスッキリしていけますように。

お疲れさまでした。

 

2015_05_25

Photo by PalBoosy
Pixabay

 

なんとなく、花を……「ひと休み」更新

なんだこれは、な(笑)、好きな花紹介。

巨大な棚に出会える機会は少ないのですが、

子どもの頃からなぜか好きなのです、藤。

 

いつか満開の時期に、下の写真にある

北九州の河内藤園にも、必ず行くわよ……っと。

 

◎「見春屋」木元の ひと休み

藤の花

http://miharu.pleasure.jp/?p=273

 

2015_05_24_3

Photo by ソザイング