鬱の病で、自分の死を願う人にとって
『明日があるという事実』が
ものすごく苦痛であることは、
私も経験しています。
このままではイヤだ、と思う気力すら、
自分にはもう湧かない、と素直に思えるでしょう。
本当は、そんなときだからこそ、
徹底して、自分に優しくしてあげてよいのです。
そこまで、自分を傷めてしまっているからこそ。
今は、そう思えなくても、
自分は本当は、まだまだ捨てたもの、
ではないのです。
今はそんな言葉すら、
聞きたくないかもしれませんが、
鬱による苦しみは、
本当は、永遠、ではありません。
永遠だと思う気持ちもわかりますが、
あなたが、抜け出したくなったときから、
永遠ではなくなり始めます。
そのためには、薬の加減だけでなく、
何を自分のためにしてよいのか、を、
自分に許可することが大切になっていきますが、
そういうふうに工夫することで、
本当は、死という究極の苦しみへたどり着く道を、
選ばなくてもよいのです。
人には、必ず平等に、命を終わらせる瞬間が訪れます。
そこは誰にも変えられません。
生きものであるから、必ず死はやってきます。
ならば逃げ出すために、
先に死を選んでもいいじゃないか、と
私も考えていましたが、
死に至るまでの苦しみが怖すぎて、
その道を選べませんでした。
そして私は、それさえ選べない自分の弱さを、
自分で罵倒していました。
が、しかし。
私の場合は、ですが、
周囲の環境が激変して、自ら先に死ぬという選択が
できなくなったあとで、それもかなりあとで、
気づいたのです。
あそこで死へ逃げていたら、
私は一生、自分を許さないままで、
終わってしまっていたのだな、と。
その奥に潜んでいた、自分が見ないようにしていたこと。
その「意味」がわかったから、私は言います。
その『許さないほう』を 選ばなくても
本当は
だいじょうぶ だよ
と。
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