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やる気がまったく出ない=心の目まい

もともと頑張りまくるタイプの人は、やる気が全然、出ないと罪悪感を持つ。

動けないときに、そんな自分をひどく罵倒するのだ。

そういう人の中には、熱が38℃を越えても動こうとするタイプの人もいる。

身体が傷んで弱っていることよりも

『そんな自分が許せない』気持ちのほうが強いから。

熱が出るのは、自分がダメな証拠だから、認めたくないのだ。

 

かく言う私も微熱なら動いていたけれど、

熱くらいでは自分を責めて動いてしまう、絶賛☆自己卑下中のあなた!

 

心が傷んで、痛んでいるときは、自分がよい視点を見失って

『目まい』を起こしていると考えたらどうなるかな?

目まいがしていても、まだ動こうとする?

安静、を勧める意味、わかる? 

心の目まいも身体の目まいと同じなんだよ?

 

だから、何かをしまくることでごまかすのも、

逆にというかさらにというか、ダラダラと自分を見ない振りするのも

やめていいと思えるよ。

目まい、ひどくなるよ。

まずはゆったりしてくつろがせてあげてね、自分を。

そして視点を、変えてみてね。

 

そのために、自分、ゆるめてあげてね。

 

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Photo by bykst
Pixabay

 

自分をいじめるも助けるも 選択は自由

今の状態 もしつらければ 

その苦しみを 苦しみとして

丸々受け止め続けていくほうを 

やめてもいいし

変わっていくことが まだ恐ければ 

もうしばらく同じ方法 続けてもいい

 

やめられないのは

思い込み が何か あるから とか

脳みそが疲れてるから かもしれない

 

やめられない その理由を探ってもいいし

そのためのパワーを

今はまず チャージするために

寝て 食べて 遊んで 

ひたすら ラクに 過ごしてみてもいい

笑えそうなことしてもいいのよ

落語でも 聞いてみるのはどう?

 

苦しみを 苦しみのまま ますます

自分に深く刻みつけるのも アリだし

そこから 何か 学んでみよう

新しい受け止め方 探してみよう

って捉えるのもアリ

全部 自分が どれでも選べる

 

あ はい もちろん 選ぼうっていう気になれば ね

 

たとえばここ1週間の私

某氏の作った 手抜き書類を

ウガー とか 心で叫びながら整理して

やってみるしかなーい! とチャレンジして

どこが情報として 漏れているか

どこが見落とすと 危険なのか

どうやったら 上手く仕事が廻るのか

 

工夫して はー と ため息も 

たまにはつきつつ 整理して 調べて

 

やったー どこが漏れているか 細かくわかったー

となったら あとは単純に 埋めていけばよくて

 

うんうん よくまとめられたよ 私

と思えれば

あら不思議 手抜き書類の発生源の人には

そういや 恨みは最初から湧いてない

 

そういう意味では今回

ハナから 諦めてたもんねー

これはややこしさ大爆発で 仕方ない って

 

私も慣れてないし 

実はその流れ自体 昨年よりさらに色々

確認しなくちゃいけない部分 増えてたもの

 

ま これは皆が 混乱する元にしか なってないから

やれる範囲でジワジワ 攻略するしかないわって

RPGゲームよろしく ていねいに組み立てていったら

はー なんとか第一段階 クリアだぞ

 

そういうゲーム感覚 そういや昔も よくやってたな

昔はほめてほしかったから やってて

今は 自分が

面白さを あえて感じるために 

いつの間にか ゲーム化させてた

 

で 今のほうが 断然 楽しい!

だって私が 自分の仕事をラクにするために

自分が今後 簡単に仕事できるために

やってるんだもん

クリアできたら ラクになる道筋もまた見えて

そりゃスッキリサッパリもするさ

 

そうなの 恨む前に 楽しむ

自分が飛び込んで クリエイトする

それって私には

新しいやり方 知らなかったやり方

 

そういうことも 選べるのね と実感した

ま のんびりやったから 効率は悪かったけどね(笑)

自分だけの 密かなゲーム感覚であって

経験値上げるためなんだから 別にいいんだー

こんなふうに 自分や他者を「責めない」で

仕事のほうを好きなペースで「攻める」やり方も できるんだね

成功Loveの 認められたがり屋の私が やってるんだよ?

それを実際にやる機会 

やってみて初めて気づける機会

与えてもらったのかも

ありがとう!

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Photo by 無料ゲーム! フラッシュゲーム

 

酸いも甘いも 噛み分けて

花も嵐も 踏み越えて

いいことも 悪いことも

『意識して 自分があえて 楽しんで 味わう』

そんなことも私 もうできるんだよ!?

鬱を経験しなかったら 一生

気づけなかったわ 私の場合

 

なんか ありがたい話……

 

何を選ぶも 自由自在

もう一度言うよ

だから苦しみを 苦しみのままの形状で

味わうことも やめていいのよ

 

そのために チャレンジしてね

達成ではない

楽天でもない

自分のための 楽観 への道

 

味わう という流れへ進んでいくための

あなたなりの 導入部分に

いつか チャレンジしてみてね

 

自己の罪

暴いてみたら

それってさ

罪ではなくて

思い込みだわ

 

そういうことも自分に いつか

感じさせてあげるとラクになれるよ

 

あなたの自分に対するそれ

本当に 罪じゃなくて

本当に 悪でもなくて

十中八九までは

ただの 決めつけた思い込みだから

 

残りの一 二 だけ

あとから 解決できるよ

あとから ね それでだいじょうぶ

 

 

イメージして 変えてみる

自分が 暗く沈んだ気分でいると

街を行く周囲の人たちが

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こんなふうに見えてしまうときって 確かにある

鬱の人なら もしかして そのとき自分に

離人感覚が 湧いていたりもするしね

 

ガラス1枚隔てた 向こう側の世界では

皆がこういうふうになれているのに と思えて

 

そして そう感じた瞬間に またどうしても やってしまう対比

ひるがえって我が身を見ると 自分は

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となっている

 

もしかしたら真ん中のぐるぐるした気持ちさえ

もっとドブ色で 汚くて ぐちゃぐちゃで

冴えなくて 黒くて どうしようもない人間だなと

そんな感覚に陥ってしまうのだ

 

でもね だからといって

『普通の具合』の人はきっと その普通の状態がわりと

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になっているに違いない と 決めつけて想像するのは ただの色眼鏡

 

普段からこんな感じという方は きっと本当に まれな存在だよ

悲しみも苦しみも 喜びもうれしさも

ただ 通り過ぎていくものだと

達観している人でないと たぶん無理

 

普通のときは皆 内側で 別にキラキラまではしていないと思えるし

自分が何色かの感覚さえ 別につかんでいないだろう

 

見ている他者 つまり『外側の人』が 相手にイメージを色づけするんだよね

さらにそこへ 自分に合うか合わないかでいろいろ 『そう見える理由』をくっつける

怒る方面なら たとえば

調子に乗っちゃって

やってないくせに

わかってないくせに

体験してないくせに

この思いを知らないくせに 

気づかないくせにサボってるとか

 

逆に普段から 好印象持ってたら 

自分とは違う意見を言われても 

そう来るか やっぱりあの人 さすがだわ とか 思うかもしれないよ

 

まあ それもよくある話なんだけどね

 

でもサボっているように見えるのは

あなたが逆にやり過ぎてる部分 あるかもしれないし

体験しなければわからないというのも 一種の罠でね

 

前にも話したかな あるお客さんがね ある広告での赤ちゃんの文章描写について

「生まれて2ヵ月経たないうちに こんなに手足を動かすはずないでしょう!」

っておっしゃったのよ

でもそれはたぶん その方の知っている赤ちゃんが たまたま大人しかっただけで

私はその当時 うれしいと積極的に 手足をぱたぱたさせる新生児も

保育器に頭をぶつける未熟児がいることも

たまたま 知ってはいたんだよね……

ま 修正しても問題ない箇所だったから 黙っておいたけどさ

 

ね? 経験していることで 逆に視野が限られてしまう可能性だってある

あなたが知っている世界が 決してすべてではないし

ましてや あなたがやっているから偉いわけでもなく

やれていないから「下」であるとも限らない

 

決めつけていくことで 起こる齟齬 ズレ

自分が自分で見えなくさせてしまうこと

まだ知らない世界があることに 気づけなくなること

それって もったいないと 思わない?

 

知らないことを 即 恥だとか 程度が低いとか 自己卑下しちゃうのも

知る機会そのものを 自分で減らす可能性あるよね

恥をかくのがイヤで 知りにいこうとしなくなるかもしれないから 

それ なんか 食わず嫌いみたいになってしまってないかな?

 

もし外がキラキラに見えて 自分の内側が黒かったら 

キラキラしたそこへ入る『資格』が自分にはないなどと感じるのも

勝手な卑下 に なり得るよ

そんな資格証 誰が持ってるのよ と言われたら 困っちゃうかな

 

当たり前なの

身体が 心が辛ければ

普通よりは暗くなるときもある

悲しくなるときもある

 

だからといって

他の人よりうれしいことが自分には少ない と最初から決めつけてしまうのも

うれしいことを見逃す習慣 身につけていってしまうかもよ?

 

初めて通った道 その道端の花が 可憐に咲いていて それに気づいて

おや めぐり会えてよかった って思えたりもする人のほうが

そりゃ 日々の中でうれしいこと 増えてるよね

 

それが毎日 必ずできるとは限らなくても

できるときに見渡してみること やってみたらいいだけだし

 

そんなくだらないうれしさなんて! ってハスに構えているとしたら

それこそどんどん さらに大きいことも見逃す練習 積んでいるかもよ?

 

もうね苦しくなったら 心の中で

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こんなの 浴びてみることにしてもいいのよ

お日さまの光って 絶対 誰にでも分けへだてなく 降り注いでくれるでしょう

あれって色分けすれば虹色だから まさにこんなのを 降り注いでくれてる

プリズムの実験 見たことあるよね?

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お日さまの光は 本当は身体のなかにまで降り注いでくれているから

キラキラしたもので自分が満たされるの イメージしても 別に間違いじゃないの

 

そんなことできるか! と思えるなら

もっと具体的に 広い明るい草原でも思い浮かべて

そこにいる自分を イメージするのはどう?

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私たちは映像に慣れているから

こういうビジュアルを使って 考えること自体を やめてみる練習もできるよ

 

もし 誰かの苦しみを感じているなら

その人の苦しみを 自分は背負えないと悲しむのではなく

その人の問題は その人が解決できることをちゃんと信じてあげて

キラキラしたものに その人が満たされているのを 祈ればいいと思えるよ

 

そんなふうに 誰かが祈ってくれたら

あなたもまた うれしいよね?

だから やってみていいのさ 単純に

 

自分の中に存在する 力は

イメージする ということでも 発揮できるの

 

子どもだましみたいでもいいじゃない

それで自分が 少しは気分変えられたり 落ち着けるなら

イメージも使っていいと 私には思えるよ

 

気が向いたときでいいから よかったら

ちょっとずつやって 上手に 使えるようになってみてね

 

Photo by

1,3,4 : Blogging Experiment

2 : Webastuces SARL

5 :  Pixabay

6 : Un ragazzo chiamato Bi
    ID : 201405192000
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