木元見春 のすべての投稿

「辛い自分」をそれ以上責めない、憐れまない

鬱、あるいは鬱的な状態により、脳みその働きが

暗い思考ルート中心になっている方は、

働きが普通になれば本当は、

そうは受け止めないこと

も、自分にとって悪く捉えたり、

わざわざわざ悲しい感情を引き起こすきっかけに使ったりします。

 

私も過去を振り返ると、

なぜあのように受け止め、使っていたのだろう、と思える出来事が、

いくつも見つかります。

 

つまりそのとき、それくらい自分の脳みそを、

限りなく疲れさせて、誤作動を起こさせているということ。

 

起こっている事態の内容云々ではなく、

その「根っこの原因」、自分の内側に、

いろいろな意味においての、

あなた自身の「疲れ」があるのです。

 

うまくいかないことがあって、

でもそれを必要以上に、より強く

『うまくいかない、いかない、いかない、

ダメだ、私はダメだ』と、自分が

まるで何かの呪文のように唱えてしまうなら。

 

その瞬間にこそ

「今はそういうときなんだ、

これは自分の脳みそが、

疲れすぎて辛いと訴えてるんだ」

ということに、気づいてあげてください。

 

あなたが、そこでさらに脳みそを酷使して

自分を責めることでも、

憐れむようなことでも、ありません。

そういう脳みその状態になっていること、

そういう症状が出ていることは、

 

よい

悪い

 

の判断を、超えたところにある「事象」です。

 

私たちは、脳みその仕組みを持って生まれてきましたが、

その脳みそのことをすべて知っているわけでもなく、

ましてや、自分が望むように制御できるようにはなっていないのです。

たまたま『思考』として表れるので、完璧に制御できそうに感じるだけです。

思考も機能の一部、ですし、

自分が制御出来る身体の機能なんて、

身体がやってくれている「すべて」のことから見れば、

ほんの一握りしかありません。

 

心臓の動きを、自分で止められますか?

血流に、流れるなと命令すれば、

血管から血は引きますか?

 

とくに思考に至っては、

私たちは、自分で何とでもできるものだと

タカをくくってしまいがちですが、

脳みそが働きすぎ、

疲れが溜まってそれがあまりにキツくなれば、

脳みそ自体が、うまく生きて調整をはかり、

そうやって恒常性を保とうとするあまりに、

「今まで自分が知っていた『いつも』」とは違う働きを始めるのです。

 

もちろんそれだけが問題のすべて、とは言いません。

あくまでもそれは『根っこ』ですから、

さまざまな要因、環境やあなた自身の

ふだんからのものの捉え方や、実際に直面してきた出来事等が、

あなたを痛め、疲れさせてきた面はたくさんあるでしょう。

 

でも、自分で呪文を繰り返してしまうほどのときは、ほぼ間違いなく、

『私は疲れすぎています、もう、これ以上ご自分をいじめるのはやめてください』

という脳みそからの信号が、発せられているときだと思えます。

 

なのに、発熱すればまだ、身体の異常に気づいて多少は休める人でも、

脳みその悲鳴は、無視しようとするのです。

 

その自分に対する『自分からの悲鳴の声』を、

どうぞ今は、まず感じてあげてください。

 

どんな事情があるにせよ、

どんな都合があるにせよ、

あなたがあなたの脳みそを

そこまで痛めつけなくてはいけない理由はありません。

 

私から、断言させていただきます。

あなたはそこまで、

自分で自分を痛めつけなくても、

本当にだいじょうぶな人、なのです。

 

何の根拠があって、って?

この手の「捉え方に関するブログ」を読める環境や事情は、

すでにあなた自身から許可されているからです。

許可? そうです、自分に対して、そうしようと感じることができる「思い」。

その部分で、あなたは、力を備えている。

だから今、すでに、さまざまな可能性を自分のためにつかむ『機会』を

自分が持つことを「許せている」のです。

 

そもそも未来が決まった人など、誰ひとりとして存在しませんが、

鬱の脳みそは、未来を悪く考えすぎて『今まさに』苦しむのを、

この瞬間にやめてほしいと、あなたに伝えています。

 

そう、私のブログを読もうが読むまいが、

未来が決まっていないのは同じですが、

きっと何らかの答えを求めて、私のブログも読もうと

思ってくださった方が多いと思うので、

その時点ですでに、あなたは

「ここから抜け出したい」という気持ちをお持ちのはず。

それを『模索する力』があるからこそ、きっと

こんなタイトルのブログにさえ、目を通してくださっているのですよ。

 

どうか、この事実が知らせてくれている『あなたの力』を、

ご自身で、感じてみてください。

そしてそのことを、信じてください。

あなたはすでに、力を備えています。

だからこそ「答えを探そうとすることができる」のです。

 

私は、そのあなたの力を信じているからこそ、伝えています。

あなたの力が発揮されているからこそ、

このブログに今、たどり着いてくださっていることに、感謝いたします。

 

それは、間違いなく、あなた自身の力。

あなたが、あなたのために、すでによい方向で発揮できている力なんですよ。

 

だからどうか、これ以上、

ご自分の脳みそを、疲労させることはやめて、

いったん、ご自身をゆるめてあげてください。

 

あまりにも疲れてしまった、

そういう脳みそなんだと、今はただ、認めてあげてください。

それを批判しないでください。よけいに脳みそを使いますから。

 

そして、脳みその疲れを減らし、誤作動を少なくしていくために、

温かい方向の心地よいものを、自分に感じさせてあげてください。

温かい心地よいもの、のみでしばらく、自分を満たしてあげてください。

あなたの脳みそが、少しでもラクになれるように、

溜まった疲労を、少しでも手放せるように、そうしてあげていいのです。

 

何かを捉え直していくのなら、その疲労感が『抜けたあと』からです。

どうか、私が、これを読んでくださっている方のお力を信じているように、

あなたも、ご自身を信じて、

今の自分を罵倒もせず、悲観もせず、

「そこまで疲れているから、休んでいいのだ」という許可を、

ご自分に出してくださいますように。

 

私はどんなに馬鹿げていると言われようと、

きれいごとだと笑われようと、

これからもこれを読んでくださる方自身のお力を信じて、

こうした文章を綴り、心から祈ります。

まさに今、あなたはすでに、本当にだいじょうぶな人です、と。

それは、本当に『単なる事実』なのです。

 

2015_04_11

Photo by 写真素材ルーム

 

出来ない奴と言われたくない』の罠

ここ数日、ときどきツラツラ感じて、考えてみた話。

なぜお姉さんが苦しくなっちゃっているか、を

「認められたい」の方向性の部分で、私なりに丁寧に、解釈してみようと思う。

 

自分もまた、お姉さんと毛色、やり方は違うけれど、

「認められたい」という気持ちがあるから、それゆえに、私が感じることね。

 

本当にそうなのかどうかは、お姉さんに聞いてみないとわからないけれど、

聞いたところで今は答えてくれないだろうし、

お姉さん自身が、たぶん見えてないだろう、と思えることでもあるので……。

 

あくまでも、一つの捉え方と、ある変え方案の例として、読んでみてください。

私もそこを意識しながら、文章を綴ることにする。

 

まず、会社の、現在の体制的な問題点の、ざっくりした説明から。

私が見ていて、体制や役割分担や情報整理の混乱が起こっているのに、

それがそのまま、意外にも各部署で放置されているのは、

「まあ、人には向き不向きがあるから、仕方ないよね」という、

会社としてのユルさが、まず根底にあるのだと感じられる。

 

それは、一見、よろしくないように見えて、

実は懐が深い会社でもあると思えるのだ。

出来の悪い社員さんの至らない部分を、みんなでカバーしようね、って感じの

温かい気風は、確かに各部署にあるから。

 

だがしかし、そうしたカバー、フォロー。

それらにも、いくらなんでも、限界はある。

ぶっちゃけ、仕事上で明らかな手抜きをして、営業中に

スポーツジムへ行ってる気配のある(笑)おじちゃん社員(50代半ば)まで

放置しているのは、やはりマズイかなと思えるわけです。

 

ゆえに、フォローしてあげるのは別にいいけど、それならそれで、

ここまではちゃんと情報を整理して、

こちらにわかるように出しておいてね、というところを、押さえる必要はある。

 

私が改善と言っているのは、そういう「フォローするならするからさ、

その上で、せめてもの最低限ルール化づくりしようよ」の部分なのです。

 

ゆったりした企業風土をぶっ壊してまで、

全員、仕事出来る人になれ、とか言うわけではない。

ま、本当はそのほうが、いろいろな売上や

営業的な新規開拓チャンスも増えるんだけど

(ということが、補佐をやってる人間にさえ見えるユルさなのよ!)、

これらのルール化をあまりにもレベルアップすると、

もともと「ウッカリさん」な、おじちゃん社員や、

専門知識が足りない若手社員は、辛くていられなくなりそうなのも、事実。

 

で、まあ、それでも「最低限のルール改善」をすることにより、

業務の流れは格段に良くなるし、こちらも隣の部署の仕事を、

分担変えしやすくなるな、と感じるわけです。

 

しかも、分担変えするならするで、

これもまた、ちゃんとメリットはあるの。

そのメリットについて、私は上司数人に質問やヒアリングをして、

なるほどー、それも一つのやり方だ! と思えた。

実際にそれをやるとしたら、逆に今度はうちの部署の社員さん達も、

ある種のレベルアップを多少はしなくちゃいけないんだけどね(^^;)

 

とまあ、とかくその風土にも仕事のやり方にも、

裁量に任されすぎで流動的な部分がありますよと。

その中で、私やお姉さんが補佐、補助、突発対応するわけだから、

改善していけることは小さな部分でもいろいろあるなあ、って話なの。

 

と、こ、ろ、が。

お姉さんはたぶん『出来る人と思われたい』がゆえに、

ある業務の、「この部分が悪い」と指摘することは、本当にたぶんだけどね、

「私がそれを上手に、または完璧には『こなせない』と宣言するのと同じである」

と思っておられる気配があるのだ。

彼女の言動から、その匂いが漂ってくる。

 

それゆえに、表情は嫌そうなものを感じさせるのに

「だいじょうぶです」とすぐ言って、

あっさり引き受けられるように思えるのですよ。

 

本当にだいじょうぶな場合って、その人の表情や仕草に、多少でも

その思いは表れるよね。

わかるかな、受け止めるゆとり……というか、間、垣間見える心構え的なもの。

そこがね、お姉さんにはないの。どちらかというと一瞬、テンパるような感じ。

 

これは無駄話ができなくなる前からの話で、

それゆえ、私も内心で「本当にだいじょうぶかな?」とは感じていた。

 

こちらも、今のタイミングでいい? などと、

書類渡し等でお伺いを立てられる、時間的な余裕があるときでさえ、

なんだか平板な表情で「だいじょうぶ」と。

あの、それ、見た目に「焦りそうだけど無理とは言いたくない」ってことを、

やっぱ表してるんじゃないかい? って思えるの。

 

そしてお姉さんが「だいじょうぶ」と引き受けている、まさにその横で

お姉さんの下に付いてる女の子が、明らかに「わーっ」って感じの表情、

しているときもあったりして……(^^;)

 

どうかしら、伝わるかな。お姉さんの「無理している感」が、なんとなく。

だからこそ、うちの部署の前任者が無理やり振られてた仕事を

私が戻したら、お姉さん、怒ったのだと思える。

 

焦っていたゆえにお姉さんが無くしたのであろう書類も、

あとから見つかっていたかどうかわからないけれど、

もし見つけていたら返せなくてシュレッダーにかけるしかないだろうし、

それで私に対して後ろめたくなって、ぎこちないのかも。

 

あるいは結局、お姉さんが見つけていないなら、

無くした事実自体をお姉さんは自分で認められないから、

「渡さなかったかもしれないのに

(なんせ本人はテンパってて、覚えてないからね)、

こっちの責任だと確実に決めつけている!」と、

怒っておられるように感じられる。

 

なので私も、その点では今後、もしお姉さんが同じミスをしたら

それを本人に認めてもらえるよう「ある種類の重要書類作成・渡しにおける

チェック表への、受け取りサイン欄」を設けることにした。ビシッとね。

会社的には、無くされたらマズイ類の書類だったし。

 

それがまたね、私も、手っ取り早くボールペンで線を引いて、

表に欄を付け加えたのさ。

チェック表自体はたくさんコピーがあったから(前任者、予備コピー好きでした)。

つまり見た目に、いかにも急いでビシッとしてみた感じの(笑)欄になったので、

事情を知ってるウチの部長には「お、早速、対策立てたね」と軽く笑われたけど、

いやあのね、部長、だから無くしたら本当は、

会社としてはヤバイ方面の書類ですってば(笑) ユルイな~(*´▽`*)

 

と、余談つけつつ。実際、お姉さんが書類を無くしちゃったのも、

無理なタイミングで「だいじょうぶ」と

受け取ってしまったからだろうと私は感じていて、

そこはきっと、今のお姉さんには見えない部分なので、

トラブル回避として、あえてサイン欄で『見える化』してみたの。

これをお姉さんに、イヤミと捉えられないことを祈る(笑)

 

ま、欄のことはプチ対策の例として置いといて(笑)、

つまりは、自分が「よい感じ」に仕事できる、評価をもらえるようにするなら、

別に、量を完璧にこなすだけでなく、

全体の流れから見ての改善提案も、できる範囲でやってみていいはず。

なのに『認められたい』今のお姉さんには、それが怖くて出来ないのかも、と思う。

そういう視野を持つこと自体『自分の負け』みたいに、

今は思えるのかもしれないな、と。

そう、たぶんお姉さんにとっては、

とにかく与えられたものを、量が多くてもこなすことが、

今は「認められるためのチャレンジ手段」なわけだ。

 

でも、それは明らかに、お姉さんにとって『ひとつの機会の損失』であると、

私にはね、思えるのですよ。

もしこの読みが合っていれば、

量的な完成度だけ見過ぎて、会社の業務改善や、

業績改善にもつながるポイントを見つけておきながら、

お姉さんは、それを怖くて活かせないのだろうから。

 

また、これをさらに別の角度から見たら、

「つまりお姉さんは、自分の出来具合だけを見つめ過ぎてしまうあまりに、

仕事がある意味、逆に、出来ない人」という評価も、可能になってしまうのだ。

会社の今後の利益まで見渡しての業務改善はせず、

目の前の、自分の評価だけに固執するという部分でね。

 

お姉さん自身も、仕事の流れの悪さ、手間がかかりすぎな面には

ちゃんと気づいているんだよ? たいへんだとは、わかってるはず。

だからこそね、もったいないと思うのだ……。

能力はありそうなんだもの。

 

とまあ、またもや身近な例で、自分の視野と全体的なもの、の話をしてみました。

何か必要な部分が、必要な方に伝わるといいな。

 

2015_04_10

Photo by 田中良直(*)

 

はい、こういうお魚くわえたドラ猫を追いかけたいがあまりに、

その猫の動きと魚の具合だけに注目し過ぎると、

自分が裸足だと気づかず足を怪我するかもだし、

また周囲からの注目も、自分の狙いとはまったく違う種類のものを(笑)

浴びてしまうかもってことですσ(^◇^;)

(* この写真は、ネットニュースにもなられていたので、今回はその事実に甘え、
撮影者ご本人には事前許可を申請せず掲載、すみません。Instagramより)

 

なぜ そこに 至ったか?

なんだか なかなか 面白い

今の私は 自分に対する

0か100かの姿勢を

見せられているような気がしてきた

 

自分のミスは 認めないで

自分のやってることは 認めてほしいとか

 

こちらに対して 気まずくなるようなこと

自分からやっていて

あるいは問題を 自分で作っておきながら

なのに 自分がそれをしたことは

まったく蚊帳の外

 

なぜそこは まともに

捉えられないんだろう……

 

だってさ こちらへ表す態度は

『なんだか私を 気まずくさせたわね』

でさえ「ない」んだよ? 

そこの自覚はないというか

そんな話 もう消えてるの

 

自分がやったことで起こったのであろう

たぶんね 私に対する『後ろめたさ』は

なんかもう はるかな宇宙のかなた くらい

どっかに 行ってしまっているようなのよ

 

でね 相手が 「あなたが悪いのよ」

で 凝り固まって 勝手に怒っているという……

 

私も一応 何かしただろうか と思って 

状況を思い出してみても

または メールを読み直してみてもさ

感覚が変わらないのよ

「その問題 やっぱ 私のじゃない」だけ

 

刺激したか と言えば 

私はあなたのその問題 こう感じてるよ と 端的に抽出して伝えたとか

「こっちでやるとまずいから」「え? 渡したよね?」の言葉だけ……

 

こういうのが 

他者に自分の問題を投影する

他者が 自分の問題の鏡になる 

ってことなんだろうなあ きっと

 

でね

今回は私 小さな規模ながら

仕事でも プライベートでも

そういうのが わりと近いタイミングで起こって

どちらにも へー? と思っていたけど

どちらの人も 私に直接は

文句つけてくれないのさ

 

ある意味 直接 文句をつけてくれたほうが

よっぽど話は早いんだけれど

そういう働きかけだけは なぜかなくて

なんかただ 怒っておられて

 

ちなみに私は態度で

『プンプン』は やってないよ

だって「へー そう来るのか 不思議」

と思ってるだけだから……

 

まあ だからといって 文句をね

相手が私に「つけやすい」ように配慮してみるとか 

わざわざ私からそうした機会を設けるというのも

この場合 違うと思える……

その機会を渡すのは本当に 私の側の役目じゃないから 放置なのだ

 

とくに毎日 関わるお姉さんのほうには

いわゆる世間話的な無駄話をしないだけで

(だって そんな話しかけすると

今のお姉さん 顔が引きつりそうだし)

仕事上はまったく 普通にしてる

 

用件は当然 伝えるし 

これ渡すね とか言葉に出して渡すし

この形式でいいかなって 内線電話で質問もして

わかった 了解ですー ってやってる

 

まあ 間もなく座席も 真後ろに来るしさ

いずれにせよ 私が相手のギクシャク気分に応じてあげて

ぎこちなく振る舞うというそのやり方に 付き合う必要はないから(笑)

 

なんせそこは 職場で

私は仕事をしに来ていて

ゆえに自分の守備範囲の仕事にかまけて

業務を改善していきゃ いい話

 

それ以外は 「普通」にしてれば

別に問題なくない? ってだけだわ

 

はるか昔 会社に勤め始めたときには

それで結局 先輩がひとり

「おっとビックリ」∑(;゚д゚)な形で

自爆されてしまったけど

 

考えてみれば なるほど 昔も今も

私 他人の「怒り」方面の問題を

引っかぶるのは 好きではなかったのね……

 

怒る代わりに呆れて それなりの距離を置くという形でしたわ

あ あと 

自分とは違うな というネタとして扱うという形で

スルーさせてました そう言えば

 

自分がミスをしたとか 悪いと思える 反省できる部分があって 

それをちゃんと 面と向かって指摘されるなら

とくに仕事の場合 面と向かって言ってくれた相手には

言い分を聞くことにしてきた と思う

連携やコミュニケーションが大事な仕事だから そこは余計にね

 

というようなことを ツラツラ思い出して今 こうして書いてみたけれど

うん やっぱり私が怒る形の 私の問題ではない

私 よくわからんのよ すまんね と言っておこう……

 

ちなみに お姉さんに対しては

本当に素朴な疑問としてさ

もしも よ チャンスがあるなら

「あの一連の出来事の流れから あなたはいったい

どの部分で 何をどう捉え そんなふうに怒るところに 至ったのか?」

と 尋ねてみたい気もするのだが

そんなインタビュー(笑)する機会があるとは思えないし

万が一 実際にやったら お姉さん自身 きっと訳がわからなくなって

もっと切羽詰まってしまうかもしれないよね うん やれない……(^0^;)

そこでちょっとだけ 自爆先輩の記憶が 脳裏をよぎるよ(笑)

 

でも本当に 尋ねてノートに控えたいくらいの

不思議態度なんだよなぁ

つまり 私にはない視点かもしれないし

もしかしたら私も

「おお、そこか! なるほど!」と

自分でもわかる範囲のこととして新しく

気づいたりできるかもしれないから

 

お姉さんについては

誰かうまく 間に入って 尋ねてもらえないかなあ 申し訳ないけど

 

ま 本当に業務に支障が出るほどの事態になったら

うちの課長か 向こうの部署の よく気がつく課長が

きっとヒアリングしてくれるだろう

 

ってことはやっぱり お姉さんの自爆予測をしている私がいるってことだ

はは(^0^;)コワイコワイ 予想は止めておこう

 

ちゅどーん☆

2015_04_09

Photo by ゆんフリー素材写真集

こんなふうに美しくは ならないだろうしね……