カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

思い通りの…… ~その1~

人は、本当は、思い通りに人生を生きなければ「ならない」と思ってる?

あの人は結構、思い通りに生きてるけど、

私は願ってること、いっつも叶わない?

 

あるいは、周りの人はみんな、それなりに思った通り生きられてるのに、

私だけがうまくいってない?

 

いやいや。

いやいやいや。

いやいやいやいや!!

 

それ、ものすごい「妄想」ですから。

 

そんなことない、あの人は、あんなふうに、いつも楽しそうにしてる!

いやいや、あの人と24時間365日、トイレの中まで一緒に入って、

あの人の感情や思考や気持ちやらが、ダダ漏れするかのように

全部、あなたのところに届いていて、把握できているのですか?

 

トイレであの人、泣いてること、あるかもしれませんよ?

顔で笑って心で泣いてることも、あるかもしれませんよ?

 

そういう気持ちをあの人は、24時間365日、抱えたことがないって、

もし本人が言ってるとしても、本当か嘘か、どうしてわかるのでしょう。

それになぜ「あなたが」そう言い切れるのでしょう。

 

私と一緒のときはいつも、明るそうで楽しそうだから?

いっつも、自信満々、あるいは前向きそうだから?

 

とてもとても譲って、その人が楽しそうに過ごせているとしても、

ときには、嫌なことを早く忘れようと意識している、

そのために楽しむことに、集中しているだけってこと、

あるかもしれませんよ?

 

ま、あの人のことは、

ちょっと脇に置いてくださいな。

それ以前の話として。

 

調子の良さそうなときの他人と、

調子が今、悪い自分を比べていることに、

どういう意味があるのでしょう。

 

他の人には調子が良いときもあるけれど、

私はいっつもダメだもの。

 

そうですか……。

確かに、自分の、ダメで嫌いな面を

24時間365日、見つめて続けていたら、

あなたの世界は、それで構成されますよね。

 

そんなこと言ったって!

成功なんて、起こらないもの!

素晴らしいことなんて、私には起きないもの!

 

めちゃくちゃ大きい成功、や

めちゃくちゃ分かりやすく素晴らしい、出来事?

なら、あの、周りの人も、そんな滅多には起こりませんけど……。

小さな成功、うれしさ、さえ、100%存在しませんか?

見逃してみたり、軽んじてみたり、当たり前……になっては、いませんか?

 

そもそも、自分の悪い面や不幸な面を見つめれば、

そのとき頭の中は『私の不幸な出来事』でいっぱいになりますよね。

 

で、いっつも、不幸な出来事、という「過去」を、

何かあるたびに、今に関連づけては思い出し、苦々しさを繰り返して、

自分の中で味わってるんですよね……?

 

実際の話。

悲しみ、を越えていく過程で、それが必要なことも、ときにはあります。

隠していたり、見ないようにすることで、

自分の中で消化不良になっているものを、

改めて向き合い、記憶から出し、涙を流すことが、

必要になるときも、確かにあるようなのです。

それは「越えていくため」に必要な過程で起こる、回復に向けての自然な話。

 

でもあなたが、自分で選んでやっている作業は、

きっと、それとは別ものですよね?

 

~次へつづく~

 

2015_03_08_1Illustration by Vector Graphics
ID: 201501290100
GATAG フリーイラスト素材集

 

別のところを見つめて、知ってみる

たとえば、自分のダメな部分を誰かから指摘されたとき。

 

→なるほど。では私、そこがダメなのだから

頑張ってそれをやめていこう

→その指摘を受けなくなった、あるいは軽くなった

→なるほど、これでいいんだ、と思う

 

しばらく経って。

→また同じような(あるいは別の角度の)指摘をされた

→なるほど。ではまた頑張ってそれをやめてみよう

→しばらくは指摘されなくなった

→やはりこういう変え方でいいんだな、と思う

 

このパターンをこれまで、繰り返している人は、

何か問題が起こるたびに、

「ではどうしたら、次から指摘を受けなくて済むようになるか」、

に注目している。

 

そうした方策を考えるのは、仕事などの役割分担ならまだ良いのだけれど、

いや、仕事上でさえ、いつも自分がそこにしか注目していないなら、

これ、実は、ときどき危険。

 

もしかしたら相手の都合や、その場の状況に合わせて、

自分を曲げちゃうとか、無理させることがあるから。

 

なるほど、という部分の「素直さ」は、

とてもいい『資質』なのだから、

その部分は大切に取っておいてね。

 

で、それとはまったく別に。

指摘を受けた
  ↑
このときの自分にも、ちょっと注目してほしい。

 

そう言われた自分のこと、どう感じるか?

毎回いつも『私はダメだわ』と否定的?

自分に対して、非難ごうごう?

ゆえに、では、頑張って○○を……。

 

またはあの人が、この部分が、悪いんじゃないか! 何言ってる! の反論中心?

で、同じく、では頑張って○○を……。

 

他者に対して、自分に対して。

いつもそこの視点でとどまっているなら、

少し、もったいないよ。

 

これは怒りや、悲しみ、後悔などのパターンでも同じ。

なぜ、私は、そんなふうに感じるんだろう。

その視点、あとからでいいから、持ってみてほしいのだ。

 

ただし、

こんなの許せない(自分を、または相手を)

なぜそんな!(相手が、自分が)

等を感じている間は、

その自分の『感情』にも振り回されるから、

上に書いたような視点、持つことは難しいよ。

 

感情の渦巻きから、ちょっと離れられたときに、落ち着いて

「なぜ私はそもそも、そう思う(思いたくない、

あるいは相手から思われたい、思われたくない)」のか、

このところを、紙にでも書き出してみてね。

 

するとね。

どの部分を、どんなふうに、自分が嫌だと思いたいか、または非難しているのか、

そういうのが、見えてくるよ。

 

そうしたら、さらになぜ、自分がそんな非難をしたくなるのか、

そう『自分が』感じるのか、を、見つめられるようにもなる。

それも書いて整理してみていいと思う。

 

実際、やってみるとわかるけれど、

このとき、誰々がそう言ったから、という理由、書きにくくなるのだ。

だって、その誰々さんと自分は、違う人だからね。

誰々に言われたことをきっかけに、

『あなた自身が思った、感じた』ことを書くわけだから、

なぜ、の理由は、別のところに見つかるはずだよ。

 

こうした掘り下げ、ぜひ、やってみてほしい。

自分が本当は、何を望んでいるか、見えてくるよ。

 

そうして、掘り下げたところで、もし「傷ついてる自分」などを見つけられたら、

それをまた、責めたり、変に哀れんだりするのでなく、

ああ、そういう自分がいるのだなって、

いったん、その『事実』自体は、淡々と認めてほしい。

 

たとえ居心地が悪く感じられても、そういう自分がいる事実そのものを、

見なかったことには、しないでほしい。

 

そういう自分がいたことを、ただ、知るだけでいいから。

そこから、視点が、きっと変わり始めるから。

 

とくに、いつも何か、うまくいかないパターンのことがある場合、

その場面における『自分が何をどう感じてるのか』

『さらに、なぜそう感じられるのか』を見てみることは、

自分の思考の切り替えに、やがてつながっていくよ。

 

「本当は私、○○だと感じてるや……」

「○○を願ってる……」

というところに、たどり着けるようになると、いいね。

 

いつもいつも、自分を責め、あるいは相手を責めて、

では変わらなきゃ、やめなきゃ、

次にどうするか、だけを考えるのでなく、

そのときの自分を、あとからでいいから、

いったん立ち止まって、丁寧に、見つめ直してみてね。

 

2015_03_07Photo by Chris g Collison
GATAG フリー画像・写真素材集 1.0

 

一度、失敗したら

失敗を延々悔やまれる方。

 

人たるもの、一たび失敗あらば

少なくとも10日以上は自分を責め、

自らを悔やみ、

自らを心で殴り、縛り、

いかに自分がつまらない、くだらない、ダメな人間であるかを

骨の随に染むまで、繰り返し考えるべし。

その後悔、決して止めず、24時間、繰り返し叩き込むべし。

 

間違ってもそのような失敗を犯した自分を許すまじ。

さもなくば、どんどん堕落の道をたどるのみ。

 

というような堅い堅い「お考え」を、誰かに吹き込まれましたか?

吹き込んだ人、まさに人生、失敗だらけかもですよ、実は。

でもあなたはそれに気づかず、

あるいはそれを本当にすばらしい教訓だと信じ込み、

今日もまた、あなたは自分を許さないのでしょうか?

 

あるいは、失敗したんです、ダメなんです、と言い続けることで、

「どんなメリット」を得ていますか?

 

優しく慰めてくれる人の登場? 誰かの慰め言葉待ち?

ならばいいよ、って、誰かが代わりにやってくれるの待ち?

慰めてもらって、なでなでしてもらって、ラッキー♪

代わりにやってもらって、自分は何もしなくてよくなって、ラッキー♪

弱いふりしてれば、みんな優しくするもの、私に。

私に注目して、私を大事に扱ってくれるもの。

 

この作戦、使わないテはないわ、ラッキー♪

って感じでしょうか?

 

失敗を延々悔やむメリットって、私にはそれくらいしか思いつかないし、

堅い堅い考えを忠実に守らなければ人間が堕落するなんて嘘っぱちな話も、

まったく、信用できないんです。なので本当に、

それをあなたがいつも長時間、そのことを考えることにする、

それを選んでいるメリットが、知りたくて。

 

そうでない? そんなことではない?

ではなぜ、あなたは、自分の失敗を見つめて、

わざわざくよくよする時間を、

そんなにたっぷり、使うのでしょうか?

その長い時間、何を味わっているのでしょうか?

疲れているのなら、さらに自分を疲れさせるのでなく、

しっかり休んではいかがでしょうか?

 

「後悔さんとデート」し続けるのが、そんなに好きですか?

思い浮かんだら、消す、という選択肢は、使わないのですか?

次はどうすれば改善するか、ということを、見つめたくないのですか?

 

そっちには時間を使いたくないけど、

後悔や自己非難にはたっぷり時間を割きたいのは、なぜですか?

 

「私がどれだけダメな人間で、自分をどれだけ嫌っているか」を

そんなにも「実証」することが、あなたにとっては大切なのですか?

 

何を自分が思い浮かべるか、を選んでいるのは、

あなた自身です。

暗いことしか浮かばないなら、考えること自体、いったん休憩させてもいいのです。

思考がやめられないなら、寝たっていいのです。

 

そして自分を嫌うことを選択しているのは、

紛れもなく、自分自身です。

自己否定は自分にしか、できない。

 

否定が止まらないなら、

それほどまでに自分が疲れていることを、もっと自覚してください。

そして疲れているなら、本気で、休んでください。

 

あるいは、また。それをやめないのは、本当に、

立派で完璧な自分でないと、好きになってはいけない、と

誰かに刷り込まれたからでは、

あるいは自分で思い込んだからでは、ないのでしょうか?

 

ああ、お堅く書くの、もう面倒だからやめるね。

その思い込み、ごめん、ただの「自分クソイジメ」だわ。

自分を認めてあげるって、自分を好きになるって、

立派だから完璧だからすばらしいから美しいからすてきだから頭いいから格好いいから、

○○だから、○○になれたから、○○できたから、

認めたり好きになるってことじゃないから。

全然、まったくもって、180度、違うから。

 

これ、心屋さん、武田双雲さんのみならず、

いろいろなカウンセラーさんたちが、口を揃えて言ってくれてることだよね。

悩みを受け止める人が、皆さん、そうだとおっしゃっている。

ってことは「何かできたから自分を認めるわけじゃない」って話は、

それなりに信憑性、あるんじゃない?

世の中のカウンセラーさん、全員嘘つきってことはあるまいに。

 

だからそこのところ、いいかげん、かたくなに思い込むの、やめてみたら?

失敗を見つめ続け悔やみ続けるのは、

自分にとって、よくないからやめよう。

ただ、それでいいのでは?

そう思って見つめることをやめる人って、自分と何がどう違うのか、

その視点を持つことをやめたら、自分がどう変わるのか、

知りたくは、本当にならない?

 

あ、もしかしたら、のメリット、もう一つあった。

誰かや何かのせいにして、しかもさらに自分を嫌っていれば、

自分から動かなくていいから。

そうなると、自分は、何の責任もとらなくていいから、

何か問題があったら全部、人のせいにできる。

私からやったわけじゃない、って感じで、

「ラクチン」ではいられるわ。人生、何も責任なし。

 

その代わり、自分からは動かないから、動かないでもいい根拠として、

ずーっと、不満を見つめて、

ずーっと、誰かや何かや自分を責めていく必要があるね。

それだけを見て生きていかないと、その位置、保ち続けること、できないもの。

 

だからあなたは、他者や自分に対する不満や批判や文句や、

ひたすら悲観するだけの人生を、見つめるための時間を、

そんなにもいっぱい、延々、使っているのかな?

自分で動いたその責任、負うの、面倒でイヤってことかな?

失敗したら笑われる。

笑われるのは、自分の責任。

笑う人は、ヒドイ人。

 

そんなふうにして動かず、ジッとしていること以外にも、

選択肢、あるんじゃない?

笑われなくなるよう、練習するってことも、可能なんじゃない?

笑われてもそれは、大したことないんだって、

実は天然ボケの愉快な奴、ドジでカワイイ奴、っていうふうに、

好印象になっていくことも、ありえるんじゃない?

そんな人間像は要らない?

完璧で格好よくてクールでスマートで美しく優しくなれない限り、

自分はダメなままで、そうなれない間はずっと、自分を嫌いでいる?

それ以外の自分像なんて、認めたくない?

つまりめちゃくちゃ自信過剰で鼻高々な、ピノキオになりたいわけかな?

 

昨日につづき、今回も辛辣でごめんね。

いや、昨日よりさらに厳しいか……σ(^◇^;)

「自分に対する、あるいは誰か何かに対する、

不満や文句や非難や罵倒や悪口を述べてばっかり」、

そのシーンに、今日は、ちょっと食傷気味なのかも。

おゆるしを。

 

2015_03_02

Photo by Pixabay