カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

他者を愛することと 尊重することと(ひとりごと)

いやはや。

命にもまつわる話なので、こちらに書いてみるけどさ。

何だかね、本当に。

いろいろ思うことはアリアリではございますが、

少なくとも、あの方に対するあまりの失望感や腹立たしさ、

失笑や苦笑やため息、を繰り返すことに

長く時間を使うのは、どう考えても無駄だわ。

 

自分がどこを向きたいのか、改めて意識させられる、

そのことには意味があるのかもしれないけれどね、疲れてくるしね。

 

はい。私は命を大切にして、そこに国籍等での差違はつけず、

自分たちだけが正しくて偉い、という罠にも気をつけつつ、

大きな意味を含んだ愛、を見つめていきます。ええ、さらにさらに、ね。

 

何より、まずは身近なところからその視点を持とう。

私は、そういう意味において、私自身の道を行くために、時間を使う。

 

ということで、あの方については愛への理解を期待することをやめ、

今後はとりあえず、あなたをこういう扱いにしますね、宣言。

世界中の、音や歌、音楽を愛する若者たちが贈ってくれた、

独り多重アカペラや独り多重演奏でもって、示してみましょう。

自分の器の小ささにどうしてもしがみつきたい奴に対して、

こちらが勝手に『届かない心配り』までしてやらんでよし、と。

 

スティービー・ワンダー

『Don’t You Worry ‘Bout A Thing』

京大へ留学中らしい、韓国の lnhyeok Yeo(よういんひょく) くんは、

声も楽器もお見事! なアカペラ。


http://youtu.be/vVDZ1cy5HMc

 

そして英国の Jacob Collier くんは、ハンドクラップも交えてのコーラスと演奏。

パーカッション好きな私には、この楽器のセレクションもバランスも、響くわー。


http://youtu.be/pvKUttYs5ow

 

で、歌詞を和訳してくださっている方のサイトも。

http://d.hatena.ne.jp/magma890/touch/20080921/1222003859

 

こうして自分の好きなことを、好きな方法で楽しんで、

その楽しみをまた、独り占めせずに表現してくださっていることに感謝m(_ _)m☆

 

そして我が心には、祈りと希望の炎を。

 

2015_02_05_1

Photo by ソザイング

 

おびえの 扉の 向こう側

誰もあなたに 何も与えてくれないと 感じるときは

まさに あなたが 自分に何も与えず

さらには鍵の掛かった部屋に 閉じこもっている状態である

 

その部屋の扉に鍵をかけたのは 実は あなた自身で

しかもその扉の鍵は あなたのほうを向いている

 

そう あなたが内側から 鍵をかけているだけで

その鍵は あなた自身が開けられる

いつでも 開けたくなったときに 開けられるのだ

 

あなたは 扉に背を向けて 壁のほうを向いているから

その鍵の位置を 見ていないだけだよ

 

私には鍵を開ける「資格」などないと

あなたは 言うかもしれないけれど

その「資格」自体 外側からやって来るものではない

 

あなたが 誰かに許可を与えられたとき 初めて

その鍵を開けていいのだ と 思い込んでいるだけで

そんな他者からの許可なんて 本当はまったく 必要ない

あなたが自分に対し そう「決めつけている」のだよ

 

頭では わかっていても 気持ちがついていかないかな?

でも たとえ気持ちが ついていかなくても

心の奥のほうで そこから脱したいと 思っている自分がいることには

もう 気づいているよね?

その心が 奥のほうに潜んでいることは 前から 気づいていたよね?

 

実はね それが 許可証 なのだよ

あなたが誰かに 求めているつもりの 許可証

開けていいよという許可は 

誰かから 与えられるもの ではなく

あなたがすでに 持っているのだ

 

だから まずは 扉のほうを向いてみない?

扉の向こうは 確かに今の あなたにとっては

『新しい領域』になるかもしれないから

開けるのは怖いと 感じるかもしれない

 

けれど 今の状態のまま 誰かの許可が必要で

誰かから 何かを与えてもらわなければ

動いてはいけない と思っているよりは

そんな状態でいるよりは マシになるかもしれないよ?

 

それとも 手に入れようとして 与えてもらおうとして 

今は もがいている最中だから

せっかく見つけたかもしれない これを 手放す 失うのが 怖いかな?

 

いいえ 扉を開けたらね 手放す 失うどころか

あなたから 与えることが できるようになるよ

あなたが「怖れを消そうとする欲」から 

何かを与えられようとするのでなく

あなたが 自分を通じて相手に 与えられるのだ

 

そういう自然な形の 広い意味の愛から 

新しい つながりが 生まれていくよ

 

ビクビクしながら 誰かから何かを 

自分になんとか与えてもらおうとするよりは そっちのほうが

自分がもっと うれしくなれる とは 感じられないかな?

 

あなたはもう 扉のほうを向いていい

あなたはもう その鍵を開けてもいい

あなたは また 新しい一歩を

いつからだって 踏み出していいのだ

 

たとえ 今すぐには無理に思えても どうぞ覚えておいてね

苦しみの中に 自分で自分を 置く必要はないことを

 

おびえ からでなく

怖れ からでもない 

新しい 求め方 

それが 与えて 受け取る っていうやり方だよ

 

自然に湧き上がる喜びを 感じながら

あなたが 与えていくことによって

還ってくるものをうれしく受け取れる

 

その力は 心の奥に 秘められている

すでにあなたの内側には もう存在しているのだ

このことは どうか 忘れないでね

 

あなたに 扉を開ける許可を出せるのは いつだって必ず

自分自身 であって いい

他の誰か ではない

あなたが内側から 自分で自分に与えることを 許可していいのだ

 

2015_02_03

Photo by もん
ID 20498368
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どっちを自分に残す、使う、ことを選ぶか

他の方の記事で、刺激、いただきましたー。

いやあ、視点、またいいですね(*^^*) 私は好みですー♪

で、私も自分の捉え方、書いてみたくなったのでシェアします。

 

一見、無茶なことばかりいろいろ主張していて、

そんなことできれば苦労しないし、問題なんて起こらないわ、そりゃ!

と、文句をつけたくなることもあるかもしれない……。

そんな記事って、まあ、ありますよね。

 

パッと見では、そういうふうにも見えやすい人、私も知っています。

カウンセラーの衛藤信之先生とか

書道家の武田双雲さんとか

心屋さんとか心屋さんとか心屋さんとか(笑)

 

で、たとえば。

嫌われる人には嫌われてもいい、の話の場合。

そこはもう、あきらめる、というか、

割り切る(対立してきた他者ご本人が抱えておられる問題が

そこに映し出されているときは、

どんなにその他者の誤解を解こうとしても

相手に届かないとき、仕方ないときもある、と、

自分は、それを大きく気にするのをやめる)。

だからこそ、好いてくれる人には感謝する。

ありがとう、とはっきり、相手に対してきちんと言う

(素直に感謝して受け取るのみ、つまりゴマはすらない)。

 

生きるうえで、そういうふうに、他者を思いはからうのと同等、または同等以上に

自分をも丁寧に扱ってあげる(驕りまくりで高ぶりまくるのでなく、

いたわることを含め、自分を柔軟に扱ってあげる)、

そして自分が感じることを、きっちり大切にする

(無理しない、嘘をつかない、迎合しすぎない)……。

そういうのを、気持ちよく楽しくやってるように感じられる人には

『結果的に』信者的にさえ見える形で、ついていく人も現れるかな、と。

 

これもまた、他者が傍から見てそう感じられる、というだけの話であって、

本当に信者的に、今のところ苦しくてすがりたい気持ちになられる人と、

そうでない自分にとっての学び中、きっかけにしている人が

いるだろうことを追記しておきます。きっかけにしている、というのは

ダライ・ラマ猊下やマザーテレサの言葉をなるほど、と思う感覚に近いのかも。

 

つまりはこの人、一見、変で、でも面白い、温かい、

何か自分へのヒント、つかめそう……。と感じられるから。

 

ただの前向きとか、強引とか、思慮不足とか、

自分のことしか考えないワガママ、ではなく

自分がいろいろ、よいと思える部分、楽しい部分を見つけて、

そこを述べる→それゆえに、結果的に他者が『見ていても心地よい人』になれたら、

たまたま、その部分にとある人から問題を投影されて怒られようが嫉妬されようが

(つまりそういう人から嫌われようが)、

別にどうだっていいんじゃないの、

という方向に解釈することも、可能かな、なんて思えました。

 

それをもし『嫌われてもいい』という言い方で

表現してくれているのだとしたら、私はその方の意見に

大賛成するわー、と、最近では思えています。

 

仕事も、楽しめるものを(楽しめる部分を見つけて)

やっている人のほうが、やはり疲労は少ないだろうし、

それが『結果的に』よい仕事ぶりにもつながりそうだから、

お金もたくさん、もらえる立場になっていったりするのかも。

 

それってつまり、お金をもらいながら、

楽しめる部分を毎日、さらに自分が味わえるのだから、ラッキー☆ですよね(*^^*)

 

って、善なる方向へ解釈しすぎかな?(笑)

決して反論しているわけでなく、なんですよー。

 

そして私は実際、嫌な上司の嫌な言葉がけと、

可愛い若手社員のドジが、同じ日に起こったら、

家に帰ってきたときに、意識的に若手社員のドジを思い出して、

ふふふ、と笑えるようでありたい。そっちをなるべく、選びたい。

 

また、自分がミスを犯したときの、いたたまれない恥ずかしい悔しい気持ち(ええ、

なんせね、成功ラブなものですから、

気をつけないと引きずる引きずる(^^;))と、

どうやったらこのミス、なくせるかな、と検討したときの

『よし、ならばこうしよう』の気持ちが

やはり同じ日に起こったら、

『よし、ならばこうしよう』のほうだけを翌朝まで、持ち越したい。

 

何を選ぶか、どの部分をどう見て、どう使うかは、

私が自分で、自分のために選んでいいのだ、と思えているのです。

 

こう書くと、またどこか別のところから『どうせ私は』な方が来られて

本当に『どうせ私は』という方向へこの記事を読解され、

それで落ち込まれてしまわれたりするのでしょうが……。

『どうせ私は』と思った自分をそのあと、

さらに「イヤな感じ」として受け止め、自分にがっかりして、

そこでまたそれを『だからどうせ、私は』の方向へ使う、

そのマイナスぐるぐるループ、それが自分の作った罠なのですから、

やめていいのですよー。

なぜその罠を自分が使っているか、を、自分のために探ってみてもよいのです。

 

まあ『どう使うか』は、その方の自由だと本気で思えてはいるのですが、

つらい方をさらにつらくするために書いているわけではないので、

わざわざそっち(比較してしかも卑下)を意図的にお選びになって、

その使い方をされなくても、だいじょうぶなんですよ、本当は、

という言葉の力だけ、ここに書いてとどめておきたいと思います。

 

こうした気持ちを、文章にまとめさせてくれた、

あなたに心から感謝いたしますm(_ _)m☆

 

2015_04_02_1

Illustration by Stellaris
ID: 201402022200
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