カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

良かれと思ったことでも……

今日の2本めは、先ほどのインタビュー記事の、子育ての話で

『ブロイラー』っていう表現があった部分について。

 

相手に、良かれと思ってやることでも。

これ、子育てに限らず、教える側の意図を、

相手がその希望通りには受け取らない可能性もあるよね、

まさに感覚違うわけだし、と思えた。

 

で、先日、子どもの「食事」で苦労している

会社の同僚から聞いた話も思い出したので、書いてみる。

 

その同僚は次男くんの、

超・偏食ゆえの『好きなもの独り占め』に困っていた。

で、この前ついに、次男くんが、

自分の好きなものをお友だちの分まで食べちゃってケンカとなり、

さすがにこれは、と思って、いろいろ調べてみたそうな。

 

それで「こうなったらどうしようと思った」と言って、

読ませてくれたネット記事があったのだ。

 

その記事は

「父親が子どもの好物を、

全部譲って食べさせる」という悩みの

相談コーナーだったのだけれど、

同僚が選んで見せてくれた回答が、まず面白すぎた(≧∇≦)

 

********************************************

エノキ嬢のララバイ

ご主人様にとって、もりもりご飯を食べる息子さん達が
かわいくてかわいくて仕方が無いんでしょうね。
おつまみに出す物をあげるのも、
いつか一緒に晩酌したいな、と思っているんでしょう。

しかし、それと、好きな物だから全部食べてもいい、
というのは別問題です。
どこかに線引きは必要です。

私が中学の修学旅行のときです。
宿で6人一緒の鍋が出ました。
そこで、グループの一人の女の子が、ぐわっと6人分全部の
エノキをたいらげてしまったのです。

呆然とする私たちに向かって彼女曰く、
「だって、私エノキが好きだから、家では私が全部食べるのよ」。

「へえ、いいね」と返した私たちの心の叫びは、
「ここはあんたの家じゃねえよ!
あんたが好きだって、知った事じゃねえよ!」

それ以来彼女は、
エノキ嬢
と呼ばれるようになりました。
30年近くたった今でもです。

かわいい息子さんが、
唐揚げ野郎とか、塩辛坊主とか呼ばれる事を考えたら、
少しずつでも、自分の分と他人の分、
おいしいから皆で食べたい、という感覚をつけてあげた方が
いいと思います。
ご主人とよく話し合ってください。

********************************************

出典:読売新聞 発言小町
「なんで?そこまで子どもにゆずるものなの?」
http://ow.ly/d8yc3001ePm

 

唐揚げ野郎!(笑)

同僚の次男くんはこれで言うと、もしかしたら将来、

「イチゴ坊」と呼ばれる可能性が濃いらしい。

お友だちのお家で、ほとんどノンストップの食い尽くし、

やってしまったそうです(笑)

 

いやー、子どもって、親が良かれと思ってやってきたことを

世の中に対してどう使うか、本当にわからないね(^◇^;)

私の大学時代の友人でも、母親が常にスイカをカットして

食卓に出してくれていたために(それなりのお嬢さん)、

サークルの合宿で登場した「皮付きスイカ」の最後を、

どこまで食べればいいか、とっさにわからず。

その結果、彼女は白い部分も食べ、緑色の皮を残して……

合宿中はずっと「カブトムシ」と呼ばれてしまったらしい。

 

本人がこうして、他者から気づかせてもらえればいいものの、

同僚いはく、この小町では

「子どもの分まで食べるお父さん」の悩み相談もあったらしいです。

 

うーむ。

でも本当に、学びをどう使うかは本人次第で、

他者が良いことと思って伝えても、悪く使う人もいれば、

逆に、他者から悪いことを伝えられて、それを反面教師にすることで

うまくいく子もいる(本人にとってうれしい、望ましい方法ではないけれど)。

 

となると、これもまた、食事に限らず、子育てに限らず、な

「自分の感覚」の話となるよね。

 

やっぱり、自分が「こうしよう」「これが良い」と

思うものを「自覚して」大切にしていく練習。

先のエノキ嬢みたいな危険性(笑)については、

どうしてもヤバそうなら、そして自分が伝えたければ、相手に伝えて、

あとは本人に任せる……というのが、良いのかなあ、と。

 

この感覚で言えば、私の場合、かのお姉さんで練習していることになる。

こちらのやっていることをどう捉えるかは

お姉さんの自由だから、何を勘違いしようと態度に出そうと、

それによって起こる周囲の人の不快感まではもう、私の問題ではない。

そもそも彼女に伝わる気が全然しないのに、わざわざ伝えて、

自分がイヤな思いをさらに重ねる必要もない。

 

かの「お姉さん」に伝えるのは私の役目じゃないわ、と思えているから、

ただシンプルに、自分が気持ち悪いと感じていることだけを、

5月の終わり頃にガツンと(彼女の上司にまで伝わる形で)

正式に、うちのお偉いさんに向かって報告しておこうと思えている。

 

だって、くだらないイジメのようなことされて、

業務にプチプチと支障が出ているの、

本当に気持ち悪いんだもの、ええ、『私』が。

 

こういうことを、まさに私は今、練習しているから、

今日の1本めの記事も書きたくなったんだと思える次第。

 

『自分の感覚を信じていく』、やった結果も引き受ける。

このためのネタは、尽きない。

つまり、練習できる機会も、尽きないということだ(*´ω`*)ふー

 

2016_05_08_2

Photo by condesign
Pixabay

 

誰かの二番煎じでなく「盗む」こと

お母さんの真似

お父さんの真似

あれが出来る○○さんの真似

 

うん、

良いところを「盗む」ためにやるのと

「あの人になろう!」(あの人と同じ人間になろう!)

とするのとでは、意図がまったく違ってくるよね、

言葉としては同じ「真似」でも。

 

仕事柄、デザイナーさんやカメラマンさんやその他、

「メジャー」な方々から、何度も聞いてきた言葉を、

あるインタビュー記事を読んで思い出したよ(最後にリンク、張るね)。

 

売れっ子の彼ら、彼女らが、軒並み、言ってたこと。

自分の感覚を『自分自身で』養う。それだけ。

 

たとえば、あるデザイナーさんの言葉。

自分のやってることで、いいと思ってくれたところは、

どんどん「同じように練習して、

感覚つかんで、盗もう」としてくれてOK。

でも、他人のものをまったくそのまま、模倣しようとしたら

自分の感覚の良さまで、どんどん殺すことになる。

 

そこに気づかない人は、一生、他人の真似しかしないし、

真似している限り二番煎じ、

オリジナルの人を絶対に抜くことは出来ない。

当たり前だよね、オリジナルの人は「自分の感覚」を使ってて、

自分の感覚でそれをやってるし、大事にしてるもの。

 

うーむ。今、あらためて考えれば、これは仕事のみならず、

人生、全部そうだわ。

 

誰か何か、に『自分のことを何とかしてもらおう』と

「たくらんで」いる限り、

ずっと誰かの気に入るようにしなくちゃいけないし、

それ、自分じゃないわ。

 

他人になりすまそうとしてるってことでもある。

他人の感覚で生きていくことでもある。

自分が楽しいかどうかの感覚を無視して

「他人が楽しそうなことを猿真似」したり、

誰かの言うこと『だけ』を聞いて「正しく」「良く」なろうとして

自分がどう感じるかはバカにしてたり無視したりして。

 

それで万が一、良くなったり正しくなれたり成功できたとしても、

自分はいつまで経っても「楽しくありません」「落ち着けません」

「これでいいか確信が持てません」。うん、そりゃ当たり前だ。

あなたの確信は、あなたの内側『だけ』にあるのだから。

 

そう考えたら本当に、

自分を嫌ってたり、バカにしてる場合じゃないよ、

そっちを解放して『やめ』ない限り、

ずっと「誰かへのなりすましを、たくらむ」だけの人生だよ。

 

何か、壮大とか、立派とか、尊敬やら愛やらを集める

自分になろう、ならねば、と、誇大な妄想だけして、

いつまで経ってもできなくて、

他者ともうまくいかなくて

自分ともうまくいかなくて

イライラしていく人生と。

 

どんなに小さいことでも、自分の感覚に従って

これ、好きだ、楽しいな、心地いいいな、と

毎日プチプチ思えて『私はこれがいいんだ』を味わえる人生。

 

それこそこれって、「どっちのほうがトク」だろうね?

 

誰かの命令、誰かの感覚に従って生きていけば

間違えないのに! と信じて、

そのために自分の『オリジナルな感覚』を

徹底してバカにし続ける人生と、自分がうれしくなれる人生、

どっちが「ラク」だろうね?

 

このインタビューでも、お二人が会話されているのは

「他者の意見でなく、自分の感覚を大事にできるかどうか」の話で、

それを実際、やってみたことについての感想だ。

 

「成功」してるかどうかとか、そういう視点だけで見るから、

妬みの気持ちが浮かぶ。

偉そうに、と批判したくなる。

 

心屋さんの「僕だから」という言葉も、本当にそうだと思えたよ。

この言葉を、心屋さんへの批判として使うのか

「どうせ私は何も持ってない」という比較しての自己罵倒に使うのか

「だったら私も、自分自身の感覚をもっと」という

やり方、テクニックを盗める教訓として使うのか。

 

それによって「あとの結果」が変わってくると、改めて思えるよ。

 

そのための練習って、

ひたすら、ひたすら「今」を味わう気持ちになることだと思う。

今できる「心地よくなれること」を毎日、練習すればいい。

いたわる時期の人は、本気でいたわろうよ、自分を。

何かに「成り代わろう」とするより、そっちが絶対『先』だよ。

 

そんなことで人生うまくいくはずがない! 

というやり方を選ぶのも、

自分の「オリジナル」な感覚で本気でそう思えて、

それが本当にうれしくて楽しいなら、いいんじゃない?

人に認めてもらうために、ではなく、

人を見下げたいがために、でなく、

自分自身が「うれしいから」なら、それでいいんじゃない?

 

自分が好きなものに対して、その「好き」という感覚に

自分で責任を取る、ということでもあるから、

甘いばっかりじゃないと思うよ、これ。

まあ、他人についていって『おべんちゃら』かまして

何の責任も負わずして甘い汁、

横で吸わせてもらいたい人もいるだろうから、

自分で「自分の好き」を感じたくないなら、

それはそれで、自分にとって楽しいと感じられるなら、ヨシ。

徹底的に、それをやればいい。

自分の感覚を使うほうが、ラクにはなれると思えるけれどね。

 

少なくとも私は、このインタビューで

「けっ!」と他人を批判してバカにしているつもりで、

実は内心、嫉妬してひがむのは、自分が楽しくないな、と思えたわ。

ま、どう受け止めようと、それが「自分のオリジナル」な感覚なら、

それでいいのか、うん。

 

てなことで、そんなことを思い出させて感じさせてくださったお二人に、

感謝の気持ちをこめて、リンク。

 

◎宮本佳実 さん
『心屋仁之助さんとのインタビュー記事が公開されました^^』
http://amba.to/1SUjnmV

 

2016_05_08_1

うれしいこと、ホッとできること、小さくたくさん。まずはそこから。
Photo by jarekgrafik
Pixabay

 

恥をかきたくない、認められたい、の、さらに奥にあるもの

おお、なんだこれは、という「上下目線」の情報が

わーっと表れたので、紹介しておきます。

私には使えない(まだ勇気がなくて、

あるいは不向きで、な)表現で伝えてくださる方たちに

心からの感謝を捧げつつ。

 

自分を見下げて「どうせ私なんか」と言う方に届けたい。

その捉え方ひとつですでに「自分を苦しめてる」んだってこと。

お金やら立場やら、アタマやら資格やら、

見た目やら行動範囲やら、

あなたの「問題」は、そこでは全然、ないってこと。

 

くどいけれど、自分を苦しめている「ものごとの捉え方」を知って、

そこから自分を解放することのほうが、先だってことです。

そうすればお金も立場も見た目も、それこそ変わってくるよ。

 

ではいきましょうか。

あ、もちろん、自戒を込めてますよ。

私もまた、今は日々、これらを学んでいるからこそ、

自分の目に止まったのだと思います。

そして今回のご紹介が、

心屋さん方面の方お2人なのは、勇気のある

「自分で情けないと思える部分を明かせるようになった」方たちが

その界隈に多いからだろうなあ、と。

その部分でもしみじみ、脱帽するよ。

 

ひとつめ。

女性同士の日常のつきあい、その間にも、

こんな気持ち、あるよね、という。つまりは上から目線バージョン。

◎TAIZO さん
『要するに「ぼくちんをほめてちょんまげ」って
言いたいだけなんですよ』
http://ameblo.jp/drfg2nd/entry-12156516725.html

 

ふたつめ。

たぶんこれって、「自分を認めていない」

ということも、本当は関係しているだろうな、とは思う。

きっと関係しているのだけれど、実はその奥? 周辺? に、

さらに自身で、気づけた部分がありました、な打ち明けの例。

とある「座談会」の開催主催者をやってみたら、

気づかれたという……うーむ、すごいな。

ちなみにPCで見ると真ん中あたりの1行が、

なぜか下段のアメーバ広告で隠れて消えていますが、そこには

 

違う違う、こんなキレイな心じゃないの。
単純に…プライドが許さなかったみたいなの笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

という文章が隠れています。うおお。

◎にゃあ さん
『「私なんて助けてもらう価値ないので」という言葉の中身は
クソみたいなプライドでした(土下座)』
http://amba.to/1XdpZ5g

 

でね。

これ、とりあえずの解決策なのだけれど……。

今、まだ「自分が得したい!!!」の方には届くかも、と思い、

たぶん初めて『Black&White』な生き方の方の言葉を、

ご紹介してみることにします。

 

得したい。その気持ちを、もろに事業にしつつ、しかも成功したうえで

それでもこの人の言うことには、なんか一理ある、という(笑)

とても「希有な例」の方の言葉です。

 

「それだとあなたが損をするんだよ」という言葉が

これほど、ご本人の心理や行動や「結果」に

裏打ちされている方もすごいな、と思うのです。

光と影、どちらも濃くて突き抜けてて、すごいパワー。

 

そんな人が、スピやら、宗教やらを吹っ飛ばした枠で

「自分のあり方」を説明すると、こうなります。

この説明の仕方のほうが、今は届く人、いると思う。

実際、リアルで説得力があるよー。音声動画です。

あくまでもこれをきっかけ、ただの「途中経過」にしてほしいので、

動画の画面まではリンク張らないけれど。

 

あ、動画中の言葉を2つ紹介しておくね。

 

「先生がそう言ってたから」って、何十年落ち込んでるんだよ

 

愛だと思って相手の「振動数」下げるようなことばっか言う人、

いるんだよな

 

どう?

 

◎斎藤一人さん
『悪いことばっかり起きる理由』2016
https://youtu.be/CY5Zuw8U65E

(わかる人には伝えておくね、
斎藤さんがバシャール的世界を解釈して説明すると、という内容です)

 

2016_05_07

Photo by jarmoluk
Pixabay