カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

あのさ、他者の命とは

誰かの都合で勝手に消し去っても『よい』ものではないよね。

 

火事を消す消防士の振りをして

わざわざ海外へ

殺人鬼になりなさいと、日本の若者を送り込もうとすることが

なぜ『日本を守る』ことになるのか。

 

あなたの嫌いな猫が、チョッカイをかけてきた。

その猫は自国で「自治区」の民族を好きなようにいたぶっている。

 

だからといって、自治区でも属州でもなんでもない「別の国」が、

なぜ、同じ目に遭うに違いないと怯え、戦う準備をしなくてはいけないのか。

なめんなよ! って、自分たちもツッパリたいのか?

        ↑

わかる人にしかわからないたとえ(笑)

あえて写真は載せませんよ(^^)

 

しかも。

戦う準備どころか、他国の人殺し現場へどんどん、しゃしゃり出る必要が、

今、どこにあるのか。

 

自国で作った武器を携えて、なぜか地雷を撤去しに行け、まで?

どこの地雷? アジアに限られるのか、それ?

そうやってあらゆる他国へ、人殺しの手伝いに行け?

そんなところへ行かせる一番のメリットって、結局は

『使い方実例指導員付き・国際武器見本市 出展』ってところではないの?

 

さらに数年後には、そうやって、わざわざ『他国からのテロ』を呼び寄せた挙げ句、

「ほら! 攻めてきたでしょ!」という方向へ持って行きたいのでは?

自衛隊員と非戦闘員の命、数人か数十人か数百人、

わざわざ犠牲にしてから、後付けの理由にして

ほら、こういう世の中だから仕方ないでしょ! 

っていうふうにしたいだけでは、本当にないのか?

 

それができるようになりさえすれば、もう自動的に継続発展させられるもの。

その理由が成立できればOK。自国の若者をどんどん見本市へ派兵しつつ、

異国人もいったん労働力として文句言わせず取り入れて、

国籍を与えさえすれば、その人たちも見本市という戦場へ送り込めるしね。

 

チョッカイをかけてきた猫の国周辺へ、あるいは遠い石油の国へは利権も求めつつ、

税金払わない貧乏な人、送り込みまくり。

武器、作る許可のキックバック。

やがては徴兵まで持っていける。万々歳……?

 

そんなシナリオさえ作れれば、原発ムラに続く『武器ムラ』が

永久成立するし、気に入らない相手には難癖つけて、非難して、

戦地へ行かせればよくなるから、あっさり追い払える。

 

無理して飛び降り自殺に見せかけなくてもよくなるよね、戦地なら。

NHK解説員やテレ朝のディレクターみたいな裏工作、しなくて済む。

いろいろ反対している若者も中年も、根こそぎ徴兵してさ。

 

あ、これは推測の話ね。自死を選ぶ時期だと思えない方が

すごく誰かだけにとって都合のよいタイミングで亡くなられているから

そういう推測が成り立つという話。

 

さあ、こうした、欲深い老人たちの妄想かもしれない世界へと

日本が移り変わる可能性を、

どれだけの人が、どれほど「それこそ左派の妄想だ!」と無視していけるかしら。

 

派兵を火事と言い切るバカな権力者は、

10代女子にさえ「個別自衛権をもっと充実させればいいだけじゃないの?」

というツッコミを受けて、逃亡しましたが?

 

『護憲だ』という専門家もたくさんいる、と主張したバカな権力者は、

たとえばどなたですか? という記者の質問に

名前を答えること、できなかったそうですが?

 

命を軽く扱っているのは、戦争法案だと主張する左派でしょうか、

原発はテロの格好の対象だと訴える左派でしょうか。

それとも側近のバカの方々を含む、あの……?

 

ということで今日は、

命の話なので、メインブログにて述べさせていただきました。

 

最後に、情報源のリンクです。あ、笑えるヤツと、

おびえまくって、左派を妄想とか非国民だとすぐにおっしゃりたがる方への、

はたしてさあ、それはどこまで左派の妄想なの? の部分ね。

 

◎IWJ
【スクープ!】「集団的自衛権行使容認の閣議決定」が覆る決定的根拠!
「昭和47年政府見解」の知られざる真実を小西洋之議員が暴露!!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/246547

 

◎まとめ その1(ちょっと言い張ってみましただ、の巻)
菅官房長官、合憲説の学者は誰かと聞かれて具体名挙げず
http://www.tweetmatomemory.com/4140

 

◎まとめ その2(10代女子、GJ!)
【悲報】総理補佐官の礒崎陽輔 (@isozaki_yousuke)が、
ツイッターで喧嘩をふっかけるも論破され、
相手が10代女子とわかるとブロックして逃走←バカ
http://togetter.com/li/832562

 

お互い、これ。

でも持つのは武器……自分の都合だけで相手を殺す道具。

その世界をうれしいと喜んでいるの?

 

2015_06_09

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怒りとおそれに駆られて、自分がどのような世界の実現を

「本当に」望んでいるのか。

自分がやらなくてよい、関わらなくてよいから、言える話では?

他者の命は使ったりなくしたりしてもいいと思っているの?

それならただの卑怯者でしかないけど、その部分はどう捉えてるの?

自分が見たくない『都合の悪い可能性』の部分は

見ないようにしているってことは、本当に、ないのかな?

 

自分の身体を張ってても、権力者のおっしゃることに

まず自分から従って乗り込んでいきたいから、なのかな。

 

本気で、そこを、見つめてほしいと願います。

次世代に、さらにその先の世代に、今、私たちが、何をつなごうとしているのかを。

 

 

「本気」で、やってみていいことかも

今日は、改めて『何もできない』の思い込みについて、

まずは森田療法のやり方の一部の話から書いてみたい。

 

鬱のとき、自分がいかに役立たずの穀潰しであるかを、

イヤというほどかみしめた経験がある人は、多いと思う。

食事もお風呂も面倒で、私は朝日が昇るのもダメだったから、

そんな自分を思い出したように1日に何回も罵倒しつつ、

ひたすら何も『できず』に過ごし、

やがて疲れてなんとか眠る……という日々を過ごした。

イヤな暗いな気分のまま、膝を抱えて座り、ボーッとしていたら

30分程度はあっという間に過ぎるんだよね……。

 

で、ときにはPCに向かい、同じように辛い人の情報か、

回復または気分転換のための情報か、

何も考えずに2ちゃんねるや悩み相談・質問サイトをダラダラ読みにいくとか。

それでまた、2時間くらいはすぐ過ぎる。

 

あとは延々と、PCに付属しているカードパズルっぽいのやらオセロゲームに没頭。

昼夜逆転しようが何しようが、ダラダラ。

そんな日々を幾日も過ごしたりする人もいるだろう。

 

さて。

森田療法のことは、回復期に本で少し読んだだけで、

回復期だったので(死ねなくなった、あと)、

直接には体験しないまま、通り過ぎた。

でも、患者にまったく何も「させない」という部分は、

とても強く印象に残っている。

 

朝、起きる。ご飯を食べる。風呂に入る、合間にトイレに行く。

それ以外の行動、なし。

もちろんネット環境、スマホもパソコンもなし。

本も雑誌も新聞もなし。きっと、メモを書くことすらなし。

たぶん入っている部屋の、窓の外の景色は見ていいのだろうけれど、

外に散歩に出ることも、最初はとくに、あまりないのだろうと思う。

 

この生活を始めると、当然、退屈するだろうと思う。

ボーッとしていられるのも、眠ってばかりいられるのも、

最初のうちだけで、そのうちいつか、必ず飽きる。

 

でも、飽きたとしても、そこで何か、作業はできない。

どんなに訴えても、何もできない。

そう、何も『できない』と言いつつ、私の場合なら、

PCで文章を読むことなどは『できていた』んだよね。

ゲームすることは、できていた。

ものすごくどうでもいい暇つぶしなんだけれど、

そうやって『何か』は、できていたのだ。

 

本気で森田療法をやるなら、専門家の指導の元でやったほうがいいと思う。

そういったものには行けなくて、もし、自宅で自分を責めていたとしても、

それはまったく『何もできない』わけでないよ。

私も、PCに触れていなくても、起きて『座って』はいられた……。

 

『できない』のは生産性のありそうなことであって、

そうじゃなければ自死の効果的な方法探し、その情報あさりでさえ、

『できていた』のである。

 

何も『できない』って厳密には、

超高熱を発するなど、ものすごく身体全体がつらくて、

ベッドに3日間以上寝たきりとか、そういう状態のことを指す。

その状態と、自分との違いまでは、ほとんど見ていないよね。

生産性というものをどこまで持ってなくちゃいけないのか、

自分できちんと突き詰めてまで、考えているわけでもないのに、

自己卑下から動けないと決めつけ、漠然とした『何もできないダメ』感覚の枠内に、

自分自身を閉じ込めてしまうのだ。

 

でもさ。

そこまで自分がボロボロになっているときに、

生産性のことで罪悪感、どこまで感じなくちゃいけないんだろう。

病の人が、どこまで自分を責めなくちゃいけないんだろう。

周りの人の話じゃないよ。

周りに言われるから、とか、他者のせいにする気持ちもわかるけれど、

それを「自分を追い込むほうへ」受け止めて今、まさに使っているのは、

自分で選択している部分、ないとは言い切れないよね?

うるさいから、鬱陶しいから、であっても、従っていくことを

自分で選んできた部分、あるよね?

 

生きることをある意味、難しくしてきた部分は、自分にも、あるよね?

 

ならば少なくとも、そこの追い詰め度合いは、

自分で解除してあげてもいいんじゃないかな、と思う。

 

たとえばね。

青森に「森のイスキア」という施設があって、

そこにいる方は、疲れ果てた人に、おむすびを食べてもらうの。

食べるだけでなく、自分で作ってみたりもする。

握ったおにぎりを、分け合って、静かに食べる。

 

人って、それだけで、ホッとできたりも、するんだよ。

小さなつながり。小さな安心。

ただ、それだけでも、ね。

 

だからそういうこと、自分にも、ゆるしてあげていいんだよ。

あなたが、選んでいいの。

だってあなたは、今、すごく疲れているから。

それでもまだ、自分を責めようと、頑張っているから。

きちんと罪悪感、感じているから。

 

それはあなたが、いい人である証拠でもあるし、

あなたがまったく何もできていないわけでないことも、事実だよ。

 

そしてその罪悪感というのは、ある「一つのものの見方」から生まれていて、

人間は、その一つの見方だけに縛られなくちゃいけない存在ではないの。

絶対に、ないの。

 

だからね。

今までの見方とは違う、別の捉え方、してみてもいいと思えるよ。

それを自分にも、本当にゆるしてあげていいと、思えるよ。

 

最後に。

ヒントになりそうな、ある方のブログ記事と、

森のイスキアの紹介記事も、挙げておくね。

どちらもリンクアドレスは短縮して。

 

小さな小さな『本気』でいいから、

今の「一つだけのものの見方」から、少し離れてみる練習、してみてね。

 

◎森のイスキア 佐藤初女さん neverまとめ
http://ow.ly/3xWqiC

 

◎坂爪圭吾さん いばや通信
【KUL-クアラルンプール】多分、これが希望だ。希望は良いものだよ、多分いちばんのものだ。良いものは決してなくならないんだ。
http://ow.ly/3xWqjn

 

2015_06_08

Photo by Jonathan Kos-Read
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自分を大切にできるという その力

今日はまず 淡々と書き並べてみようかな

 

◎自分を嫌うから 信じたくなくなる人のパターン

自分を嫌っている

→できなかったときに『ほらやっぱり』と注目して ダメな証拠集めをする

→証拠が集まれば集まるほど『ほらやっぱり』と 自分で納得する

→ますます自分を嫌いになるか 嫌ったままで い続ける

→できたときは偶然 または当たり前としか思えず 

証拠として大事にしないでスルー

 

自分を嫌っている

→他人が好いてくれたとき 勘違いしてるんじゃないかと不安に思う

→勘違いがバレたら 嫌われるんじゃないかと心配する

→勘違いしてるから この人 いつか私を嫌うかもと疑う

→せっかく自分を信頼してくれようとしてくれる相手のことを

つまりは不安に感じ 心配し 疑う

→ちょっとトラブルがあるとすぐに『ほらやっぱり』と捉え 余計に不安になる

→私のことを本当に好きなのかと 結局 毎回尋ねて確認する事態になり

やがて相手も疑われることに疲れて 距離を置き始める

→『ほらやっぱり』とますます疑い 不安になるから ますます尋ねる

→相手もやがて 信じてもらえないことにガッカリするから 関係が壊れる

 

◎自分を好きだから 信じられるパターン

自分を信じられている

→完璧にはやれないかもしれないけれどやってみようという気持ちにもなる

→少しでもできた部分には 気付けるので『うん ここはできるね私』と思える

→ならばもう少し とか これもまた などと試したくなる

→それぞれ できる部分に気付けるので 自信もさらに持て

自分が 自分を少しでも認められる

→他人から何か言われても 自信は積み重ねられると自覚できているから

反省するときは反省し 他者の問題の部分は そうだね でおしまい

 

自分を信じられている

→うまくいっていると思えたときは 自分が何よりまず 喜べる

→他人は他人で 自分と同じように喜ぶことあるよな と腑に落ちるから

好きな人とは一緒に喜べる 嫌いな人は放置もできる

相手の自由も自分の自由も だんだん認められる

 

自分を信じられている

→自分を好きになってくれた相手が ほめてくれた部分を

『そうかな? そう思っていいかな? えへへ』と 

それなりに素直に受け止められる

→それゆえに相手に明るく感謝できるため 気持ちよく思い遣りも示せる

→ますます相手からも好かれ 自分もまた相手のよい面も見て 伝えたくなる

→よい面を持っているなと思える相手なら その人の言うことを信じられるので 

その人が褒めてくれた自分に対する自信も生まれる

→よい面からの自分に対する他者視点など

いろいろな角度から見られて証拠集めができるため

もっと自分に自信を持てる

→その結果 自分を好きであってよい根拠が増えるので 

そのまま またはさらに 自分を好きでいられる

 

毎回 ではなくても 大まかな流れとして

こういうこと 起こりやすくなっていくと思えるの

 

前向きに勝手になれる

逆に勝手に 後ろ向きになる

 

その根っこの部分には いかに 自分を大切に扱える練習を

自分に「積んであげられるか」の意識が関わっていて

昨日も書いたように 他人からそれをもらおうとすることばかり 求めていたら

いつまで経っても その他人の都合には 必ず振り回される

 

相手は機嫌悪いときだってあるよ

当たり前だよ 仕事やその他でキツイときもあるよ

 

なのにそれを自分のせいじゃないかとか

訳のわからん心配までしてしまったら

相手の機嫌 余計悪くすることに わざわざ協力しちゃうんだよ?

 

他人にばっかりもらいにいくのは

そういう迷惑もかけるんだよ

 

だからさ 自分への信頼は 自分で持つことも

いい加減 練習してみていいんじゃない?

相手に負担かけたりもして ややこしくしなくていいんじゃない?

 

認めて認めてって 常に迫られたら

自分だって辛くなるとき ないかな?

顔色ばっかりいつも伺われたら キツイときないかな?

 

自分が自分を好きになることは

何を経験したあとであっても 自分で 必ずできるんだよ?

 

2015_06_07

Photo by skeeze
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http://free-photos.gatag.net/

 

私には それが確かに 生きる力に つながると思える

その実例のものすごいものをひとつ 最後に挙げておくね

 

キシリトールさん

リンク紹介させていただきます

 

このタイトルの会を 開こうと決意されたあなたの気持ちに

心から 深く深く 敬意を 表します

ありがとうございます

 

◎キシリトールさん
ティーパーティー、リハーサルなう。
http://amba.to/1FHkcrW

 

彼の切なる想いが 気持ちが

他人に「認めてほしい」ばかりを見つめている方々に 

どうかいつか 伝わりますように