カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

何かを してくれる人だけが「好き」?

たとえば の 話から入るね

今 自分が 憧れている 好きな人が いるとする

あなたはその人のこと ステキだな と 心の中で 思っているとする

人を想定するのが無理なら 好きな動物でもいいよ

 

さて そのとき

あなたはその人の『業績』や『自分への尽くし方の度合い』で

その 好き という気持ちを 抱いているだろうか?

 

その人が 何かを成し遂げたから 好き?

何かを 自分にしてくれるから 好き?

 

自分になんらかのモノを 貢いでくれるから好きで

貢いでくれないときは 途端に 嫌いになる?

 

好きになるきっかけのときには

確かにそういう面 多少はあるかも知れないけれど

好きになったあとは そんな即物的な駆け引き感覚ではなくて

きっと その人自身のほうを見て『感じる』んだよね

 

芸能人を 好きになるときだって

どんなに好みの外見でも

最初から根性悪くて 批判や悪口ばっかりの人なら

なあんだ ってガッカリして すぐ好きじゃなくなるからさ

 

好き という気持ちは

その人や動物の振る舞い の さらに奥にある 内側の部分を見て感じるモノ

言ってしまえば その『あり方』みたいな部分だということは

わかるかな?

 

好きであれば その人の 多少の失敗も

微笑ましく ゆるせるだろうし

その人がいてくれるだけで うれしい と思う気持ちは

その人に会っていない 直接あなたに 何かをしてくれない時間にも

自分の内側に 保てているよね?

 

片想いなどは そのわかりやすい例だと思えるけど

そう言えば 何となくは 伝わるよね?

 

好きな人のこと 常に採点 しないよね?

採点して そのたびに 

この件では嫌いになろう ガッカリしておこう なんて

積極的には 求めないよね?

 

そしてまた その人のこと いろいろ知ってみたいと思うし

知って 他の面も好きになれたら さらにうれしいよね?

 

わかるかな 逆に あなたに直接 暴言吐いたり

殴る蹴るをする人は 感覚的にもう 好きではなくなる

あなたを採点して 悪口言う人は 感覚的に 嫌いになる

 

だったら あなたも 自分を 好きになること可能なんだよ 本当はね

 

自分を気持ちのうえで殴る蹴る 暴言吐く

それをするからこそ さらに 自分嫌いになっていくのよ

だって『自分を勝手に傷つける人』だもの それ

感覚的に 嫌いになる一方だよ

 

だからさ

自分を罵倒するの なるべく やめてみたら?

自分を採点するの できるだけ やめてみたら?

コントロールしまくろうとすること 極力 やめてみたら?

 

そんなことしてくる人 あなた 嫌いなはずだよね?

なのになぜ 自分に対しては それをやるの?

 

言うこと聞かない人 殴りまくったら いつか

その人って あなたを好きになるの?

 

罰を与えまくって 常に非難しまくったら

その人 あなたを好きになるの?

 

何かをするから 何かになるから 何かができたから

自分を好きになるんじゃないよ?

 

それともあなたは 自分が好きになった人のことも

常に常に 何かにつけ 微に入り細に入り 見張りまくって

延々 こまめに採点してるのかな?

何をしてくれるか 自分への貢献度合いによって

しょっちゅう 好きの気持ちのレベル 変えるのかな?

結局 あなたの『好き』という感覚 感情は 

その人の『貢献の度合い』を見張るために使うモノ?

あるいは直接の関わりなら 見返り欲しさに使うモノでしかない?

 

そんなことは ない はずだよね

 

昨日も言ってみたけど

根本的な視点が違うっていう意味 少しは伝わるかな?

 

きっかけさえあれば

あなたは 自分を好きになれるし

本当はそもそも きっかけがなくても 自分は 自分を好きでいていいんだよ

 

何の根拠もなく それでいい

単純に 土台の部分で好きでいられるからこそ

信頼も信用も できるようになるんだよ?

 

そうした自分との関わり方

土台を作るのための レッスン

視野を変えてみるためのレッスン

そちらのほうが

何かになったり 成し遂げたり 何かを努力するよりも

実は 他人との関わり方よりも

優先なのだと 私には思える次第

 

他人から 今は何かをもらえなくても

そちらが優先 なのだと思うよ

 

難しく考えないで

まずはね 『微笑レベルの笑顔』でいてごらん

どうしても泣きたいときや 心が痛むときは 無理しなくてもいいけれど

それ以外の普通のときは できるだけ意識して

まったく何の理由もなく 口角 少しだけ 上げ続けてごらん

 

仕事中でも 移動中でも お風呂の中でも 朝起きてから 寝るまで

イヤなこと考え始めたら それも なるべく止めるようにして

代わりに口角を 意識してごらんよ

 

怪しい人? バカみたい? 

うん どうせ 自分はバカなんでしょう?

だったら良いじゃない

自分を罵倒する行為よりは よほどマシだし

少なくとも すれ違う周囲の人を

ちょっとだけでも ホッとさせられるよ?

 

同じバカなら 自己罵倒バカでなくて 微笑むバカに なってごらんよ?

 

最初はね 本当に そんな小さな練習からでいいのよ

なるべく意識して ホント1週間以上はやってみてね 

やってから 感じ始めるようになることがあるの だからやってみてね

微笑みやすくするために 穏やかな音楽とか使っていいから

この練習の意味は 自分でやがて わかるから……

 

2015_05_15

Photo by gaborfejes
Pixabay

 

嫌いなもの ほめられたらうれしい?

どれだけ 受け取っても 満足できないのは

あるいは途中で あきらめて イヤになるのは

 

もともと嫌っているものを 他人から 好きになってもらうことで

自分もまた 好きになれるかも と 思っているからだよね

 

嫌いな服がありました

それを着ていたら いろいろな人から ほめられました

 

その時点で確かに

え? これ 悪くないのかも?

とまでは 思える

そこまでは あまり無理せず 何となく

スムーズにたどり着ける人 多いと思える

 

じゃあ だからと言って

持ってる服 全部それと同じタイプのヤツに変えられる?

 

ほめられるからって

自分ではあまり好みじゃないものに

全部 変えられる?

 

普通 そこまでは 無理だよね

 

2着か3着くらいまでは 揃えられても

そもそも 自分が好きじゃないものを

一生選ぶのは 無理だよね

 

だって 嫌いな部分は 嫌いなまま 変わらないんだもの

 

さ このたとえで わかるよね

外側 変えてさ

外側からのほめ言葉 

外側からの喜び

何を どんなに どれほどくっつけたところで

 

あなたが その強烈な

自分嫌い

変えない限り

自身で 本当には

心の底からは楽しめないってこと

 

嫌いなものをほめられていっても

あなたは本当には 喜べないってこと

本気で楽には なれないってこと

 

ほめ言葉を得ようとすることは 演じること

演じるっていうのは わざわざ意識して

自分の感覚ではないことも そうである振りをすること

 

外側に見せる何か という服を

何枚も用意して 相手に応じて 着替えること

 

全部 本来の自分じゃないのに

何枚も何枚も 何回も何回も

着替え続けていったら 疲れるよね?

 

やがていずれは 

そうやって演じる自分のこと

さらに 嫌いになる

 

まるでそうなるための 準備をするかのごとく

外側ばっかり 着替えて 何度も演じる

何度も チャレンジするの

 

性格だけに限らないよね

お金という服 名誉や地位という服

親切で思い遣りのある人 という服

大切に扱うよ(だから私にも返して) という服

あなたの好みに合わせるよ という服

自分の見た目 ステキなパートナー 

そういうのも服には なり得るよね

 

着替えれば 着替えるほど

のちほどやがて 自分嫌いになれる

その準備だけを 繰り返すことになる

 

だって演じてたら いつかネタもなくなるし

新しいネタがなくなったら 

古いもの見せられてる相手も飽きるし

 

それにさ 見返り欲しさに演じてたってこと

相手も いつかは気づくよね

そうしたら 

なんだ 本当のあなたじゃないのか それ

って 言われておしまい

 

でさ あと何着 用意して

何着 着替えたら

 

そもそも 私 これでは うれしくなれないわ

私 これでは 本気の喜び 得られないわ

ってことに 気づけるかな?

 

そもそも 根本的に 何かが違ってる

これでは私 幸せじゃない って気づけるかな?

 

着替えることが 重要なんじゃないよ

自分が 着替えてしまってる ってことのほうに

気づけることが 大事なんだよ

 

そもそもなぜ あなたは そんなにも

自分嫌いを 続けなくちゃいけないわけ?

 

新しい何かを 演じる服を得る前に

このそもそもに 気づいてみてね

 

生きるのを 難しくしてるのは

その 着替えなくちゃ いけない

という思い込みで

着替えがない自分は 何もない ダメなもの

として捉える その 視野のほうだってこと

 

そんな視野でいるから

そんな視界の中にだけいるから

いつも 難しくなるんだってこと

いつまでも 苦しいんだってこと

 

ねえ 苦しいなら いつか 気づいてね

 

2015_05_14

Photo by tomwieden
Pixabay

 

『ない』を 見つめて

食べられる食べ物 もらえて

着られる服 もらえて

眠れる寝床 もらえて

風邪を引いたら看病 薬 もらえて

学校へ行ける環境 もらえて

お出かけする自由 もらえて

 

で さらに?

自分をもっと えこひいき してくれなったから

求めるだけのもの 存分に返してくれなかったから

足りない足りない足りない

だけを見つめる?

もらえてないもらえてないもらえてない

それで憎み続ける?

 

代わりに誰か

私を えこひいき してよ!

って?

 

あなた自身の力は

あなたのためには使わない?

誰かから 何かをもらうためだけに使う?

 

あなた自身が持ってる

思いやりや優しさや愛は

自分のためには使わない?

ある特定の

あなたが狙いを定めた誰かから

何かをもらうために

交換物として 渡すだけに使う?

 

狙ってない相手からは 拒否してるもんね 実際

 

うん

自分が欲しいもの

自分が望む限定的な相手からだけ

差し出されたときに

初めてあなたは

きっと 満足するだろうけれど

 

そのあとで

それがちょっとでも減ろうものなら

また 足りない地獄 へ逆戻りだね

 

それさ

相手を 奴隷のように扱わない限り

望む量を望んだときに必ずもらうことなんて無理だから

つまり相手を 自分の奴隷か人形にしたいんだね

 

自分が 

自分を尊重しないと

他人のことも 結局は

尊重 できなくなるのかもしれないね

 

有ることが難しい

=有難い

だから ありがとう で

つまり ありがとうの反対は

『当たり前』らしいよ

 

ということは

あなたが今の『ありがたさ』を

当たり前と思い続ける限り

望む相手と違う 他の人からなんて いらない!

って やり続ける限り

あなたはずっと

足りない地獄

もらおう地獄

のループから 抜け出すこと 困難なのかもね

 

そもそもが恵まれた国に 生まれていることだし

与えてもらってきたもの きっとたくさんあるよ

ゴミの山の中から瀕死の状態で

助け出された過去を 持ってる人

きっと少ないよね

 

だから 他の見つめ方も

他の在り方も

試してみてもいいんじゃない?

 

欲しい欲しい欲しい

ないないない

それだけを思い続ける

そのままの状態でいるよりは さ

 

幸せ という気持ちは

そもそも自分が

内側で感じる感覚だってことは

さすがに 知っていると思うのだけれど

ねえ なぜ外側だけを 探すのだろう?

 

それもまた あなたの自由 とは言え

不満しか見つめないやり方

不足しか見つめない視野

それがゆえに 見えてくる世界観は

確かに 苦しいだろうとは 思えるのさ……

 

2015_05_13

Photo by Alan Vernon.
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