嫌いなもの ほめられたらうれしい?

どれだけ 受け取っても 満足できないのは

あるいは途中で あきらめて イヤになるのは

 

もともと嫌っているものを 他人から 好きになってもらうことで

自分もまた 好きになれるかも と 思っているからだよね

 

嫌いな服がありました

それを着ていたら いろいろな人から ほめられました

 

その時点で確かに

え? これ 悪くないのかも?

とまでは 思える

そこまでは あまり無理せず 何となく

スムーズにたどり着ける人 多いと思える

 

じゃあ だからと言って

持ってる服 全部それと同じタイプのヤツに変えられる?

 

ほめられるからって

自分ではあまり好みじゃないものに

全部 変えられる?

 

普通 そこまでは 無理だよね

 

2着か3着くらいまでは 揃えられても

そもそも 自分が好きじゃないものを

一生選ぶのは 無理だよね

 

だって 嫌いな部分は 嫌いなまま 変わらないんだもの

 

さ このたとえで わかるよね

外側 変えてさ

外側からのほめ言葉 

外側からの喜び

何を どんなに どれほどくっつけたところで

 

あなたが その強烈な

自分嫌い

変えない限り

自身で 本当には

心の底からは楽しめないってこと

 

嫌いなものをほめられていっても

あなたは本当には 喜べないってこと

本気で楽には なれないってこと

 

ほめ言葉を得ようとすることは 演じること

演じるっていうのは わざわざ意識して

自分の感覚ではないことも そうである振りをすること

 

外側に見せる何か という服を

何枚も用意して 相手に応じて 着替えること

 

全部 本来の自分じゃないのに

何枚も何枚も 何回も何回も

着替え続けていったら 疲れるよね?

 

やがていずれは 

そうやって演じる自分のこと

さらに 嫌いになる

 

まるでそうなるための 準備をするかのごとく

外側ばっかり 着替えて 何度も演じる

何度も チャレンジするの

 

性格だけに限らないよね

お金という服 名誉や地位という服

親切で思い遣りのある人 という服

大切に扱うよ(だから私にも返して) という服

あなたの好みに合わせるよ という服

自分の見た目 ステキなパートナー 

そういうのも服には なり得るよね

 

着替えれば 着替えるほど

のちほどやがて 自分嫌いになれる

その準備だけを 繰り返すことになる

 

だって演じてたら いつかネタもなくなるし

新しいネタがなくなったら 

古いもの見せられてる相手も飽きるし

 

それにさ 見返り欲しさに演じてたってこと

相手も いつかは気づくよね

そうしたら 

なんだ 本当のあなたじゃないのか それ

って 言われておしまい

 

でさ あと何着 用意して

何着 着替えたら

 

そもそも 私 これでは うれしくなれないわ

私 これでは 本気の喜び 得られないわ

ってことに 気づけるかな?

 

そもそも 根本的に 何かが違ってる

これでは私 幸せじゃない って気づけるかな?

 

着替えることが 重要なんじゃないよ

自分が 着替えてしまってる ってことのほうに

気づけることが 大事なんだよ

 

そもそもなぜ あなたは そんなにも

自分嫌いを 続けなくちゃいけないわけ?

 

新しい何かを 演じる服を得る前に

このそもそもに 気づいてみてね

 

生きるのを 難しくしてるのは

その 着替えなくちゃ いけない

という思い込みで

着替えがない自分は 何もない ダメなもの

として捉える その 視野のほうだってこと

 

そんな視野でいるから

そんな視界の中にだけいるから

いつも 難しくなるんだってこと

いつまでも 苦しいんだってこと

 

ねえ 苦しいなら いつか 気づいてね

 

2015_05_14

Photo by tomwieden
Pixabay

 

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