カテゴリー別アーカイブ: 生きるか、死ぬか。

もはや それは幼子の

昨日あった出来事で それは小さなイジワルで

ゴメン もはや 可愛らしいとさえ感じて

思わず微笑んでしまった 私がいた

 

そんな受け止め方 きっと本人は絶対 されたくないだろうけど

ゴメン 本当に幼くて可愛らしかった

 

微笑む自分にも なんだか ほほう と思えたけど

こんなことを つい観察して ついでに自分も観察して

ふふふ と 微笑む私がいるっていうのは

これ 年の功かな? 鬱の功のほうかな?(笑)

 

いずれにしても ますます私は割り切れて ラクになれていて

もはや少し 面白くさえあって

なんだかとても ありがたい話なのである……m(_ _)m☆

 

と ブログ記事を書く前に こっそり つぶやいておこう(笑)

自分のための 記録

 

2015_04_22_01

No. 067
Illustration by M/Y/D/S 転載不可

 

「こんなはず」とは どんな「はず」?

こんなはずじゃなかった?

そうなんだ

じゃあさ それ どんな『はず』だったかな

 

相手もひとりの『人間』だということ 無視してた?

自分もひとりの『人間』だということ 無視してた?

 

あなたは 相手に 自分に

どんな想像を 理想形を 求めていたのだろうね

もしかしたら ゴメン キツイ言い方だけど

何の理想形を 押し付けようとしてたのだろう?

 

あなたの頭の中にある

その『こんなはず』という夢

もしあなたが 誰かから同じように

「あなたは こういう人だよね こうなるよね」と 一方的に押し付けられたら

それ 苦しく感じないかな

つらくならないかな

何を勝手に とか 表面だけ 一部分だけ見て とか

腹立たしさも ときには感じたりしないかな

 

こういうの 他人にされたら わかるんだよね

頭の中の 想像だけで 違うのにと判断されたら

自分はとても 居心地 悪いってこと

 

なのにあなたは 実は他人へ

本当はこうあるべきなのに! こうなってほしいのに!

を こっそり押し付ける

 

さらには 自分に対してになると

途端に盲目的な 上から目線

 

本来なら こうなるべきはずで

これができるべきはずで

こうならなくては いけなくて

 

うん まあ ね

おとぎ話の中でなら

王子様なら こうあるはずなのに

お姫様なら こうふるまうのが当たり前なのに

これが できなくちゃいけないのに

そんな雛形のイメージだって あるかもしれないけれど

 

上司なら 親なら パートナーなら 子どもなら 友達なら 後輩 先輩なら

そして自分なら

 

はいはい 頭の中に浮かべていた想像をぐいぐい押し付け 

相手の実際の反応と 並べて比較して

自分を または相手を 常に採点して

批評 評価 反対 妬み さらには反省 落ち込み 罵倒?

さて お次は何しよう だね

 

疲れるだろうね それ

相手にも 自分にも 想像上の夢を 常に当てはめ 押しつけてみて

 

それでもなお 私は世の中の役に 誰かの役に立ちたいとか?

でもそのやり方 何をどうしたところで

『自分は』疲れるよね 必ず

なぜなら相手は必ずしも 想像通り動かないから

 

100人いたら 100通りの性格があるから

そりゃあ 全部を予想するなんて無理だし

相手がどうなるか どう感じるか どう受け止めるかばかり 想像していたら

いろいろなズレが起こって 苦しくもなるよね

 

あのさ あなたと相手は違う人だから

あなたの予想って 外れるのが普通かも しれないくらいだし

望んでるもの 必ず返してもらおうと尽くすのも いい加減 無理あるよね

それ 取引してるだけだもの 自分に好みのモノを 相手から返してもらうために 

自分と相手の違いを 埋めようとする作業ばかりになる

 

違い あっていいんだよ

自分との違いを 自覚するために 使って

自分が何を大切にしているかを

自覚するための材料に すればいい

相手の問題なら 放っておいても いい

 

自分を 疲弊させてまで 

自分の理想形を押し付ける必要 あるのかな?

相手の理想形 叶える必要 本当にあるのかな?

 

もっと自分がワクワクできるよう

自分自身を そのために動かす練習のほうに

集中してみるのは どうしてそんなに

いけないのだろうね

 

誰かと一緒に なんとかして うまく過ごせなければ

人間失格なのかな?

自分を見失ってでも 相手との取引ばかりに夢中になれないと

果たして 人間失格 なのかな?

 

そこが違うと 私には 思えるよ

そこがズレてるから 他人のことしか気にできなくて

いちばん大切にしなければいけない

いちばんに肝心な自分を

雑に扱うしかなくなるのだと

私には 思えるよ

 

他者との 完璧なよい関係

そんな夢の世界に振り回されること自体を

そろそろ やめて

自分との関係 作り直してみない?

他者との 素晴らしい関係の前に

自分との よい関係 作り直してみない?

 

自分を 大切にするということが 何なのか

本当に そろそろ……知ってみない?

 

それともまだそんなもの 知る資格なんてないと思い込む世界で 

『自分嫌いの今』を 続けていきたいかな?

 

2015_04_21

StephaniePetra
ID:201402181300
GATAG フリー画像・写真素材集 4.0

 

熱々でなく「静かに落ち着ける温かさ」が好みです

なんとなくわかってはいたけれど、

他者の文章を読んで、

あらためて自分の中で腑に落ちたこと。

また短縮URLで、それらの記事も紹介しながら、

今日は思い切り、自分内整理させていただきます。

 

なんのことかと言うと、それは共感の「示し方」。他者との近づき方や、

カウンセリングでの、あるやり方や「度合い」に関する、個人の好みの話。

 

先日、心屋さんがね、共感する面での『女子力』について、

記事を書いておられた。

◎心屋仁之助
「■女子力と、カウンセリング力」
http://ow.ly/3xKKjN

 

これを読んだときに、あー、なるほど、私も、

ハグしちゃうよ、方面の共感の示し方は、基本、しないな、と思った。

 

それが実際のカウンセリングの場面であっても、今のところ

そこまで「熱めの、温かい共感」を示すやり方はしていないし、

私はたぶん、そういう方向性の手法は今後もしない、と。

 

この記事で心屋さんもおっしゃっているけれど、

 

『「わかってほしい」が強い人には

「わかってもらえる」というのが、まず先に、とても大事』

 

というところも、それはそれで、ふむふむと、納得できたのよ。

でもそこで、悩み続けるご本人がとどまってしまうと、

『ただの「くれくれ星人」になってしまう』

という部分に、そーだよなー、カウンセリングで起こる疑似恋愛って、

こういうことから始まるんだろうなー、と、思っていた。

 

そうしたら、ですよ。

今日また心屋さんが、あるお母さんからの、

自分の娘に対する実験的なカウンセリングの体験話を、アップされていて。

 

■自分が自分の「本心」に気付く方法
http://ow.ly/3xKKrC

 

この記事の後半、共感しまくって娘を盛り上げるお母さんの様子を読んだときに、

あ、これはほぼ、私にはできない方面だ、と速攻で思えた。

 

『いなくなっちゃえばいいのにね』(の、さらにオブラート取り去った版)などは

もはや私、言いたくない部類に入る表現だし、

一緒に他者を批判して、その悪口度合いをどんどん高めて盛り上がっていくこと自体、

私は中学生くらいのときから、あんまり得意じゃなかった。

 

だからもし、それで相手から「すごい」と喜んでもらえたら、

場合によっては心地悪いと感じるかも……。

 

そしてこのお母さんを、悪い意味ではなく、すごいと思える私もいる。

何だろうな、私の知らない強さ。

それは私に、娘という存在がいないからかもしれないし、

あるいは自分の内側の一部に、割り切りスッパン! の

オッサン脳(笑)を持っていることも、関係しているかもしれない。

 

だからどうやらね、友だちと話すときでも、

ふむふむ、そうなんだねー、と、

わりと静かめに、温かくゆるく、共感することを好んでいるようなのだ、私。

 

でね、これは完璧に『私が勝手に受け止めた、私側の感覚』なのだけれど、

先日、ある場面において、この記事のお母さん的手法を

自主的に寄り添って発揮するのが、仲良しの愛ってものでしょう!

と、宣言されたように「私が」感じたのよ。

 

詳細は思い切り省くけれど、経過の最初のほうの段階ですでに

かなりハッキリと、それを求められたように「私が」受け止めた。

 

なのであんなにもスッパリと、違うアプローチを示したんだわ、私。

 

しかもそれを、最後に正当化もされたように感じて(この辺は私の

色眼鏡だったのか、それとも事実だったのか、確かめようもないし、

今は確かめたい意志もない)、

それで思わず笑ってしまい、相手のことを『卑怯』と思えたのだわ……。

 

あ、かなり意味不明で、しかも強いこと書いていて、ごめんなさいよ(^◇^;)

それくらい『方向性がまるっきり違う』って自身で受け止めたら、

そりゃもうオッサン脳バリバリに発動させて、スパーンと違うやり方するわ、

私なら……いや、私だから。

 

そういう意味では、相手も人選を間違えていると思えるし、

しかもそのときのテーマが、これまた、とてもとても機微を要することであると

私が『常々、思っていた』ものだったゆえに。

さらにスパーンとしたくなったのだね。

間違えたらやばいと、ハッキリ思えたから。

 

なるほどなー。

自分の感覚や感情の経過を、

まさかこんなふうにたどれるとは思ってもみなかった。

いやあ、自分がどういう人間なのか、また一つ、知ることができました。

 

私は静かに温かい共感を示す、わりと落ち着いたやり方が好きで、

別にそれがカウンセリングでなくても、

自分であれ、他者であれ、近づきたいときは

そういう方法であれこれ紐解き合っていく、

そういうのを好む人間だと、改めて気づいた……。

 

南の島のおっかさんは確かにLoveだけれど、

ま、目指しているのは春だし、この木なんの木だし、

そういう意味ではドッシリしていても熱々では全然ないかー、と、

これまた、謎めいたことをメモしておこう。

 

はい、きっと最後までよくわからないままの方、いらっしゃいますよね、

ごめんなさいね。

私はアメンバー記事を書かない人だし

(今後もきっと書かないだろうな……ここはそのための場ではないし)、

今回の気づきは『木元見春としての私』を示すことにもなると思えたので、

あえてメインブログにて、公開記事とさせていただきますm(_ _)m☆

 

意味不明のまま、最後までモヤモヤされた方がおられたら、

どうか今回だけは、おゆるしくださいませ。

 

2015_04_20

画像番号: kis0102-009
Photo by pro.foto