カテゴリー別アーカイブ: 苦しみ

自分への嘘は 必ず 自分にばれる

あやつるな

格好つけるな

媚(こび)売るな

自分をひらけ

それでいいのだ

おそれていても 怖がっていても どんな理由を重ねても

結局その嘘は 自分にいつか ばれるだけ 

自分は 本当は 幸せになりたい

いっぱい うれしくなりたい

人の役にも できれば立ちたい

じゃあ それでいいじゃない

今から まず一歩 違うところへも 踏み出せば

いったい 何が いけないのさ?

……なんだろうね これ 自戒かな

でも それでいいと 思えるんだ

今になって 今だからこそ 本気で

そのための魔法なんてないけど

それと同じくらいスルリと

現実の世界で 自分に 素直になるために

ひらけ ゴマ 

ひらけ 自分

自分が「タネ」をまいたのよ

たぶん心屋センセに読者登録したことがご縁となって

私のブログを読みに来てくださったのであろう方で、

相互読者になり、ただいま絶賛☆育児味わい中のために

お仕事をお休みされているカウンセラーさんがいます。

この方が書かれていることは、なんだかいつも、

私の胸や腹にスルッと入り込んで爽やかな気持ちに

させてくださったうえに「腑に落ちる」ので、

私にはもはや、「悟り」を開き始めておられるようにも思えるほど。

すごいなあ、すばらしいなあ、と、しみじみします。

えーと、お仕事がお休み中なのでたぶん、

お名前出してリンク張らないほうがよいかと思い、

あえて今のところは書きませんが、

私が先日、肩書き「ステキすぎて」コメントさせていただいた、

育休中ですがイベントにはチョロリと参加されたりもする

Sさん、そのうちに読みにきてくださるかと思うので、

もしそれをやってもよければ、ぜひコメント入れてくださいねー(^O^)/

お忙しいと思うので、あるいはメッセで「許可」というひと言でも(笑)

さて、前置きが長くなりましたが、その方のブログを読んで、

うん、まさに、と思えて触発されたので、

「自分がまいたタネ」的な話をしてみたいと思います。

Sさんが書いてくださっていたのは、

自分が他者から「話を聞いて」と頼られたときのこと。

私も昔、経験があるのですが、自分が愚痴のはけ口になったあげく

そのトラブル等がなかなか解決しない場合、

その相手が延々、その話しか言わないように感じ、

何回か付き合っているうちにだんだん

「聞き飽きて疲れる」という状況になったりします。

20代の働き始めのころなんて、仕事も恋愛も友人関係も、

その他、家族のことなども、もろもろ、変化が起こるので

ネタは豊富なはずですが、

その分「若いゆえに重く感じる」話が混ざってきて。

それを聞いていて、最初のうちはまあともかく、

「いつ電話がかかってきても、彼氏の愚痴だわー」なんて

自分が受け止め始めると、もう、次の電話が、いやになってくる。

しかもそういう渦中の人って、相手の話を受け止める余裕も

あまり、ないですし(とくに若いとね……)、

一方的に『聞かされている』感が、どうしても自分のなかに湧いて、

電話が終わるとグッタリ疲れ……ああ、もう、と。

はい、すみません。生意気ながら私、

先輩、同僚、友人、それぞれに対し、

昔、感じてたことがありました。

で、Sさんもおっしゃっているのですが、

実は「それを断らなかったのは自分」なんですよね。

いい顔をしたくて、話を聞いて「あげた」。

親切心を発揮してして「あげた」。

その結果、問題はとくに解決せず、

相手もとりあえずそのとき、ちょっと気が晴れるだけ。

自分はだんだん、グッタリ度を高めていく一方。

……はい、これ、あまり、よろしい状況ではありません。

憂さ晴らし「させてあげてる」つもりで

自分にはどんどん「憂さ」が溜まっていく。

そのうち、いい顔も続けられなくなって、

そうなると逆に、相手からは文句が出たり。

でもね、自分のそうした「気持ち」を無視して、

そのとき、相手にいい顔をしたのは、

まさに私、だったのです……イタタヽ(;´Д`)ノ

そこに気づけないと、相手に対しそのうち、怒ってしまい、

相手側も「何なの?」になって、もしかしたらケンカにまで

なるかもしれません。双方ともに、心地よくはなりません。

自分で「やってあげようか」なんて思い込み

話を聞くほうを選んで、

自分で怒って、

自分から関係くずして。

結局は、イヤな気持ちになる。

何やってんでしょうね、私。

今なら、昔の自分に向かって「コラコラ」って、

ペシッと頭をはたいてあげたいです(笑)

そんなふうに格好つけて「いい顔」ばっかしてると、

あとで自分を苦しめるうえに

結局、相手にも迷惑かけるだけでしょ、って。

ええ、相手のせいにしちゃいたいところですが、

「先にそれをやってるの」は自分なのです。

そこの視点を、過去の私は忘れてました。

同様に。

これは『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて

慶應大学に現役合格した話』(角川書店刊)でも

心理学的な「自己効力感」「学習性無力感」などの用語で

解説されていたので、今までよりさらに! 自信を持って(笑)

言えるようになったことなのですが(今までは体験的な感覚だった)。

あ、上記の本については、また近々、

もっと詳しくご紹介したいです。たぶんサブブログかな?

単なる努力物語ではなく、これまた読んでよかった(^O^)

はい、怖い話ですよ。

「できないと思うと、本当に身体的な『能力』まで自分で

下げてしまうため、ますますできない可能性を高めてしまう」のです。

できない、と自分が思ってしまうからこそ、できなくなる。

それもまた「自分がそういうタネを選んで、まいて、

その刈り取りをしている」のです。

だから鬱の脳みそを回復させたいなら「できる範囲で楽しむ」、

それが「今の自分でもやれる、うん、可能なんだな」って、

まずはきちんと味わう、ってことが

やはりかなり、大切なのかも。

しかも! もっと怖い話ですが、

「無理」「できない」「苦手」という思考ばっかり繰り返すと、

やがて、「ふだんから無力感に包まれた状態」を、

自分で当たり前、と感じてしまうそうです。

うひゃ~。

そんなのをみずから、練習しまくったあげくに、

できない自分、能力のない自分、という感覚を

「通常の自分、普通、デフォルト状態」にはしたくないですよね、やっぱり。

なのでとくに、まだ視点を切り替えたり自分を見つめなおすのが難しい

「病」状態の人は、そのいやな思考自体を繰り返さない、

禁止でもなく(禁止するとかえって意識しちゃうので同じことになってしまう)、

そこから単純に「離れる」ことを、心がけてくださいね。

「やってる」(→そしてときには、ややこしい結果を招く)のも、

「やってない」(→そして結果、いつまで経ってもできない)のも、

つまりは自分が選んでそのタネをまき、自分が収穫するハメに

なっているのだということ。

愚痴を繰り返し聞く代わりに「それって自分で自分をいじめてるよ」

などと、相手が視点を切り替えられそうな言葉を伝えるとか。

「無理」と思うからいつまで経ってもできない、のか、

「本当は面倒だからやりたくない、

そこを自分で認めたくないだけ」なのかを、

自分でちゃんとごまかさずに見つめてみて

「結局はどっちを選ぶほうが、より自分が幸せなのか」を

きちんと感じてみるとか。

ちょっと落ち着いて。タネをまく前に、まず先に。

刈り取るとき(ずっと続いたとき、あるいはやった、やらない結果)

を、成果や出来事からではなく、

自分がどう「感じる」か、のほうで、想像してみる。

するとあらかじめ注意したい点などにも、気づけるかも。

自分がヘンに、疲れたりしないようにね。

わかってて、やって(やらなくて)、なのに

自分に(相手に)文句言う、なんてのは、疲れるもんね。

そんなふうに、今までとは違った部分も、

試していただければと思う次第です。

自分の悪口を言う趣味

いや別に 人の好き好きなんだとは わかっているけれど

ずっと 自分のダメな点 できない点を並べては

自分の悪口ばっかり言うのって

それ もはや趣味みたいに 日課になってるよね

1日最低 1回は 必ず

自分の イヤなところしか 見ない

できないところしか 気づかない

そしてそれを ただひたすら なくそうとするか 

わざわさガッカリを感じてから あきらめるか

そういう状態って 自分の子どものダメな部分だけを

ずっと「ダメ」「ダメ」って言い続けて

いいところは結局 一切見ないようにしてるに等しい

そんなお母さん お父さんみたいだね

延々 叱って 否定して 説教ばかりしていけば

いつかは少し直るんだと 本気で信じてるよね

ここが嫌いだ こういうところがダメだ

あんたのこの部分が許せないよ って言い続けたら?

そりゃあもう 子どもはさ

しじゅう 親の顔色伺って 

それこそもしかして1日中 オドオド ビクビクして

もはや何を どう直していいのかも わからなくなっていくよね

自分に対して 文句しか言わない という趣味

たとえば病になったとしても 一切 いたわらない

そんなの あなたの自己管理がなってないだけでしょ! と

新たに怒るための 原因にして

自分の「悪い点リスト」にまたひとつ

新しい「イヤな面」項目を付け加える

そして古い項目も見返しては しょっちゅう

だからダメなのよ

だから失敗ばかりで あなたをほめられないのよ

だからキライなのよ

だからイヤなのよ

そんな説教を毎日 ことあるごとに 繰り返し続ける

うん

そうだね 悪い過去と できてない今しか見ず

そんな自分の育て方したら

いつか自分という「その子」は 自身の立ち位置を 完全に見失って

萎縮して 泣いて 閉じこもること ほぼ間違いなし だわ

なにくそ! という気持ちも

否定の上塗りばかりじゃ 挫折させられるもの

そんな「しつけ」 いったいいつまで自分に繰り返すのかな

過去から今にいたる 悪い面列挙の オンパレード

性格的欠点

人間関係での失敗

仕事や勉強の不出来具合

会話の非スムーズさ

キライな外見

体重 身長 顔の造作 それから それから?

ほかにはもっと

いけないところ

ダメなところ 

直さなくちゃいけないところ

ないかな?

悪いところばっかり 探して

悪いところばっかり 見つけて

悪いところばっかり ずっと累積してる! と

過去の分からまとめて 毎回いちいち 全部責めて

悪いところだけを 見張ってるんだね

そんな趣味を 続ける限り

いつまでたっても 自分の内側に引きこもったまま

誰とも 打ち解けられないよね 確かに

だってそんなに ダメで 大嫌いな自分

心の底では 本当は 誰にも見せたくないもんね

本当の自分なんて さらしたら嫌われるだけだよね

そう思い込んじゃうよね

以前 心理カウンセラーの衛藤さんが

相手を憎み続けるという恋愛の話で 使っていた表現を借りれば

あなたの場合は延々 自分の憎い部分とだけ

毎日デートを 自分から選択して 続けてるってことだ

そのデート 止められるのよ 本当は

やめていいのよ 本当は

あなたが 自分を嫌わないという選択を ただ怖がってて

結局デートのほうをずっと選んでて やめていないだけ

だってちゃんと 完璧に 欠点に注意を払い続けないと

私がもっと ダメになるじゃない 

ダメを「世間にさらす」に決まってるじゃない!

そう勝手に決め付けて 勝手に思い込んでるだけ

ごめんね はっきり言ってみようか

その思い込み 完全に「本当じゃない」 から

よくない癖を 直していこうと気をつけるのと

キライな面だけを 思い込みで欠点だとさえ決めつけ 自分で見張るのは

まったく 意味違うから 

そう思い込むのって もしかしたら あるいはやはりまだ

脳みその作動 調子悪いこともあるんじゃないかな?

病に至ってまでは いないとしても 

追い詰めつつあったりさ していないかな?

そんなの うん 確かに 本当に苦しいだろうと思うし

あなたの中の 萎縮したあなたを

本気でもったいないと思うよ

何を見つめ どう受け止めるかは

まあ 確かに あなたの選択次第だから

許せない と 言い張り続けるのも自由だし

だから私は 止めはできないけど

それで「なぜ ここまで いつまでも 苦しいんだろう?」

というのは

そりゃもう デートし続ける限り 当たり前だと思えるよ

憎い部分ばかり 心の鏡に映すだけで

あなたが 本当のあなたを 一切 見ようとしないからだよ

嫌いな部分の妄想で膨らまして ゆがめて 

自分で「ジャバ・ザ・ハット」並みにパンパンな姿に変えてしまった

醜いあなたしか 見ようとしないからだよ

それでもなお あなたのなかには

輝ける すばらしい ステキな 本当の あなたがいること

その鱗片はあちらこちらに 光って見えているから

あなたのやり方で そこたどり着ける日が

やがて訪れると 私は知っている 今すでにそう思える

だから どんなに遠回りになったとしても

あなたがいつか その 素晴らしさに気づくのを

本気の笑顔で 本心から信じて 安心して 待ってるよ

あなたの素晴らしさを 認めるための「条件達成」なんて

ホントはまったく 必要ないからね

少なくとも自分が 自分の悪口しか言ってないこと

それで心の鏡に映る自画像を 自分が ゆがめていること

できればそこには そろそろ 気づいて……ね

本当のあなたは 周囲からこう見えているのに

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自分だけが 鏡の中の自分を こう見てるってことに ね

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Photo by  Nicholas Kennedy Sitton
GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0
    
ジャバ・サ・ハット
スターウォーズの鉄人

そしてそれは 程度の差はあれ 誰にでも起こりうることで

恥でも あやまちでもなく

本当の自分 本当の意味での真実を見る勇気を

勝手に自分がゆがめていただけのことだって ね

その実例 実際に行われた実験動画も 挙げておくね

言葉はわからなくても やってることの意味は わかると思うから

鏡できちんと客観的に見ることができる 外見すら

人は自画像を ゆがめている

あなたもいつか こんなふうに 気づけますように

◎Dove Real Beauty Sketches

自分が説明する「私」と 他人からみた「私」 

それをプロの捜査にも関わる画家が 人物は見ず モンタージュイラストに

https://www.youtube.com/watch?v=XpaOjMXyJGk

◎この動画の紹介記事(日本語 できれば動画を観たあとに読んでね)

http://rocketnews24.com/2013/04/18/318504/