カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

誰かに答えをもらうのが『正しい』ではない

他者の存在。

それは、わかり合えるようになるためにある。

お互いを知って、折り合える、

思いはからいを発揮できてうれしくなれる、

違い、を教えてくれる、

そのために、いてくれる存在。

 

そして、そんなふうに

合う人を見つけられらるためには、何よりもまず、

自分がどんな人間であるかを『私が』知らなくちゃね。

 

あなたは、

何が好き? 何が嫌い?

何が心地よい? 何が面白い?

何が楽しい? 何がうれしい?

何を見たら、聞いたら、食べたら、触れたら、嗅いだら、

どんな言葉を発したら、自分がうれしい?

 

そこを知らずして、他人に好かれようとだけすると、

自分に嘘を重ねていくことになるから、苦しくなる。

 

しかも、その五感と(空気感も入れたら六感だね)、

心で感じることまで、自分に対して極力、使わないようにして。

他人の言葉と気持ちばかりを指針にして。

それを続けて、みずから、自分の感覚を無視するようになる。

 

黒が嫌いな人がいていい。

黄色が嫌いな人がいていい。

 

なのに今のあなたは、

誰かに何か言われたら、

それが『正しい』とかいうふうに、

良い悪いだけで捉える。

 

まるで世界には、善悪二つの判断方法しかないかのように、

相手の意見、鵜呑みにして、

私が正しくないんだ、ってことにする。

 

はい、それをある意味、

犠牲

とも呼びます。

 

なんのために、あなたの感覚は存在しているのだろうね。

特定の誰かに気に入られるために存在してると思ってる?

いいえ、あなたが、

『あなたの』好きなものを楽しめるように、

好きかどうかを感じられる、立派な「センサー」として、

心も、身体の五感も、六感も、備わってるの。

 

自分が、それらを自分のために使わず、

「相手からの反応を読む」ためだけにひたすら使い、

自分自身をどれだけぞんざいに扱ってきたか。

たぶん、そろそろ、あなたは気づいていると思う。

 

だったらまず、正しい、正しくない、なんていう、ある意味、馬鹿げたことと、

『他者の口から言われることを鵜呑みにする習慣』そのものをやめてみて。

 

素直に、自分に「合う」人を見つけるために、

自分が何を好むのか、

そっちの感度のほうを上げていく「練習」、してください。

 

良い悪い以前に、それより先に、

自分が心地よいかどうか、を捉える練習。

 

ここを訪れる人は、傷ついた方が多いと思う。

つまりすでに、あなたは他人をいじめたり、傷つけることを

楽しい、とは感じないですむ人だから、

相手が「傷ついた!」とか言ったら、

それは相手の抱えている問題ゆえのことも多々ある。

つまりそれは、あなたの問題ではないのだから、

身代わりにならなくていい。

代わりにあなたの身を差し出して解決(従属)したら、

相手が『他者と自分の違い』を学ぶ機会まで、

自分の勝手なお節介で、奪うことになるよ。

 

そっちのほうが、よほど意地悪だわ。

 

相手の感じること、そこからの相手の「学び」まで、

自分が怖いあまりに、強引に言い負かして言い分を打ち消してみたり、

身を差し出して、勝手に先取りして奪ってしまうのが、共依存。

 

怖いから、っていうことを理由に、奪う、打ち消す、

それぞれが自分のエゴだけを、お互い押し付けあって、

それを「愛の証」などととウソブくのが、共依存。

 

たぶんね、多少の違いはあっても、

あなたが今までやってきたのは、それだよ。

ゴメンね、表現、キツくてさ。

 

ということで。

最後に、覚悟を決める勇気、の話を書いてくれている、

この記事を、贈ります。

 

たぶん今は、自分の感覚を忘れすぎているから、

とりあえず先に、寝て食べて、身体を温めて、

自分を感じるための「余白」から

まず取り戻してください。

思考だけ使ってるよ。

感覚、感度、使い忘れてきたんだよ。

 

希死念慮も、拒食も過食もリスカも、

自分の「存在」をなんとか感じようとしてやってる部分あるよね。

意味、わかるよね?

そこまで過激でないと、

感じられなくなってるってことだよ、自分を。

 

まずはもっと五感と、心を、取り戻してください。

 

◎さとこ さん
存在意義や自分の価値
http://amba.to/1pU9AWr

 

 

2016_03_20

Photo by Dyaa Eldin
Unsplash

 

私ってば、そう感じてたんだね

苦しさに出会ったとき。

何の評価も加えず、採点もせず、

自分が、今、感じていることを

 

ほう……そう感じているのか 私

 

と、淡々と知り、感じていく作業。これ、大切です。

そのときは、ホントに、自分を採点するな、批判するな、です。

『私はそういう状態であるな』という事実に気づいて、見つめるだけ。

 

今までは、そんな感覚も丸ごと無視していたり、

気づいた瞬間、自分を罵倒したり馬鹿にしたり、さらには

せっかくの気づきをさらに、自分や他者への不安や怒りの文句等、

どんどん苦しくなる感情へと、自分で発展させたりしてきたと思うけれど。

 

そんなねー、隣の芝生と比べない、比べない。

痛いときは痛い。以上。

今までは、痛いことにすら、

気づいてあげずに相手に合わせたり、してきてたよね?

だから、もう、ごまかさないで。嘘、自分につかないで。

その痛さから逃げるとか、隠すとか、

そんなの無理やりやっても、できることじゃないのよ。

わかってるよね、それはもう、たっぷりと。

 

切り替えていけるようになるまでは、感じ切るしかない、

くらいに開き直る。ごまかさず全身で、ちゃんと、それを捉えてあげて、

その、捉えている自分の姿を、別の自分が、

頭の斜め上のほうから全身&心ごと、

眺めているような感じ。渦中に埋もれるのでなく、眺める自分を置く。

 

いつも自分をコントロールできていたり(とは言え、そのつもりで実は

自分の本心をごまかしているだけの人も、意外にたくさんいるけどね)、

自分の『本心の感覚』とうまく折り合いをつけて、つきあえるのなら、

その人、実はかなり、仙人か神様に近いと思うよ。

 

感情、感覚との付き合い方って、練習、必要だと思う。

とくに付き合うのが苦手な種類の感情や感覚は、誰でも持っているから。

 

たとえば私は、過去のキツイ記憶をどっぷり、

思い出させてくれる方との再会予定を間近に控え、

うーん、たぶん、ビビっている(^◇^;)

うっすらと、だけれど、不安よりも、何がどうなるか読めなさすぎて。

 

でも、それは私、仕方ないよ、うん。

どう考えてみたところで、あの一連の経験は、

私には、めちゃくちゃ、重たかったから。

 

あのとき、恐怖の大魔王降臨を、

私がピンポイントで受け止めちゃってたんじゃないかと

(つまり私がその結果、いろいろ、世界とか(笑)救ったんじゃね? 

じゃないとそれは……みたいな)、

ええ、コピーライティング能力の高い悪友(笑)から、

そんなセリフが飛び出すほど重かった。

私をよく知ってくれている友だちほど、一緒に言葉を失ってくれて、

もう、本当、そんなキャッチフレーズみたいなことくらいしか

お互いに言いようのない感じで。

 

その経験の高くて重たい壁を、やっと少し自分でも、

越えられたなあ、と思えたのは、もう10年近く前だけれど。

この先、儀式的に、いつか再会の時間が一度、来ることはわかっていて、

諸般の理由からその1回のタイミングだけは、逃げずに向かおうと、決めていた。

 

そ、れ、が、来るのです、ついに。

葬式や病院じゃなかっただけ、幸いだったのかも。

 

このところの怒濤な気づきは、このための準備だったのか、とも思えたり、

いやいや、これらの気づきが、もし、そのための準備だったのなら、

当日、じゃあ、いったい何が起こるんだろう、と思えたり。

 

願わくば淡々と語り合い、爽やかに離れたいところではある。

だが、本当に、それができるかどうかは、わからん。

あまりにわからなさすぎるので、不安というより

おいおい(^◇^;)的な気分で、ビビり、困っている私がいるわけだ。

 

ま、なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも。

なるようにしか、ならんわなぁ……とも、思うけれど。

 

でね、この、ビビっている自分を、

クスクス、笑える自分もまた、いるわけです。

あー、小っちぇーな、まだまだだな、小心者めっ、と。

プププ、クスクス、です。

まったく、責める気にもならない。

 

小さい私がいることを、笑って受け入れられるようになっただけ、

私は強くなれたんだろうな、と思える。

 

あれはもう、二度と起こらない経験だし、

そもそも私はもう二度と選ばないでいいことだし、

だから本当は、ビビることでもないんだけれどね。

 

ええ。この今の、小さい私としっかり手をつないで、

その時間を過ごしてこようと思います。

あの過去の、たぶん最後の機会となる、自分の心のお掃除の時間を。

 

練習、って、そんな感じだと思えるよ。

非難も評価も(高評価さえも)いらない、というか無駄なだけ。

あの経験をこう思えたら、自分を認めてあげられるのにとか、

そういう条件達成を自己に強いるかのような思考癖は、

ホントにもう、練習の段階からすでに、必要ないのです。

そういう自分、知って、見つめているだけ。

 

そして、それでいいのだと。

それができてから、次が突然、現れたりするから、ね。

 

2016_03_16

Photo by Hans
Piixabay

 

こわいけど(^^;)事実かな

何とか自分だけトクしよう、とか

望んでないけどとりあえず従っておこう、とか

自分に対して、いろいろな気持ちを

そのときどきで、ごまかし続けている人に。

 

これを、贈ります。

昨日の追記でもあるかな。

あなたが『幸せ』でないのは、

結局はこのせいなのかもよ、

という記事シェアです。

 

厳しいかな? 

でもそのままでは、苦しみにキリがないので、

受け取ってください(ええ、私にも若干ながら、まだ刺さったわ。

まだまだだのぅ……(^◇^;))

 

◎カエル姉さん さま
『ひとことメモ☆』
http://ameblo.jp/pakupaku-kazupi/entry-12138912330.html

 

2016_03_14_1

 

Photo by marionberaudias
Pixabay