カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

思い通りの…… ~その3~

今回の記事、その1、2はこちらから。

◎思い通りの…… ~その1~
http://miharu.feeling.jp/?p=2820

◎思い通りの…… ~その2~
http://miharu.feeling.jp/?p=2822

 

あなたは、自分に価値がないと今、決めている、

そう「決意」しているからこそ、

どんどん、ますます、自分に価値がないことを、

毎日、自分で信じられている。

 

それほどまでに……自分は気持ちがダメな状態である、と、

自分だけでなく、周囲に認識させられるくらいにまで、

あなた自身が、自分について、決められる意志、意識、気持ちを

今、持っているのです。

 

実はそれ、すごい力ではないですか?

 

ということは、あなたのその力を、あなた自身がまた、

別の方向へ意識して練習していけば、

同じようにその力を使えますよ、間違いなく。

 

すでにあなたは、あなたが見つめている、まさにその通りの自分を今、

実現させている……と言えるのですから。

 

すでに、あなたの思い通り。

それが今は、自分にとって、苦しい方向であるだけです。

あなたには、すでに、現実を変える力がある。

そのこと自体は事実です。

 

そして、そのどこが『ダメ』で、どうしようもないこと、なのでしょう?

 

他者がどうしても関わってくる?

たとえば他者の嫌な面は、反面教師として使うための材料として、自分が扱う。

あるいは自分との「違い」を知ることで、

自分は、いったい何を大切にしているのだろう、など、

自身のことを理解するためのきっかけには、していけませんか?

自分の良さを、関わってくる他者から、見つけられませんか?

そうやって、すぐには状況が変わらなくても、まず自分が

暗い感情だけに浸かるのでなく、明るい方向を、意識する練習、していいのです。

 

過去の経験を、今、自分が苦しむ原因として、

ずっと使い続けていくことが、どうしても必要な理由……。

そういったものは、よほどの例外(犯罪などでの反省)を除いて、

実は、とくにありません。

犯罪もまた、それを自分の責任として認識し、

自分のバネ、にしない限り、自分にとって良いほうへは変われません。

 

自分の中の怒りや悲しみの『感情』のほうは、

確かにすぐ、消えないこともあるでしょうが、

その感情から呼び起こされる記憶のほうは「わざと使い続けていく」必要がない。

 

……使い続けていくメリットがもしあるとすれば、

自分がやったことについての原因が、すべてそこへ流れ着いていく、

そうした「自分が失敗や悪いことをする場合の、責任の源流」として、

自分に言い聞かせる……そしてごまかすため、かもしれません。

 

あえて言うならそれもまた、結局は

自分のために、使っている力ではあるのですが。

自分に対する言い訳、自身にそれを言い聞かせるために、

自分や他者のダメさ(しかも過去まで含めた諸々)を悪の親玉として使い始めたら……。

自分の中の苦しみを、これからもどんどん、延々、増やしていくだけですよね……。

 

そして。

最初の話に出した、いつも楽しそうにしているあの人、は、

あなたが嫌っている相手かもしれません。

でも、その人の「気持ちの切り替え方」は、参考にできるかもしれませんよ。

引きずらない、わざわざ考え続けていかない、

あるいは、なんらかのバネにする、という点において。

 

もし、憧れているなら、なおさらよい機会です。

その人のやり方を盗んでいってください。はい、自主的に。

誰か立派な人に教えを乞いにいかなくても、

目の前に、素晴らしい参考資料、見本が動いています。

 

あなたにもその資質が隠れているからこそ、気になって「憧れ」にもなる。

これは、心理学やスピリチュアルでよく言われている話ですが、

ある意味、真実だと、今の私には思えます。

 

思った通りの、人生。

それを、自分にとっての、罰ゲームのほうで、選んで使うのではなく、

自分にとって、うれしいこと、ありがたいこと、心が温かくなることのほうへ、

使ってはみませんか?

未来は、誰にとっても、自分の想像の範囲を超えたものを含むのですから。

 

そう、自分にとって「完璧に素晴らしいだけ」の未来を確定できて、

本気で安心できる人は、この世の中に、存在しません。

「思った以外」のことが起こるからこそ、

思いがけないうれしい出来事もまた、起こり得るのです。

 

想像した通りにしか、人生が動かなければ、必ずいつか、退屈になりますよ。

人間ひとりが考えうる範囲は、そこまで立派に完璧に拡大できて、

すべてをフォローできるようには、なっていないですから。

 

もし万が一、その力がある個人、がいたら?

きっとそのとき、その人は、自分と周りのみならず、

政治・経済・天候、世界情勢その他まで全部、

毎日隅々まで、コントロールしていかない限り、

自分の狙い通りの世界、完璧には出来上がらないでしょう。

どこかで必ず何か「自分にとっての問題」が起こり得ますから。

 

そもそも、そんな巨大な視野と実力を持った人のこと、

私たちは「神さま」と呼んでいたりしませんか?

 

現実ではないのです。

まあ、それを狙っている、妄想している人も、

世界のどこかにはいるかもしれませんが、

そんな妄想に囚われる一生も、すごく大変だろうな……と、私には思えます。

 

どうか。

決まっていない未来を、なぜ自分は、

否定の方向へのみ、自分のために限定させていこうとしているのか、

なぜ、そちらの方向へ、自分の力を発揮させ続けているのか、

その理由、原因のほうを、いつか、ひも解いてみてください。

 

そしてあなたのその力を、あなた自身が、より、温かくなれる方向へ、

これから先は、使っていっていただけますように。

 

2015_03_08_3

Illustration by Vector Graphics
ID: 201501290100
GATAG フリーイラスト素材集

 

思い通りの…… ~その2~

今回の記事、その1はこちらから。

◎思い通りの…… ~その1~
http://miharu.feeling.jp/?p=2820

 

あなたが今、やっていることは、自分の内側の悲しみや苦しみを、

素直に感じ、愛から涙を流すことに向き合っているものですか?

 

きっと、ちょっと違いますよね?

誰かと自分を比較してますよね。

 

他人と自分を比べて、

いかに自分が不幸なのか、

いかに自分は恵まれていないのか、

いかに自分は失敗してダメなのか、

その比較を繰り返して、

自分を苦しめていく作業。

 

それは、何のために行う作業でしょう?

誰かへの仕返しでしょうか?

もしかしたら、自分への哀れみ、または憐れみという、一種の「陶酔」ですか?

 

誰かへの仕返しなら、あなたは、その人のために

『今でも』生きているってことになりますね。

過去のその人を見て、過去のその人のために、自分を使っている。

過去のその人に振り回されることを、今でも願っている、かのごとく。

 

……そこに隠れている本当の意図って、では、何でしょうね。

あの人に振り向いてもらいたい、という恋のようなもの?

この気持ちをわかってもらいたい、ということ?

 

そこで素朴な質問です。

わかってもらうために、なぜ自分を、不幸という箱の中に、

24時間365日に近い範囲、押し込める必要があるのでしょうか?

 

逆のことされたら、自分は心地悪いから、そうやってでも気づいてほしいとか?

相手に気づいてもらうのに、なぜわざわざ、

その……そんなやり方を、選ぶのでしょうか。

 

憎まれてでも気にしてほしい、って、普通は「他者への迷惑行為」にしかならない。

そうよ、私が自分勝手なのは、あの人のせい、あの人がひどいから。

だから逆も許されるのですか?

おお、なんだ。では、それってつまり自分勝手、

他者よりも自分の気持ちを優先しているのだから、

自分の行為、作業を選ぶ際に、

そこのところはもう、自分の思い通りにできているじゃありませんか?

 

結果としても、意識的にわざと迷惑かけている=嫌われる、

どうなるかがわかってやっていき、その通り、が実現している。

それもまた、明るい方向でないだけで、「思った通り」の人生ですね。

 

どうせ嫌われるの、わかってるから、先に自分から仕向けている?

あるいは、どうせ、私なんか、今までいつもうまくいかなかったから、と

自分から攻撃したり、背を向けたりする?

または「もしかしたらまた嫌われてしまう、

嫌われちゃうかも、嫌われちゃうかも」と

おそれから、念じるように繰り返しつつ、接していく?。

 

そうですか……。私だから、嫌われちゃう。

それをいつも、念じるように繰り返しているならば、やはり、

どこか、嫌われることを明確に意識していることになり、

その通りの「ややこしい」結果が表れているのではないでしょうか?

 

その「未来を自分のほうからあえて悲観する」気持ちって。

「未来はどうなるかわからないから、今を味わおう、大切にしよう」

と念じている人とは、まったく違った角度の影響を、

「自分の実際の行動」にも、与えてはいないでしょうか?

 

嫌われる事態を想像しながら行動することにより、その中身が変わる。

すると普通よりは、その「思った通り」に近づいていく、

つまり嫌われる現実が起こる確率、

増やしていくことになり得ますよね。

 

そして自分に対しては「どうせ他者から嫌われる私」という経験を再び味わわせ、

自分の中の苦々しさを、さらに増やしている、と。

 

はい。

鬱なんだから、という部分も、ある方もいるでしょう。

でも、そういう方向の、念じる思考を続けてきたからこそ、

事態がこじれたり、自分が鬱になった可能性も、

まったくあり得ない話ではないのかもしれませんよ?

 

実際、私は

「認めてもらえなくなったら、私には価値がなくなる」

というおびえから延々、無理矢理、行動し続け、ついに自分を壊しました。

そして鬱のときにはさらに意識的に、自分につらい気持ちや経験や苦々しさを、

なるべく味わうように、させていました。

苦しいまま寝て、起きてまた、しょっちゅう自分を責めて。

今、思えば、価値がないと信じ込んでいた、その自分への罰ゲームみたいな行動、

信じていたからこそ実際に、自分がやって、現実化して、

自分のダメさ加減への思いを、自分でわざと増幅させてましたよ……。

 

その、自分にとってよくない方向への想像、いつからやっていますか?

鬱になってから? であれば今は、その気持ちが、鬱をさらに呼んでいませんか?

さらには鬱になる前から、苦々しさを自分の中に呼びこんで誘い入れてきました?

いずれにしても、今は、そのやり方、

卵が先か、鶏が先か、みたいな問答になりかねない状況ではありませんか?

 

そして実際に、鬱であるならば。

その、今、見つめている方向を、自分が選び変えることで、

鬱からも脱出するきっかけに、なり得たりはしませんか?

 

何のためにそうするか? ただ、自分のために、です。

罰ゲームも、自分をあざ笑う習慣も、本当は必要ないから。

理由は、それだけ。

そしてそれだけで、十分なのです。

 

~さらにつづく~

 

2015_03_08_2Illustration by Vector Graphics
ID: 201501290100
GATAG フリーイラスト素材集

 

思い通りの…… ~その1~

人は、本当は、思い通りに人生を生きなければ「ならない」と思ってる?

あの人は結構、思い通りに生きてるけど、

私は願ってること、いっつも叶わない?

 

あるいは、周りの人はみんな、それなりに思った通り生きられてるのに、

私だけがうまくいってない?

 

いやいや。

いやいやいや。

いやいやいやいや!!

 

それ、ものすごい「妄想」ですから。

 

そんなことない、あの人は、あんなふうに、いつも楽しそうにしてる!

いやいや、あの人と24時間365日、トイレの中まで一緒に入って、

あの人の感情や思考や気持ちやらが、ダダ漏れするかのように

全部、あなたのところに届いていて、把握できているのですか?

 

トイレであの人、泣いてること、あるかもしれませんよ?

顔で笑って心で泣いてることも、あるかもしれませんよ?

 

そういう気持ちをあの人は、24時間365日、抱えたことがないって、

もし本人が言ってるとしても、本当か嘘か、どうしてわかるのでしょう。

それになぜ「あなたが」そう言い切れるのでしょう。

 

私と一緒のときはいつも、明るそうで楽しそうだから?

いっつも、自信満々、あるいは前向きそうだから?

 

とてもとても譲って、その人が楽しそうに過ごせているとしても、

ときには、嫌なことを早く忘れようと意識している、

そのために楽しむことに、集中しているだけってこと、

あるかもしれませんよ?

 

ま、あの人のことは、

ちょっと脇に置いてくださいな。

それ以前の話として。

 

調子の良さそうなときの他人と、

調子が今、悪い自分を比べていることに、

どういう意味があるのでしょう。

 

他の人には調子が良いときもあるけれど、

私はいっつもダメだもの。

 

そうですか……。

確かに、自分の、ダメで嫌いな面を

24時間365日、見つめて続けていたら、

あなたの世界は、それで構成されますよね。

 

そんなこと言ったって!

成功なんて、起こらないもの!

素晴らしいことなんて、私には起きないもの!

 

めちゃくちゃ大きい成功、や

めちゃくちゃ分かりやすく素晴らしい、出来事?

なら、あの、周りの人も、そんな滅多には起こりませんけど……。

小さな成功、うれしさ、さえ、100%存在しませんか?

見逃してみたり、軽んじてみたり、当たり前……になっては、いませんか?

 

そもそも、自分の悪い面や不幸な面を見つめれば、

そのとき頭の中は『私の不幸な出来事』でいっぱいになりますよね。

 

で、いっつも、不幸な出来事、という「過去」を、

何かあるたびに、今に関連づけては思い出し、苦々しさを繰り返して、

自分の中で味わってるんですよね……?

 

実際の話。

悲しみ、を越えていく過程で、それが必要なことも、ときにはあります。

隠していたり、見ないようにすることで、

自分の中で消化不良になっているものを、

改めて向き合い、記憶から出し、涙を流すことが、

必要になるときも、確かにあるようなのです。

それは「越えていくため」に必要な過程で起こる、回復に向けての自然な話。

 

でもあなたが、自分で選んでやっている作業は、

きっと、それとは別ものですよね?

 

~次へつづく~

 

2015_03_08_1Illustration by Vector Graphics
ID: 201501290100
GATAG フリーイラスト素材集