私はときどき、ここで
自分の気持ちを紙に書くようにお勧めしています。
このようなお勧めに対して、
書き出せば何か変わるというのか!
という腹立ちにも近い疑問を持ち、
すでにそこでとどまって
やらない人も多いと思いますが(^^;)、
書く、という行為自体、
自分を客観的に『知る』作業となるのです。
客観的という言葉では伝わりにくいかもしれませんが
いったん、自分の内側から、
自分の考えや感じていることを取り出す、
それを眺められるようにする、という作業です。
カウンセリングなどは、話を聞いてもらう、
というシチュエーションに置かれますから、
自分が相手に向かって『自分の話をする』わけで。
その段階で、自動的にもう、
自分の「感じたこと」や「思考」を、
言葉に置き換えて取り出すわけですよね。
で、紙に書こうが話そうが、
言葉に置き換えて取り出すとき、
そこに並んだ言葉は、
もれなく『自分のものの見方、感じ方』のせいで偏っています。
はい、もれなく偏っているのです。
そこはまず、それでいいのです。
その作業時間中には、答え探しなどしなくてもよい。
書きながら、話しながら「ひらめく」ことも、
たまにはありますが、
たいていは「吐き出す」、言葉に置き換えてみることで
もう、いっぱいいっぱいのはずです。
偏っている言葉を、羅列する。
それでよいのです。
この段階ですでに「相手にどう思われるか」を気にする習慣の人は
カウンセリングでも、話ができません。
自分のためにお金を払ってまでやっているのに
相手の反応のほうが、つまり相手からの評価のほうが、気になるのです。
ごめんね、はっきり伝えてみるけれど、
それってすごく、その瞬間、自己中心的なの。
それが悪い、とかいう話ではなく、
あなたとしては相手に気を遣っているようにも感じられるだろうけれど、
何のことはない、そこでいきなり自己に注目して採点を始めているわけです。
こんなふうな人間だと『ばれて』笑われたくない、
恥ずかしい人間だと思われたくない。
その気持ちが働いているのは、ある意味、
とても過剰な反応だと思いませんか?
それは相手への気遣いとは別ものです。
あなたが自分のことを『すでに最初からそう捉えている』から、
恥ずかしい、という反応が自分の中に起きるのです。
そして相手に対してもまた、自分と同じように、
『私のことを恥ずかしい人間だと思うに違いない』と
勝手に決めつけています。
相手の感情の動きを、まるで知っているかのごとく。
まあ、なので『ひとりで書き出す』作業でもいいですよ、と
伝えているわけですが……。
書いたら「素晴らしい解答が見つかるのか」などと、
答え探しをいきなり期待するのではなく、
まずは言葉にする、ということだけを目的にしてほしいのです。
正しいかどうか、を基準にする人は、
そこですぐに「解答らしきもの」が見つからないだけで
イライラしたりするのですよね……。
おいおい、落ち着けって(^^;)
というふうに、本当は、
『作業するだけ』で見えてくる、
自分の偏りがあります。
そのときに感じた、イライラした、などの感覚も、
書き留めておくとよいですよ。
ここで大切なのは、話すにせよ、書くにせよ、
自分が吐き出したものを、
『時間を置いてから、他人のものであるかのように見つめてみる』
という機会を設けることです。
カウンセリングは、それを手伝うために他者がいてくれるわけです。
吐き出したあとの『もの』を見つめてみる。
そこからは、別の作業になるので、
また改めて、書いてみたいと思いますが、
今すぐ知りたいのに! とお怒りになる方が
いらっしゃると申し訳ないので、
過去に書いたものをリンクしてみます。
おもに私が実際にどうやってみたか、の説明ですが、
偏っている感じ(笑)は、伝わるかも、と願いつつ。
http://miharu.change.jp/?page_id=133
こんな感じで、答えをすぐに出さなくても、
自分がどんなふうに感じて、何を問題視してきたのかを
掘り出してみる作業から「自分を改めて知って」みると、
やがて、気づきを生む機会も、生まれていきます。
『まずは知る』って、とても大切なことなのですよ。

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