カテゴリー別アーカイブ: 身体と気持ち

さらに、追伸。鬱の自覚がある人へ

探しにいくための、心の体力は、

身体の体力を取り戻していくと、

『徐々に』取り戻せます。いっぺんにではなく。

 

ですからまずは、

自分のために、眠ってください。

自分以外の何かのために、

外側の世界に格好つけるために眠るのでなく

「わからない」の次を、始めるために、

心の体力を「自分が」取り戻してください。

 

その今の「罪悪感」的なものもまた、

あなたが他者軸を意識しまくって

それを自分の中央にドンと据えている証拠。

だから「何かを他者から言われないように」努力しているのです。

 

そういう捉え方をしているのは「自分が選択している」わけだから、

その「選択」を別のものに変更するかどうかのも、

また、自分自身です。

ま、見栄張り度が高い人には

キツイ言葉だけれどさ、これ。

 

だから「心が」疲れ切っている今は、

まず自分のその状態を本気で認識する、

ところから練習、始めてください。

 

疲れている人に「何やってるの、ちゃんとやれよ」

と言ってるのは、あなた自身なんだよ?

 

まともに眠れてさえいないのに、

いつまでそんな捉え方、続けたい?

 

 

磨く「練習」

今日はさらに昨日の続きで、

3本めの内側の話をします。

 

内側を磨けるようになる練習、そのための必須科目。

それは自分の内側に起こってくる『感じ、感覚、感触』を、

まずは絶対に無視するなってことです。

 

ものすごくザックリ言えば、快か不快かを感じ取り、

あらゆる不快なほうを、極力、選ばないようにしていく。

 

たとえ、自分で一瞬『ズルイな』と思うようなことでも、

本当は自分にとっては『快』、

爽やかさを感じられるとか、ホッとできる、胸が軽くなるなど、

心地よいものを感じ取ることができるのだったら、勇気を出して選ぶ。

 

逆に実は『自分に対して後ろ暗い』(他者に対して、じゃないよ、

モヤッと不快な範囲のものを、自分の内側に感じる)なら、

今は選ばない。

 

それを練習していくとね、

『本当にズルイと言えるような、

他者を利用して他者から何かを、

ウソをついて得るための計算』が、

まず徐々に、成り立たなくなっていく。

 

この『ズルイ』という気持ちさえ、

自分が本当には、感覚的にそう感じられないのに、

そう思い込むことにした可能性があるのですよ。

 

自分が何かを得たいがために、または

駆け引きで損しないために計算した、

そんな練習で身に付けてきた、

微妙な損得勘定だったりするのよ。

 

本当は全然、ズルくないことを、

自分が『外側で損』したくないから、

ズルイ、というあえて否定的な表現で認識して避けている場合もあるし、

あるいは過去に、あなたをうまく操りたい他者から、

それはズルイこと、というふうに教え込まれてきて、

あなたはそれを『外側で、その相手から何か得たいから、

そうだと信じることにした』とかね。

 

ザックリ分ければ快・不快。

そっちを『先に』しっかり感じてみて、

きちんと見つめて、本気で従ってみる。

 

さらに、

なぜ私はそう感じてるのかな?

ということも、知っていく練習をやってみる。

これは紙に、なぜ、の理由を書いたり、

本当はどうなりたいのか?

すでにその、なりたい状況であれば、

それでもあなたはそれを選び続けていくか?

などを、書き出していくの。

そしてそれは本当に「自分が、望んで、やりたいことか」

も見つめてね。

 

何かを受け取るため、それを前提としてやってないか、

自分には何もとくに還ってこなくても、

やることや、そうなった状態を、心から『安心して』望めるか、を見る。

 

こうした練習って、やり始めてから、だんだん、分かるの。

あ、今、私は、○○という部分で、外側のもの同士だけ比べてるな、とか

あ、私は今、自分にウソをついてるな、とかを、見抜けるようになる。

そういったことを『先に、素直に』感じ取る練習を積んでいくの、お勧めです。

 

それに、この前ご紹介したFacebook投稿にも書かれていたように、

「できてないところから始める」から

『練習』って言うんだよ?

練習なしで、何でもいきなりできるなら、

あなたは今、そんなふうには苦しんでないはずだよね?

 

誰であっても練習が必要なことを、

面倒くさい、とか、怖い、とか、

外側を先に得なくちゃいけないから、って、

そっちにだけ目を向けて、

ある意味、サボってきたんだよね?

 

あるいは怖さから、外側だけに目を向けて、

内側を感じ取って見つめる練習なんて、無視してきたんだよね?

 

あなたの感じることは、あなたの内側で、必ず、

あなたにとって大切な、あらゆるサインを送ってくれているのに。

たとえばそこで「~ねばならない!」とかいう理由を後付けして、

外側の『無いもの探し、無いものねだり』だけに意識、向けてきたよね?

得なくちゃ、得なくちゃ、得なくちゃ! って。

 

でもって、自分のことさえ、外側だけ見て比べて、

バカにしてきたよね?

どうせ私なんて、こんなもの。この程度。

そうやってずっとすねて、ときには焦ることもあるけれど、

たいていは、見捨ててきたよね?

 

さらに言えば、

内側で『自分への愛的な範囲のこと』を感じ取れるものを選ばないで、

他人との愛ばっかり、外側の愛ばっかり求めて、

なんとか「他者からそれを出してもらう」ための駆け引きばっかり、

できるできないに関わらず、見つめてたよね?

 

自分に対して自分が、そこから派生して、他人に対して自分が、

ただ、素直に出してもいいのに、

絶対に計算してからしか出さない。

しかも出してみては損した、得した、って

ずっと採点して争って、競争してきたよね?

 

うん、そりゃあ、苦しくもなるさ……。

 

そんなふうに、自分が、自分の内側で、

「自分に対して何をやってきたのか」を、

ちゃんと知っていこうよ。

そっちのほうを、見つめ直してみようよ。

 

これ、前にも書いたけれど、

そういうパンドラの箱、自分の内側の、

苦しんできたもの、を、勇気を出して!

開けて、取り出してみて、

要るものと要らないものを片っ端から整理して、

要らないものをどんどん放出していくとね、

最後に残るのは『希望』の光です。

本当、それはマジで『希望』で、

自分にとっての次、を目指す灯台となる、

あなただけの、道しるべの『光』なのです。

 

怖いだろうけれど、そんな練習、始めてごらんよ。

まずは整理を始められるようになるために、

心の体力、取り戻そうよ。

誰かに気に入られ、認められるようになるための何かばっかり、

するんじゃなくてさ。

 

そのためにゆっくり食べ、眠ることも、素晴らしい練習になる。

それを『自分を大切に扱うためにやる』ことさえ、忘れなければ、ね。

 

2016_04_28_1

Photo by geralt
Pixabay

 

持っていない

私は何も持っていない と言うとき、

『何も持っていない』という気持ちを

あなたは、持っている。

 

常にあなたは、そうやって選んできたし、

選べる、これからも。

 

それを選ぶかどうかも、

あなたの自由に任されていて、

つまりその自由も、あなたが持っている。

 

さあ、ならばこれから、

今から、何に目を向ける?

 

2016_04_19

Photo by Andrej Chudy
Splash