カテゴリー別アーカイブ: 自分という存在

自分の力

私が、ブログという場所を使い、私の思っていることを書く。

自分の体験や、そのとき感じたこと、気づいたこと、

あとから知ったこと、本などで学んだこと、いろいろな情報……。

それは、私が掴んだ、ある意味、私が勝手に解釈したことでもある。

そして、私はそのことを表現したくて、文章にする。

確かに、文章にして、ブログという場所に載せるのは、

私が決め、私が起こした行動ではあるけれど、

それは私のひとり語り、言い方によってはただの自己表現、である。

それをたまたま読んでくださった方が、

もし、何かを感じてくれたら。

良きにつけ、悪きにつけ、それはあなた自身の力なのだ。

私は「自分が生きて、今、ここにあること」の不思議さ、

その過程で、あらゆる出来事から教えてもらったこと、

それらへの感謝、生かせていただいている恩返しとして、語りかける。

もし、それが、誰かの心に届き、何らかの力になるのであれば、

それは、私を助け、支えてくれたあらゆる出来事、

あらゆる人のおかげであり、私は自分が受け取らせていただいたご恩を

少しでも役に立たせることができた、と感じられるのだ。

だから、私は受け取ってくださり、ご自身の力で良きものとして

解釈してくださる方に、心から感謝する。

私は、あなたのその、すばらしい力のおかげで、

私を今まで支え、生かしてくれたすべてへの、ご恩返しができるのだから。

私の言葉は、言葉でしかない。

それを使って、何かを感じ、前向きに解釈して

使ってみようとしてくださるのは、すでにあなた自身に備わっていた力。

その力に触れさせていただけたことを、

そうであったと教えていただけたことを、

心から、感謝します。

すばらしいのは、あなた自身がすでに備えておられた、その力。

私は、それを見つけるきっかけとなれたご縁に、感謝します。

そう、何よりもまず、あなたが、すばらしいのです。

いつも、本当に、ありがとうございます。

自分は 自分であっていい

自分は 自分であっていい

今は人から 理解が得られなくても 賛同されなくても

自分は 自分であっていい

自分は 自分であっていい

苦手なことがいっぱいでも うまく動けなくても なかなか ものごとが進められなくても

完璧な人など この世にいないのだし みんなそれぞれ 苦手はある

他人はすべて うまくやっているように みえるだけ

それと「比べる」から 自分を卑下してしまうだけ

そういう 脳みそのミス状態に なってしまっている今だから そう感じるだけ

どんなときにでも あなたはそこそこ 精一杯やっているし

そのとき もっともいいと思った選択を しているはず

わざわざ 事を荒立てようとして 何かもめ事を起こそうとして ややこしくしようとして

その選択を 行動を しているはずは ないのだから

そのときの自分にとって 相手にとって これでいいという選択をしているはず

それがうまくいかないときだって 普通にあるし

今だからすべて 動けない自分のことにつなげちゃうけれど

それは 病のせいだ はっきり何度でも言う 鬱という病のせいだ

病のときに 完璧に動けるなんて 無理な話なのに あなただけが それに気づけない

あなたが 自分を嫌がって 無茶させるから よけいに 失敗してしまう可能性も 高くなる

自分は どんなときでも この世にたった一人の 大切な人間で

自分は今 病であるからこそ うまくいかないこともあって

だからまずは その病から徐々に 離れてみようとするのが先であって

その過程で起こることを 全部 自分がダメなせいという理由に 置き換えなくていいのだ

置き換えれば 置き換えるほど 病のなかに深く 潜り込んでしまうから

うまくいかなくたって 今は仕方ないのに あなたは 自分を責め続けてしまって

それで余計に 病を深めて ものごとを うまく進められなくなっている

その悪循環に まずは気づいていこうよ 病であることを意識して ちゃんとしっかり 休もうよ

自分はいつのときも 大切な一人の 自分であって いい

みんな 一人ひとり 大切な自分 そうであって いいんだよ

もう 自分をいじめるのを やめようよ 病を認めて いたわろうよ 比較するのを やめようよ

あなたは ほかの誰とも違う だいじな 唯一の 人なのだから

あなたが あなたを 一番大切にしてあげて いいんだよ 本当に それで いいんだよ

そうしていけば あなたを取り巻く世界は 必ず変わっていくから

それは 本当に 本当のことだから

否定を続けたら……

自分を否定し続けたら、苦しくなる。

それは当たり前のこと。でも、やめられない。

鬱のときには、頭が、そういうふうに働くから。

全部、過去の、今の、悪いことにつなげて、どんどん自分を追い詰めていく。

だから、考えること自体を、やめる。

否定を続けたら、「普通の頭」なら、最後にはたいてい、こういう感じになるのだ。

「ああ! ヤメヤメ! こんなことしたって、何も変わらない!」って。

そう、「普通の頭」の回路になってるあなたなら、そう気づいて、やめるのだ。

暗いことを考え続けること自体に、飽きる。自分を苦しめ続けること自体が、イヤになるから。

でも、今は「イヤなのにやめられない」頭になってしまっている。

なので強制的にでも、気持ちを切り替えるしかないのだ。

追い詰め続ける限り、その回路は、治らないから。

風邪を引いたとき、咳が出るからって、そういうノドになっているからって、

ずっと、意識的に、咳をし続けたりするだろうか?

ノドを、安静にしてあげようとアメをなめたり、マスクをしたり、しないだろうか?

なのにどうして、頭の回路は、どんどん、使い続けるのだろう。

悪い回路を使えば使うほど、病状は、悪化していくのに。

あなたが、その病を、治したいのであれば。

あなたが、自分を否定し続けること自体を、やめなくてはいけない。

自分を責めたり、上手くいってないことを悔やんだり、思い出したり。

自分をどんどん、悪者にしていくその「思考」自体を、やめなくてはいけない。

今は、どんなに、自分に甘い、ダメなヤツであっても、いい。

過食、拒食、OD、リスカ、アムカ、引きこもり、それは「一瞬しか」あなたを助けない。

それどころか一瞬、助けたフリをして、あとからあなたをさらに追い込む。

何よりそれは、あなたの「助けて」という、周囲への、また、自分自身への「訴え」なのだ。

その行為へ、はまること自体が、自分の、自分自身への、SOSである。

あなたは、自分に「助けて」って言ってるんだよ。

そんなふうに、自分を、否定しなくていいのだ。

自分を、ゆるめよう。

もう、馬鹿な自分を、ゆるしてあげよう。

馬鹿でもがんばって、苦しんでいる自分を、ゆるしてあげようよ。

今は病気なんだから、でも本当は病気じゃなくてもいつでも、優しくしてあげていいんだよ。

生きる価値がない人間なんて、この世にはまず、いない。

他人を傷つけ、殺して、それが一番自分にとってうれしい、

しかも「生まれ持った脳の回路」によってそのようになってしまっている人以外は、皆、

自分の生きる意味を、自分の価値を、持っていいのだから。

そう、持っていいんだよ。

どんな馬鹿な自分でも、大切にしていいっていう気持ち。

ただ、自分は自分をなんとなく好き、っていう気持ち。

持ったことがない人は、これから。

昔、持ったことがある気がする人なら、ふたたびもう一度。

否定を続けたら、何もかもずっと、否定のまま。

自分はずっと、つまらないイヤな人間で、

人生はずっと、楽しくない、つらいことばっかりになるんだよ。

それは自分を、否定するところから、すべて始まっている。

自分を嫌いなまま、そこからは抜け出せないことに、

どうか、気づいて……。