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その解釈を選ぶのはあなた ~その2~

さて。

では、そこからの脱出方法を、一例だけれど、挙げてみる。

以前、「黒い人と向き合うときに
」という記事で書いたやり方もあるので、

気になる人はそちらも読んでみてほしいが、

今回は、根が深い感情を抱えているときのやり方を。

まず、ノートかルーズリーフを用意してほしい。

見開きで使ってもいいと思うので、ノートのほうが書きやすいかもしれない。

で、1ページ、または見開きページを縦線で4分割して枠を作る。

本当はもう少し分割枠を増やしてもいいのだが、一度に全部は難しいから

とりあえず、最初は4つでいいと思う。

分割したそれぞれの枠のタイトルは、左から

A「起こった事実」

B「自分の解釈と、そのとき感じた感情、とった行動」

C「その感情を今ならどう思うか」

D「今ならどう行動(反応)するか」

である。

このとき、慣れていないと、AとBを分けにくい。

起こった事実でいきなり「こんなひどいコトされた」と書いてしまったりする。

いやいや、Aの事実は「相手が何かを言った(した)」であり

それをあなたがB「ひどいと感じた、解釈した」のである。

この混同を防ぐために、Aの枠には「○○された」という表現を極力使わないようにする。

とくに怒りや悲しみ、切なさ、苦しさにつながるものは、

いったんあなたがすでにそう受け止めているがゆえに、

相手のひどさをつい強調したくなりがちだ。

実際、本当にひどい場合もあるのだ。相手が怒って重いものを投げつけたのなら、

それは通常、文句なしにひどい。

でも、それを受け止めたあなたの感情はBに分けるのだから、と、ここでは決めて

投げつけられた、とは書かず(○○された、をやめるためにね)、相手が自分のいる方向へ投げた、と書く。

Aの事実を書いたら、その横のB枠に、それをあなたがどう受け止めたか、を並べて書く。

だいたい、このBが一番長くなりやすい。

過去に何度も同じ目に遭っていたらそのことも書きたくなるだろう。

かまわないから、どんどん書いてほしい。

そしてその書いた内容によって、

自分が怒ったのか、悲しんだのか、喜んだのか、うれしくなったのか

(そう、実際には悪い出来事ばかり書かなくてもいいのだ)、

その思いを全部、文字にしてほしいのだ。

書き方は箇条書きでも何でもいい。

書いてみることで、その事実と感情を、「眺める」ことができるから。

まずはAとBだけ、ガンガン埋めていってほしい。

書きたい出来事だと感じるなら、どんな過去のことでもいい。

小学生や幼稚園児のときにまでさかのぼっていいのだ。

AとBを気が済むまで埋めたら、いったん感情を落ち着かせてから、次にC。

「今ならどう感じるか」である。

ここにはさらに、

「自分はあのときなぜ、その解釈をしたのか」と、「なぜ相手はあのときそう言った(した)かの推測」も、

AとBを眺めながら、あらためて書いてみる。

難しければ、まず今の感じ方を素直に書いてみて、

そのあとで「そう解釈した理由」「相手がなぜそれをした(言った)かの推測」を

それぞれ、ペンの色や種類を換えて、付け加えてみてもいいと思う。

これはさらに、別枠にすることもできる。

やってみるとわかる。

たとえば自分が怒ったという出来事に対し、怒りがまだまだ自分の中で強いときには、

相手への怒りの感情と、罵倒が並ぶ。

相手がそれをした理由は、相手がひどいヤツだからだ! などという感じ。

でも、相手への怒りが収まりかけていて、「なぜだったんだろう」という思いが

浮かんでいるなら、結構冷静に、そのときのことを思い返せるのだ。

つまりは自分の感情度合いの、バロメーターにもなる。

しばらく時が経ったらもう一度、前に書いたものを読み返してみるのもいいだろう。

そこに新たな解釈が生まれることもあるから。

これを始めることで、もう一つ利点がある。

今後、ものごとが起こったときに、感情と事実を分けて観る(感じる)クセをつけられるのだ。

相手がなぜそうするのかも、その場で推測しやすくなる。

その結果、例えば相手が八つ当たりしてるんだな、と思えれば、こちらが冷静になれるのだ。

この人、子どもなんだ、などともし思えたら、相手と同じスタンスに立って、

相手に対して同じレベルで怒ってあげる必要もなくなるよね。

かわいそう、と思って、どうしたの? と尋ねる必要も、あるときとないときがある。

本来、相手の問題は、自分が「なんとかしてあげる」類のものではないことが多いから。

それはときに、お節介でさえあるかもしれないから。

少なくとも「私がこの事実をこう解釈して、こう感じている」という点に自分で気づければ、

相手に返す言葉も「私はこう感じる」というものに、変わってくと思う。

「それは間違ってる!」だの「世間一般はこうだ! 私の意見が正しい!」だのと、

争わなくてもよくなっていくから。

痛い思い出ほど、書くのはつらい。

だからいっぺんには、できないかもしれない。

でも、あなたが自分を変えたいと思うなら。

辛い過去から、離れていきたいと思うなら。

やってみて、損はないように思う。

最後に今回のタイトルは、すでにお気づきの方もいると思うが、

某女王歌手(笑)の、紅白歌合戦での有名曲をもじったものである。

まさに「そう解釈する」という鐘を、選んで鳴らすのはあなた……だと思えた次第だ。

その解釈を選ぶのはあなた ~その1~

今日の話は、ちょっと難しい、と思われる人もいるかもしれない。

私たちがふだん、なにげなくやっていることを、細かく分けてみる話だ。

なかには、自分が責められているかのように感じるとか、

そんなことできるわけない、と怒る人もいるかもしれないが

(そして怒るということ自体、とても意味があるのだが)

まずは最後まで読んでみてほしいと願う。

私たちは誰かと接するときに、

1 話された言葉や起こった出来事、という事実に基づいて

2 その意味や理由を自分なりに解釈し

3 内容に対する感想や相手に対する感情を持つ

という手順で判断や行動を行っている。

こうやって書いてみると、結構、複雑なプロセスなのだが、

それに要する時間は一瞬で、返す言葉も、思い浮かんだ通りにしゃべっていることが多いと思う。

思い浮かんだ言葉をいったん心のなかで並べ、それでいいかを確認するのは、

かなり慎重になっているときくらいだろう。

で、注目してほしいのは

2 その意味や理由を自分なりに解釈し

の部分だ。

ここに、かなりの割合で「過去の出来事に基づく、もともと持っていた相手への感情」が

加わってくる。

本来であれば3のプロセスであるものが、2にも混ざるのである。

例を挙げてみよう。

あなたの家の近所に、とてもうるさいおばあさんが住んでいるとする。

ちょっとでも自分の意に添わないとガミガミ怒鳴り散らし、

常に人を見下し、何かと意地悪っぽい態度を取っている(ように思える)相手だ。

ある日、そのおばあさんの家の前を通りかかったら、

上から細かい水滴が降ってきた。

見上げると、おばあさんの姿はないものの、

窓の鉄格子に並べられた鉢植えが濡れているのが見える。

このとき、あなたはどう思うだろう。

また人が通りかかるのも気にせず、水をまいたのね、と思うか。

この前、言い合いをしたから、私が通りかかるのを見て水をやったに違いない、と思うか。

気づかなかったのかな、水をやるなら確認すればいいのに、と思うか。

そして、あのおばあさんは本当にいつも、まったく! などと思うのである。

事実は、細かい水が降ってきた、である。

それなのに、一瞬でこれだけの解釈をしうる可能性があるのだ。

実はその水は、おばあさんが少し前に水やりし、鉢植えから落ちたしずくが

鉄格子に当たって跳ねたのかもしれない。

おばあさんは、人がいないのを確認したのかもしれない。

でも、2のプロセスの段階からもう、あのおばあさんはひどいことをする、と自分の中で

決まっているから、解釈も基本、悪いものしか浮かばないのである。

会社で、怒りんぼで大嫌いな先輩のボールペンのフタが、なぜかこっちまで飛んできたら

また何かエキサイトしてボールペンを振り回してるのか、と思うかもしれない。

イジワルか? とか。

でも、密かに恋愛感情を抱きつつある、憧れの先輩のフタが飛んできたら?

ドキッとして、そこにどんな意味があるか、一瞬考えてしまうだろう。

はい、つまりはボールペンのフタが飛んできただけで、そうなるのだ。

そのこと自体が悪いとか云々、以前に、

自分が常に、「事実をありのままに解釈してみる」のではなく

「過去に接したときに持った感情に基づいて」解釈を行っている可能性があることを、

まず知ってほしいのだ。

これが重なると「人が怖い」にもつながる。自分を卑下している人なら、なおさらだろう。

いろんな人が常に自分をいじめるんじゃないか、馬鹿にするんじゃないか、と、

まず真っ先に、その身構え、その解釈を準備してから、

つまり「畏縮する用意」を自分にほどこしてから、人と接してしまうのだ。

こうなると、すべての会話が「馬鹿にされた」「見下されてる」「イジワルされてる」

「また叱られてる」などにつながりやすい。

……わかるよね。そう、人間関係が難しくなる一方である。

では、このグルグルの感情から抜け出すための方法はあるのか。

一気にスッキリ、ではないけれど、少なくともその感情と距離を置き、

見直しをはかれるやり方はある。

それを続いて述べてみたいと思う。

追伸~自分が嫌い、な人へ

バーカ

バーカ

おまえって本当に馬鹿だよ

気が利かない

○○できない

人を傷つけた

人から傷つけられたことだけ覚えてる

どうしようもないよな

おまえ、最低だよな

人間のクズだよ、クズ

……このような言葉を

他人から投げかけ続けられたら苦しい。

実際に、それをやられ続け

身体に支障が出てしまった方を

とてもつらい、悲しい話だが、

残念ながら私は知っている……。
 

その悪意が、どれほど人を傷つけるか

誰かから、言われたことを想像して、

感じてみてほしい。

でもね。

あなたは

あなた自身に対して

これを、やっているのだ、

今、まさに。

毎日? 何年? 十何年? 何十年?

否定して、非難して、

自分をわざわざ、傷つけて。

○○できたら、まだ、いいのに。

常に、達成条件をつけて。

これができたら、そのごほうびに、

ちょっとは自分を好きになってあげられるのに。

○○ができたら、愛してあげる。

まるでそんな、スパルタな親のようだよね。

他人から言われたら、傷つくと容易に判断できる悪意を、イジメを、

あなたはずっと、自分に対してやってる。

ひどいよね。客観視してごらんよ。

あなたは、あなたという、ひとりの人間を、

今までどれだけイジメて、罵倒してきたんだろう。

条件をつけて、さ。

まずは、自分に謝れ。

どれだけ、自分というひとりの人間を、

イジメ、罵倒し、傷つけてきたか。 

そこを、真摯な気持ちで冷静に振り返って、反省しろ。

あなたは、ひどいイジメを、ひとりの人間に、してきたのだ。

自分に、真剣に、謝れ。

まずはそこから始めてみてもいいと思うよ。