カテゴリー別アーカイブ: 人との関係

憎い人

自分にとって 憎いと思える人が いた場合

それは

相手に求めているのに 得られないものがあるか

過去に相手の一方的な都合により ひどい仕打ちを受け 二度と会いたくないくらい キライになったか

あるいはその両方か である

求めているものが 相手からの 愛ならば

相手がそれを注いでくれない限り あなたはつらい 苦しい思いをする

でもそれは本当は 憎しみではなく あなたの 要求である

あなたの 愛してほしいという 願いである

だから本当に あなたがその人を愛しているのであれば

「私がこんなに愛している“のに”」ではなく それを素直な「愛している」に変えよう

人を愛している自分でよかった 相手が幸せでいてくれるなら 自分がそこにいてもいなくてもいい

要求をするのではなく 相手を中心にするのではなく

愛することがうれしい自分のほうに 中心を切り替えよう

淋しいのは 仕方ないこと 相手にも 相手の心があるのだから

極端な例で説明すると 私が経験したように

どんなに好きだからといっても 姿も表さずにゴミを拾われたら 相手のことを愛せない

そんなふうに 相手の都合だけで愛を注がれても 応えることはできないのだ

つまり あなたがどんなに愛を注いでも 相手が応えられないことだって あるのだ

だからこそ いつも自分に中心を置く 自分の気持ちのなかにある 幸せのほうを みつめよう

やってみればわかる そうしたら とても平穏で 温かい気持ちに 自分がなれるから

相手と会いたくないほどの 憎さの場合は 「ご縁」を切る

そんなひどい人と いつまでも暗い気持ちの縁を つないでおくことはないし

仕返しをすれば そのひどい人と同じくらい ひどい人に あなたが なってしまう

そんなところへ わざわざ その相手のために 落ちる必要はない

憎さは 自分を 疲れさせるだけだから

もう 縁を 切ろう 自分のために 縁を切ろう

そしてあなたは 相手に関係なく 幸せになろう

どちらも 容易ではないことを 十分 承知しているけれど

何が自分を苦しめているのか それを 知ってもらうために あえて書いてみた

どうか あなたの幸せは あなたが作り出せることを 少しでも 理解していただけますように

あなたが あなたらしく 幸せになれますように

心から 願う

誰かの力を 借りること

鬱になると 人に会うのがおっくうになる

激しくなると 電話さえ 出るのがイヤになったり メールも返せなかったり

年賀状なんて 何を書いたらいいのかわからなくて 作らなかったりした

だって 愛想笑いするのが つらいんだもの

普通に会話するのも 自分にとっては 嘘っぽくて 疲れて

でも その病になると 自分でできることは限られる 能率も落ちる 元気もなくなる

考え方も ものすごく 偏って 自分がダメなところしか 見つめられない

悪夢のように 目が覚めたら消えてくれればいいんだけど

逆に 目が覚めると 怖い現実が待ってて つらい

だるい 苦しい きつい 身体が重い

薬の副作用で 頭が痛くなったり 発熱したり 吐き気がしたり めまいがしたり

それがイヤで薬をのまないと 今度は暗い気持ちになって またつらい

だから私は 現実を見たくなくて あのときずっと 眠っていたのかもしれない

病人 だからね 実際に

いろいろ悪いことしか 考えられない病気にかかってるんだもの

自分を追い詰める方向にしか 頭が働かない そういうことしか 発想できなくなる 病なのだ

だからこそ

肩の力を抜いて 身体の力を抜いて 自分を 休ませてほしい

しなければいけないことは 100% 完璧に 仕上げるのでなく

最小限 やることだけやって あとは手を抜いてほしい

そんなことがゆるされない状況でも そういう「つもり」で 自分を追い込まないで やってほしい

病人が 完璧に 仕上げること自体 そもそも 無理なのだから

自分が 今 病であることを きちんと認められるようになれば

病院で あるいはカウンセリングルームで あるいは信頼できる親しい人に

その病を 治すための手伝いを お願いできるようになる 自分の過去を 話す機会を作れる

だって 自分一人で今 何もかもできないことを 認められるから

今は 迷惑をかけるかもしれない 自分をさらけ出すのは 怖いし 恥ずかしいかもしれない

でも それは 今だから なのだし そういう人は あなたを 叱りもしない 罵倒もしない

苦しさを 過去のつらさを 言葉にして吐き出すこと 誰かに 聞いてもらうこと

そこから 自分を苦しめてきた これまでの考え方や受け止め方を みつけていくこと

その考えや受け止め方を 変えるきっかけを 一緒に探してもらうこと

それは 頭がミスを犯し 思考が偏っている今 とても大切な 必要な助けなのだ

誰かに頼ってはいけない なんて ありえない

人は 協力していくように できている そういう 生きものとして 誕生している

自分一人で 何もかもできるようになるなんて ありえない

そう自慢している人がいたら それはまさに「おごり」でしかない

絶対に その人以外の誰かが 協力しているのだ 陰で日向で

誰かに助けてもらったら 絶対に 恩を返さなくてはいけない

それは今 できないから 助けは借りられない

そんなふうにも 思えるかもしれない

その発想自体は 誤りではないけれど その「恩」は 別の人に返してもいいのだ

親から 子へ その子はさらに 自分の子へ

先輩から受けたら 後輩へ 見知らぬ人から受けたら いつかまた 見知らぬ人へ

そうやって 恩を つないでいけばいいのだ

自分のやったことが いつか誰かの役に立つ それは やった人にとってもうれしいことだ

それもまた とても大切な 恩返しなのだ

勇気を出して 人の助けを 誰かの力を 今は 今だから どうか 借りてほしい

心から そう願う

8割増しで、突き刺さる言葉

鬱、という病にかかっていると、ときに、他人からの言葉は「悪い」ように聞こえる。

病が深く、あるいは長くなるほど、相手はあなたを非難し、あるいは嘲笑し、あるいは情けないと、

そう思って発言しているに違いない、と、あなたが受け止めてしまうのである。

もしかして、相手は非難や情けなさ、ではなく、心配しているのかもしれない。

嘲笑ではなく、励ましたいゆえの笑顔なのかもしれない。

それなのに、あなたは怒られた、バカにされた、笑われた、と受け止めているかもしれないのだ。

そう、人の意見が、悪い部分のみ8割増しくらいの勢いで強調されて、あなたには、突き刺さるのだ。

そうして、自分はダメなヤツだと思われている、と結論づける。

いろいろな人との間でそういうことが起こり、あなたは人を信用できなくなる。

信頼関係は、そうしたきっかけから、どんどん崩れていく。

やがて、私は孤立している、こんなに苦しいのに誰も助けてくれない、

それはやっぱり、私がダメな人間だからだ、だから嫌われるんだ、

と、無限の下降ループに落ち込んでいく。

普通に考えた場合でも。

誰かと話すとき、相手が何を言っても自分の言葉を疑い、

不安そうにおびえた表情をし、あまり楽しくなさそうに返事をしてきたら、

その人と楽しく、仲良く話すことは難しくなるだろう。

自分を疑う人と、仲良くしたいだろうか?

信頼して、心を打ち明けられるだろうか?

本当は、相手に自分を信頼してほしいなら、自分も相手を信頼できなくては、

少なくとも、そういう雰囲気をお互いに持たなくては、近づけないのである。

相手が一方的に心を開いて、近づいてくれたら、私も安心して心を開ける。

そんな受け身で、ある意味、横柄なことは、普通は発生しないのだ。

なぜなら相手にも、心があるから。あなただけのことを考え、

自分の気持ちを犠牲にする、というのでは、信頼ではなく服従に近い。

そんな関係は、あなたも求めていないだろう。

でも、あなたは怖いから、自分から心を開けない。

こうなると堂々めぐりで、あなたは人と仲良くすることも、何かズレが生じたときに、

その場ですぐ、真摯に向き合って、相手の誤解を解くことも難しくなる。そして、人が信用できなくなっていく。

なぜ、そんな事態になるか。

あなたが、今、自分を嫌っているからである。その病のせいで、自分をも、疑うのだ。

自分のことが許せないから、自分を信頼もできない。

そして自分を信頼できない主な理由は、「人はこうあるべき」という条件づけをしていて、

今の自分は、その理想の条件に「当てはまっていないから」である。

例えば「なにくそ!」と思って、自分を叱咤激励して、頑張ってみることもできる。

その結果、ちょっとは理想の条件に近づくこともできたりして、

自分を認めてあげられるチャンスも、もしかして訪れるかもしれない。

でも、鬱のときはたいていの場合、自分の思い通りに頭や身体が働かないから、

結局、自分を嫌いになる要素を増やしてしまうのである。

つまり、その暗い無限ループは、鬱という病のなかにとどまっている限り、

発生し続けてしまうのだ。

でも、鬱を治していくには、自分だけの努力では難しいことがある。

もちろん、自分自身がしっかり治そうと決意することは、この病気では絶対と言えるほど大切だ。

でも、1人だけで何とか、こっそり治そうとしても、たぶん、限界がある。

なぜなら、考え方、受け止め方を変える練習が必要だからだ。

先に書いたように、自分で自分に条件づけをしていることに気づかなくてはいけないし、

それも、どんな場面でどんなふうに考えることが「条件」になってしまうのか、

さらには、「なぜそんなふうに受け止め、考えるようになったか」まで、

自分の思考パターンを掘り下げていかねばならないのだ。

それは、今まで気づかなかった点に気づくという練習だから、自分1人で本などを読んでも、限界が生じる。

また、自分の受け止め方の視野が狭くなっているから、余計に気づきにくい。

ではいったい、どうすればいいのか。

まず、自分がそういう「病」であることを、認識する。

そして最初はその「病」を治すことに、意識を集中していくのだ。

自傷行為があるなど、鬱としての病が重くなっている場合は、医療やカウンセリングなどをきちんと

受ける必要があるだろう。ただし、薬は依存もあり得るので、薬だけに頼らない治療や

納得できる治療方針を掲げているところを、ネットなどで探したほうがいいだろう。

そして、周囲の人、医師やカウンセラー、家族などに、本当の気持ちを打ち明け、丁寧に説明すること。

家族はときによって、最初はとくに、「鬱であること」自体を、嫌がるかもしれない。

「ちゃんとした人」でいてほしいがあまりに、認めたくない、という気持ちが働くからだ。

でも、身近な人たちの協力を得ないと、あなたもまた、自分を休ませることができなくなる。

ここだけは、本当に丁寧に、勇気を持って、対応してほしい。

ぶち切れてもなんの役にも立たない。あなたも家族も苦しくなるだけだから。

本心を伝えるのは、とても苦しいと思う。でも、泣きながらでもいいから、ちゃんと話してほしい。

あなたは、今のままの状態でいたくないはずだ。

だから、そこだけはどうか勇気と根気を持って欲しい。苦しさを、伝えてほしい。

そうして、協力してもらえる環境を作りつつ、病を治していこう。

その病は「気づき」を得ていけば、治っていく確率がぐんと上がる。

そのための方法を、病院の医師や、カウンセリングの先生と、相談しよう。

相性的に合わない人もいるから、その場合は他の病院を選んでもいい。

そうやって、あとは、あなたが心を許せる人を、作っていく。

あなたのなかから、人を信じてみよう、という気持ちが自然に表れるまで、治療を中心にして過ごし、

表れてきたら、少しずつでも、人と接していこう。

誰かに、なんとかしてもらうわけではない。

家族や薬が、なんとかしてくれるわけではない。

あなたが、あなた自身をもっと別の見方で見られるようになり、

あなたの人生を、自分で組み立てていくために、自分で新しく変わっていくのだ。

他者から、気づきのサポートは受けても、あなたが、自分を好きになる、そして他人を好きになる、

自らそういうふうに変わっていくんだ、という気持ちを持つことが、この病では一番、大切。

自分を根底から否定することは、本当は、まったく、必要ないのだから。

そして人の言葉を「悪意8割増し」で受け止めるようなことも、もう、やめていっていいのだ。

怖いけれど、どうか少しずつでもいいから。

勇気を、だそう。