鬱になると 人に会うのがおっくうになる
激しくなると 電話さえ 出るのがイヤになったり メールも返せなかったり
年賀状なんて 何を書いたらいいのかわからなくて 作らなかったりした
だって 愛想笑いするのが つらいんだもの
普通に会話するのも 自分にとっては 嘘っぽくて 疲れて
でも その病になると 自分でできることは限られる 能率も落ちる 元気もなくなる
考え方も ものすごく 偏って 自分がダメなところしか 見つめられない
悪夢のように 目が覚めたら消えてくれればいいんだけど
逆に 目が覚めると 怖い現実が待ってて つらい
だるい 苦しい きつい 身体が重い
薬の副作用で 頭が痛くなったり 発熱したり 吐き気がしたり めまいがしたり
それがイヤで薬をのまないと 今度は暗い気持ちになって またつらい
だから私は 現実を見たくなくて あのときずっと 眠っていたのかもしれない
病人 だからね 実際に
いろいろ悪いことしか 考えられない病気にかかってるんだもの
自分を追い詰める方向にしか 頭が働かない そういうことしか 発想できなくなる 病なのだ
だからこそ
肩の力を抜いて 身体の力を抜いて 自分を 休ませてほしい
しなければいけないことは 100% 完璧に 仕上げるのでなく
最小限 やることだけやって あとは手を抜いてほしい
そんなことがゆるされない状況でも そういう「つもり」で 自分を追い込まないで やってほしい
病人が 完璧に 仕上げること自体 そもそも 無理なのだから
自分が 今 病であることを きちんと認められるようになれば
病院で あるいはカウンセリングルームで あるいは信頼できる親しい人に
その病を 治すための手伝いを お願いできるようになる 自分の過去を 話す機会を作れる
だって 自分一人で今 何もかもできないことを 認められるから
今は 迷惑をかけるかもしれない 自分をさらけ出すのは 怖いし 恥ずかしいかもしれない
でも それは 今だから なのだし そういう人は あなたを 叱りもしない 罵倒もしない
苦しさを 過去のつらさを 言葉にして吐き出すこと 誰かに 聞いてもらうこと
そこから 自分を苦しめてきた これまでの考え方や受け止め方を みつけていくこと
その考えや受け止め方を 変えるきっかけを 一緒に探してもらうこと
それは 頭がミスを犯し 思考が偏っている今 とても大切な 必要な助けなのだ
誰かに頼ってはいけない なんて ありえない
人は 協力していくように できている そういう 生きものとして 誕生している
自分一人で 何もかもできるようになるなんて ありえない
そう自慢している人がいたら それはまさに「おごり」でしかない
絶対に その人以外の誰かが 協力しているのだ 陰で日向で
誰かに助けてもらったら 絶対に 恩を返さなくてはいけない
それは今 できないから 助けは借りられない
そんなふうにも 思えるかもしれない
その発想自体は 誤りではないけれど その「恩」は 別の人に返してもいいのだ
親から 子へ その子はさらに 自分の子へ
先輩から受けたら 後輩へ 見知らぬ人から受けたら いつかまた 見知らぬ人へ
そうやって 恩を つないでいけばいいのだ
自分のやったことが いつか誰かの役に立つ それは やった人にとってもうれしいことだ
それもまた とても大切な 恩返しなのだ
勇気を出して 人の助けを 誰かの力を 今は 今だから どうか 借りてほしい
心から そう願う