月別アーカイブ: 2012年8月

怒りや悲しみ、悔しさの記憶

人は、身体の調子が悪いと、気分がすぐれなくなる。

だるい、つらいと感じるのを、ワクワクして楽しむ人はいない。

そして、私たちは忘れてしまいがちだが、

人の記憶は、身体に反応を起こす。

実験してみよう。

梅干しや、櫛形に切ったレモンを思い浮かべてほしい。

そして、それを自分が口に入れて、噛むところを、想像する。

するとその瞬間、あなたは酸っぱさを思い出すだろう。

同時に、口の中には本当に、瞬時に唾液が増えるているはずである。

医学的にも、気持ちが穏やかで落ち着いて幸せなときは、

身体の免疫力も上がることが確かめられている。

先ほどの話に戻ろう。

身体の調子は、あなたの感情に左右される。

ということは、常につらい気持ちを抱えていると、身体の調子もおかしくなり、

それによってさらに、気分が落ち込むことになる。

記憶は、気分に密接に関係しているのだ。

レモンや梅干しを実際に口に入れなくても唾液が出るように、

身体を媒介にしてあなたは、自分のつらさを、自分の記憶によって

増減させているのだ。

ということはつまり。

過去につらいことがあり、それをリピートさせて思い浮かべるたび、

あなたの身体はストレスを感じ、身体のバランスも狂わせ、

わざわざさらに、気分を落ち込ませていることになる。

怒りや悲しみが、あなたを苦しませるのは、

感情だけの話ではない。身体をも苦しませ、

それゆえさらに気分は悪くなり、苦しみは増幅、持続してしまう。

では、その記憶をわざわざ引っ張り出し、

苦いアメ玉をなめるかのように、苦しみを選択しているのは、

いったい誰の意志、だろう? 

それは、あなたである。

例えば身近な、大切な誰かが亡くなったとき、

その悲しみを癒やす過程において人は、ある程度同じ思考をたどるという。

何度となくそれを思い出し、自分の責任不足や

相手の身勝手さ(置いていかれた、という意味で、ね)などにも

思いをはせながら、徐々に悲しみを手放し、癒やしていくのだ。

この心の動きは、心理学的に、グリーフワークと呼ばれている。

その人がいなくなった、という現実を受け入れ、

新しい環境になじんでいくための過程。

思い出しながら、徐々にその悲しみを手放し、

事実と現状を受け入れていくのだ。

同じように、怒りや苦しみも、やがては小さくさせ、

風化させることができる。

結局は、そこにとどまってはいられないということを、受け入れていくのである。

だが、誰かを恨んだり、憎しみを感じたり、

手に入らなかったものを後悔したり。

そういう負の感情は、なかなか、風化させられない場合もある。

なぜ風化させられないか。

自分以外のものに左右された、と、より強く思うからではないか、と

私には感じられる。怒りに、近いのでは、と。

悔しいから、癒やさずに生々しいまま、

自分のアメ玉にしてしまうのかもしれないのだ。

しかし。

生々しいままそれを記憶にとどめるのも、

それを「わざわざ取り出して」なめるのも、

あなたが選択している。

そんなことない、勝手に思い浮かんでしまうのだ、という反論も

あるかもしれないが、記憶は、間違いなく、風化させられる。

だって忘れていること、たくさんあるよね?

子どものときからのあらゆる記憶を、すべて鮮明に思い出せる人は、

そうそう、いないと思う。

いらないものは、忘れてるんだよ、実際に。

忘れられない、と決めているのも、

忘れたくない、と粘っているのも、

すべて、あなた自身なのだ。

だからあなたがそうしようと決めれば、

そのつらさを、手放し始めることはできる。

記憶の領域にあることなら、なおさら、それを選択できるのだ。

心理学の本を読むのもよし、変えるための実用書を読むのもよし。

人に話したり、専門家に頼ることもできる。

単純に思い出した瞬間、あ、やめよう、と、とりあえず

ストップをかけるのでもいい。

意志の力でアメ玉にしたものは、

意識的にまた、風化もしていけるのだ。

もう一度、言う。

わざわざ、つらい気持ちを思い出し、それにひたって、

身体に負荷をかけ、暗い気分をループさせているのはあなた自身。

もちろん、鬱という病で、頭の作動自体が調子を崩している人は、

そういう思考回路に陥りやすい。

そこへさらに、先々の不安も思い浮かべたりして、ね。

でも、病気のときに、どんなに元気にふるまおうとしても無理なように、

暗いことを思い浮かべつつ、明るく元気になることはできない。

先のことを考えても、さらにストレスで身体のバランスを崩してしまうだけだ。

過去も未来も、脳や身体の作動が狂っているときは、

考えても意味がないのである。

だって治ったら、そのときはきっと、違う思考をするだろうから。

そして、過去の苦しみを振り返るのをやめる、ということは、

今の現実を、受け入れる、ということでもある。

今の現実を受け入れるためには、

あなたが、今の自分を、受け入れなくてはいけない。

恨んだり、苦しんだりしている自分を、

ああ、そういう自分が今、いるんだな、と、

ただ、理由もなく、ゆるしてあげていいのだ。

たぶん、そこが一番最初の意志の働かせどころ、

やめると決められるポイントであるとさえ、私には思える。

どんな過去を経てきたとしても、この先はそれを繰り返さないよう、

注意していくことはできる。

あのひどい人は、あなたの記憶のなかにいるのだ。

万が一この先もそばにいるとしても、そんなことを言われないよう離れるか、

気にしないでいいんだ、この人は、自分の苦しみを投げつけているだけで、

それはこの人自身の問題で、

この人しか解決できないのだ、と、割り切っていい。

病も、今とは違う意識で、受け入れることはできる。

そこに実際

追伸~自分が嫌い、な人へ

バーカ

バーカ

おまえって本当に馬鹿だよ

気が利かない

○○できない

人を傷つけた

人から傷つけられたことだけ覚えてる

どうしようもないよな

おまえ、最低だよな

人間のクズだよ、クズ

……このような言葉を

他人から投げかけ続けられたら苦しい。

実際に、それをやられ続け

身体に支障が出てしまった方を

とてもつらい、悲しい話だが、

残念ながら私は知っている……。
 

その悪意が、どれほど人を傷つけるか

誰かから、言われたことを想像して、

感じてみてほしい。

でもね。

あなたは

あなた自身に対して

これを、やっているのだ、

今、まさに。

毎日? 何年? 十何年? 何十年?

否定して、非難して、

自分をわざわざ、傷つけて。

○○できたら、まだ、いいのに。

常に、達成条件をつけて。

これができたら、そのごほうびに、

ちょっとは自分を好きになってあげられるのに。

○○ができたら、愛してあげる。

まるでそんな、スパルタな親のようだよね。

他人から言われたら、傷つくと容易に判断できる悪意を、イジメを、

あなたはずっと、自分に対してやってる。

ひどいよね。客観視してごらんよ。

あなたは、あなたという、ひとりの人間を、

今までどれだけイジメて、罵倒してきたんだろう。

条件をつけて、さ。

まずは、自分に謝れ。

どれだけ、自分というひとりの人間を、

イジメ、罵倒し、傷つけてきたか。 

そこを、真摯な気持ちで冷静に振り返って、反省しろ。

あなたは、ひどいイジメを、ひとりの人間に、してきたのだ。

自分に、真剣に、謝れ。

まずはそこから始めてみてもいいと思うよ。

あなたが自分を嫌っていたら

すみません、ちょっと、話を聞いてもらえませんか。

実はね、私は、自分が嫌いです。

でもあなたに、興味・関心があります。

私は、自分のことを愛せないので、

代わりにあなたが、私のことを好きになってください。

友達として。

彼氏、彼女として。

……あなたが自分を嫌いで、

周りに心を許せる友も、恋人も家族もいないとき、

それを寂しいと思うとき。

あなたはもしかして、こういったことを、

夢見てはいないだろうか。

自分は、自分を嫌いだと、決めている。

そこは絶対、変えようとはしない。

変えないと決めているのは、あなた自身である。

それは単に、そう「決めつけている」だけなのだが、

それを決定し、思い込んでいるのが

他ならぬ自分自身であることには、気がつかない。

そして誰か、助けてほしいのに、と思う。

もう一度、最初のほうを、読んでほしい。

そんなふうに、まったく見知らぬ誰かから言われたら、

あなたは喜んで、相手の言うことに従うだろうか?

その相手がたまたま強烈に、友達として、恋人として、

自分の好みの人だ、と思えたら、もしかして、あり得るかもしれない。

でも、可もなく不可もない、とくに自分が惹かれる人でもない、

そしてまったく見ず知らずの相手だったら?

あなたは、喜んで、相手の言いなりになるだろうか? 

普通は、恐怖心が先にくるよね。

だって、あなたは、相手のこと、何も知らないのだから。

相手に、興味や関心を持ってもらいたいなら、

まずはそのための接触、をしなくてはいけない。

話しかけ、自分はこういう人だ、と開示する、努力。

それがないのに、誰か! と求めても、

あなたが世界の中心で、世界を思い通りに動かせる王様でもない限り、

無理な話である。

ごめんね、はっきり言う。

夢、見てるんだよ。素敵な理想論。

自分を嫌いな人が、ただ、代わりを求めても

誰も「はい、そうですか」とは従ってくれない。

誰も、あなたの代わりに私があなたを愛するから、

もう一生、安心ですよ、とは、

言ってくれないのだ。

さすがにそこまで、世界はあなたのものではない。

いかに理想論を見ているか、夢の世界を見ているか、

そろそろ、気づいてね。

深い人間関係をつくるためには、深くするための努力を、

あなたもまた、しなくてはならないのだ。

私からは何もしません、できません、というままでは、

あなたは最初に書いたような人になってしまう。

そして、自分を開示するために、まずあなたは、

自分のことをある程度までは、許して、好きにならなくてはいけない。

そうじゃなきゃ、怖くて開示できないよね。

こんな自分、って、思ってるんだもの。

あなたは、かけがえのない、ひとりの人、としての存在である。

でも残念ながら、世界を自分中心に、

思い通りに動かすことまでは、できないのだ。

去っていった恋人、離れていった友達。

みんな、自分の考え通りには、動かない。

だって、その人達もまた、かけがえのない、ひとりの人、だから。

その人達もまた、自分で感じ、考えていいのだから。

あなたが自分を嫌うこと自体をやめない限り、

あなたは他人に心を開けないかもしれない。

あのね、やめていいんだよ、その思い込み。

周りから、あなたはこういうところがいいね、って、

一生に一度も言われたことない、という人も、まれだと思う。

あなたは、自分を好きになってあげていい。

そのための、努力をまず、していいのだ。

こんなダメなところがあるけど、

ま、でも、自分って、なんかまあ、結局はかわいいヤツじゃない。

そんなふうに思えるよう、まずは、探してみてね。

自分のために、探してあげてね。

お願いだから、世界の中心になりたいかのような、

そんな夢だけを、他人と比較して、追い続けないでね。

人は一人ひとり、かけがえのない、自分の意志を持っていていい、

大切な人間。もちろん相手だけでなく、あなたも。

ということを……現実として、事実として、理解してね。