怒りや悲しみ、悔しさの記憶

人は、身体の調子が悪いと、気分がすぐれなくなる。

だるい、つらいと感じるのを、ワクワクして楽しむ人はいない。

そして、私たちは忘れてしまいがちだが、

人の記憶は、身体に反応を起こす。

実験してみよう。

梅干しや、櫛形に切ったレモンを思い浮かべてほしい。

そして、それを自分が口に入れて、噛むところを、想像する。

するとその瞬間、あなたは酸っぱさを思い出すだろう。

同時に、口の中には本当に、瞬時に唾液が増えるているはずである。

医学的にも、気持ちが穏やかで落ち着いて幸せなときは、

身体の免疫力も上がることが確かめられている。

先ほどの話に戻ろう。

身体の調子は、あなたの感情に左右される。

ということは、常につらい気持ちを抱えていると、身体の調子もおかしくなり、

それによってさらに、気分が落ち込むことになる。

記憶は、気分に密接に関係しているのだ。

レモンや梅干しを実際に口に入れなくても唾液が出るように、

身体を媒介にしてあなたは、自分のつらさを、自分の記憶によって

増減させているのだ。

ということはつまり。

過去につらいことがあり、それをリピートさせて思い浮かべるたび、

あなたの身体はストレスを感じ、身体のバランスも狂わせ、

わざわざさらに、気分を落ち込ませていることになる。

怒りや悲しみが、あなたを苦しませるのは、

感情だけの話ではない。身体をも苦しませ、

それゆえさらに気分は悪くなり、苦しみは増幅、持続してしまう。

では、その記憶をわざわざ引っ張り出し、

苦いアメ玉をなめるかのように、苦しみを選択しているのは、

いったい誰の意志、だろう? 

それは、あなたである。

例えば身近な、大切な誰かが亡くなったとき、

その悲しみを癒やす過程において人は、ある程度同じ思考をたどるという。

何度となくそれを思い出し、自分の責任不足や

相手の身勝手さ(置いていかれた、という意味で、ね)などにも

思いをはせながら、徐々に悲しみを手放し、癒やしていくのだ。

この心の動きは、心理学的に、グリーフワークと呼ばれている。

その人がいなくなった、という現実を受け入れ、

新しい環境になじんでいくための過程。

思い出しながら、徐々にその悲しみを手放し、

事実と現状を受け入れていくのだ。

同じように、怒りや苦しみも、やがては小さくさせ、

風化させることができる。

結局は、そこにとどまってはいられないということを、受け入れていくのである。

だが、誰かを恨んだり、憎しみを感じたり、

手に入らなかったものを後悔したり。

そういう負の感情は、なかなか、風化させられない場合もある。

なぜ風化させられないか。

自分以外のものに左右された、と、より強く思うからではないか、と

私には感じられる。怒りに、近いのでは、と。

悔しいから、癒やさずに生々しいまま、

自分のアメ玉にしてしまうのかもしれないのだ。

しかし。

生々しいままそれを記憶にとどめるのも、

それを「わざわざ取り出して」なめるのも、

あなたが選択している。

そんなことない、勝手に思い浮かんでしまうのだ、という反論も

あるかもしれないが、記憶は、間違いなく、風化させられる。

だって忘れていること、たくさんあるよね?

子どものときからのあらゆる記憶を、すべて鮮明に思い出せる人は、

そうそう、いないと思う。

いらないものは、忘れてるんだよ、実際に。

忘れられない、と決めているのも、

忘れたくない、と粘っているのも、

すべて、あなた自身なのだ。

だからあなたがそうしようと決めれば、

そのつらさを、手放し始めることはできる。

記憶の領域にあることなら、なおさら、それを選択できるのだ。

心理学の本を読むのもよし、変えるための実用書を読むのもよし。

人に話したり、専門家に頼ることもできる。

単純に思い出した瞬間、あ、やめよう、と、とりあえず

ストップをかけるのでもいい。

意志の力でアメ玉にしたものは、

意識的にまた、風化もしていけるのだ。

もう一度、言う。

わざわざ、つらい気持ちを思い出し、それにひたって、

身体に負荷をかけ、暗い気分をループさせているのはあなた自身。

もちろん、鬱という病で、頭の作動自体が調子を崩している人は、

そういう思考回路に陥りやすい。

そこへさらに、先々の不安も思い浮かべたりして、ね。

でも、病気のときに、どんなに元気にふるまおうとしても無理なように、

暗いことを思い浮かべつつ、明るく元気になることはできない。

先のことを考えても、さらにストレスで身体のバランスを崩してしまうだけだ。

過去も未来も、脳や身体の作動が狂っているときは、

考えても意味がないのである。

だって治ったら、そのときはきっと、違う思考をするだろうから。

そして、過去の苦しみを振り返るのをやめる、ということは、

今の現実を、受け入れる、ということでもある。

今の現実を受け入れるためには、

あなたが、今の自分を、受け入れなくてはいけない。

恨んだり、苦しんだりしている自分を、

ああ、そういう自分が今、いるんだな、と、

ただ、理由もなく、ゆるしてあげていいのだ。

たぶん、そこが一番最初の意志の働かせどころ、

やめると決められるポイントであるとさえ、私には思える。

どんな過去を経てきたとしても、この先はそれを繰り返さないよう、

注意していくことはできる。

あのひどい人は、あなたの記憶のなかにいるのだ。

万が一この先もそばにいるとしても、そんなことを言われないよう離れるか、

気にしないでいいんだ、この人は、自分の苦しみを投げつけているだけで、

それはこの人自身の問題で、

この人しか解決できないのだ、と、割り切っていい。

病も、今とは違う意識で、受け入れることはできる。

そこに実際

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