鬱々とした気分のときに限って……という前提で、この話を進めたいのだが、
誰かとの関係で、どうしたらわかってもらえるのだろう、と、悩むときがある。
いろいろ言葉を尽くしても、言葉尻を捉えられて誤解されてしまったり、
取りつくしまもなく拒否されてしまったり。
とくに、こちらは落ち着いて説明しようとしているのに、相手が怒りを見せて拒否されると
それだけでもう、がっかりする。
自分が悪いと思いあたる点があるなら、素直に真摯にそのことを謝り、
相手の怒りが静まるのを待つこともできるが、
相手の真意を測ろうとしたり、こちらの意図を説明しようとする場合は、
聞いてくれないというだけでもう、疲れ果ててしまうこともあるだろう。
こじれている、とか、相手が意地になっているような状態である。
そうでなくても今、自分は心が苦しい状態にある、という人は、
そうして説明するときにも自分の苦しさが表れてしまわないか、ビクビクしたりもするだろう。
痛んでいる自分に、引け目や負い目を感じていたら、そんな態度もありえる。
そしてその態度を見て、相手は余計にイライラする、なんてことも起こりうるのだ。
で、うまく言葉が通じないと、何をやってもダメ、と自分をさらに卑下したくなったり、
必要以上に相手に失望を感じてしまうことにもなる。
すごく冷静に、客観的にその場面を考えてみた場合。
もしかして、あなたも相手も、どちらもまともに話せる状態ではないということは、あり得ないだろうか。
怒り、怖れ、おびえ、自分かわいさ、などに、それぞれお互いが支配されてしまっていて、
相手の思惑や立場などを「正しく把握できる」状態じゃないってことは、ないだろうか。
普通、冷静に話していても、人と自分の考えた方が違ったり、価値観が違ったりすることはある。
理解できない、納得できないことは「普通に」あるのだ。
それをさらに、そうした感情でこじらせてしまったら、すんなり和解し合うことはかなり難しいだろう。
そんなときにひとつ、言えること。
あなたがその人と本当に和解したいのであれば、「ときを待つ」ことが必要だろうと思う。
あなたは、痛んでいる。相手は、意固地になっている。
そんなときに「相手に届く」言葉をみつける、その言葉を「届くタイミングで」伝える、というのはかなり難しい。
相手の意固地だけならまだ、機嫌のよいときに話せるが、その際、自分が自然体で接することができないと、
その態度によって伝わるものも伝わらない、なんてことも起こりうるのだ。
鬱々とした気持ちなんて、たとえば病にまで達していたら、すぐに治るはずはない、と思うかもしれない。
それも、その通りである。つまりは順番が間違っているということなのだ。
自分が自分のことを嫌いなのに、人に好かれるために和解を求める? あるいは、ご機嫌をとる?
それはどうして? たとえば家族なら、暮らしていくためとか、お金のため?
あるいは、ひとりぼっちが単純にこわい、とか?
お金のためなら、最低限「相手を極力、刺激しない」ようにすればいい。即座に和解まで求めなくてもいいだろう。
ひとりぼっち、というのは、本当は見方を変えればそうではない。
そもそも結婚していたって、あなたと相手は、別の人間である。違いは、必ずある。
友達だって、すでにそのような状態になっている場合は、無理をすると「媚び」と受け取られてしまう。
はっきり、書いてみる。気持ちが痛んでいるからこそ、だけど。
もしかして「相手に認めてもらうことで自分の価値を見つけようとしている」部分は、ないだろうか?
……キツイところを、突いてしまっているかもしれない。
でも、もし「他者によって、自分がいる価値を自分に認める」ことを、多少なりとも求めているのであれば。
そんなことはもう、本当にまったく、しなくていいんだよ、と言いたいのである。
あなたは、自分自身でもっと、自分のことを好きになってあげていいのだ。
こんな私のことを、どうやって好きになれというのだ、と思うかもしれない。
何をやっても今はうまくいかないし、暗いし、立ち直り方もわからないし。
だって、それが「鬱」という病気の、症状なんだもの。
風邪をひいたときに、くしゃみや鼻水が出たり、発熱したり、咳が続くのと同様、
自分を卑下することも、先の見通しがすべて暗い結果に終わることも、病気ゆえの症状である。
自分は今、こんな状態だけれど、そうなっているのは病気ゆえであって、
そんな病気にかかる、弱い自分もいたんだ……と、認めてあげればいいのだ。
弱い自分は、自分のなかに存在する。同様に、本当は強い自分も、自分のなかに存在している。
今は、強いほうは隠れてしまっていて、自分にはみえなくなっているけれど。
少なくとも、自分を卑下したり、ビクビクしたりすることがなくなれば、
あなたは「相手のこと」だけを、きちんと見ることができる。
そうして初めて「どうしてこの人はこんなふうに話を捉えるのだろう」
「何が、この人のなかでこういう“拒否”の態度を取らせるのだろう」というふうに、
相手のことを、冷静に客観視できるのである。
関係がこじれてしまっている相手とは、そうした距離感を保ちながら、話していく必要がある。
和解の糸口を見つけるためには、「自分はいつでも、どんなときでもその自分でよい」というような、
ある種の安心感、自信のようなものが必要なのだ。
……そのように考えたら、今は、和解のために、と無理をしなくていいことも、わかってもらえるだろうか。
何より先に、あなたが、弱い部分をもったあなた自身を許してあげることが、
一番、大切なのである。
そして、弱い自分を認めることは、これから先の自分が「人生で最も強くなる」ための
第一歩であるということも、心のどこかに留め置いてもらえたら、と思う。
弱いことは、強い。この一見、逆説的なことを、頭でなく感覚でわかるようになれば、
人との関係もまた変わっていくし、今のように無理をしなくても、変えていけるのだ。