さて。
昨日書いたように、自分の視野が今は偏っているという前提のもとで、
できればひとつ、作業をしてみてほしい。
これは変わっていくための、あるいはその暗闇から抜け出すための
第一歩だと思っていただければうれしい。
ただし、鬱という病のまっただ中にある人は、
自分の脳がまともに作動していないので、
そのことも十分、承知しておいてもらえたら、と思う。
やることは筆記、だ。
ノートやルーズリーフに、自分のどんなところが嫌いかを、箇条書きしてみる。
PCを使ってもいいが、手書きのほうが、本音の言葉を思い浮かべられるように感じる。
誤字も脱字もレイアウトも、気にならないから。
思いつく限りの全部を、書かなくていい。
2~3個あれば十分だし、順位も、順番もいらない。
書いたら、そのうちからひとつを選んで、今日のテーマとする。
どんなときにその部分を「嫌い」と感じたかを、
思い出して、また下に書いてみるのだ。
何度も感じたことがあるなら、どんどん、過去にさかのぼっていっていい。
書きやすいテーマを選んで、思い出も、長々と書く必要はない。
自分さえわかればいいのだから。
恥ずかしい気持ち、隠していた感情も、書いてみよう。
このときに気をつけてほしいのは、それは単なる過去の羅列であって、
今のあなたを責めるためのものではない、ということ。
それでも書いているうちに、あまりに心苦しくなるようなら、
他のテーマに変えてもいい。
書きながら泣いても別にかまわないのだ。
ざっと書き終えたら、いったん、休憩する。
自分を落ち着かせ、視点を変えるための作業だから、
そこから、自分の気持ちを切り離してみてほしい。
一息入れたら、次に、目線を変えてみる。
その過去の出来事が起こったときに、
あなたは、本当はどうすれば、自分を嫌いにならずに済んだだろうか。
それを考えてみるのである。
ポイントはあくまで「自分を嫌いにならずに済む」である。
だから自分だけ得をする、とか、自分だけ我慢する、という方法も、
そこでは選べなくなるはずだ。
書いてみるとわかると思う。
解答は、こうしたらよかった、あるいは
結局、あのときは、そうするしかなかった、のどちらかしかない。
そして、改善点を見つけられたのであれば、
実はそのとき、すでに気づいていたのに選ばなかったのか、
今、気づいたとしても、もうそれで知ったのだから、
次からは、その改善点を「使える」のだ。
どの選択肢もベストではない場合は、どれが一番「マシ」だろうか。
実は一番マシなものか、二番めくらいのものをすでに選んではいなかっただろうか。
ある意味、あたり前なのだが、人は、何か行動するとき、一番よいと
そのときに思ったやり方を選んで行動しているのだ。
どうしようもなくて、それしかなかった、なんて場合は、その立場になったとき、
誰でもそうするってことだ。あなただけが、あなた自身をさげすみ、嫌いになる必要も本当はないのである。
この辺のことは、理屈で書いても実感できないかもしれない。
実際に、試してみてほしい。
さらに。
あなたが尊敬する人、大好きな人、親しい人、そんな人を1人、思い浮かべてみる。
もし、その人が、過去のあなたと同じ状況になったとしたら、
あなたは、その打ち明け話を聞いてどう感じるかを、考えてみる。
許せないだろうか。
あり得ないだろうか。
その人を、絶対、確実に嫌いになるだろうか。
仕方なかったよ、とは、思えないだろうか。
落ち込んでいるその人を、励ましてあげたくはならないだろうか。
もし、仕方ない話だとはどうしても思えないなら、
やはり、そのことにもう気づけたのだから、次から選ばなければいい。
仕方ないよ、と、なぐさめたくなるなるなら、
あなた自身に対しても実は同じ話だってことになるのだ。
なぜ、大好きな人なら許せるのに、自分自身は許せないのか。
どこまであなたは、自分に対し「完全無欠であること」を求めているのか。
あなたは、そんなに素晴らしい、立派な存在であらねばならないのか。
ならないとしたら、それはなぜか。
こうしたことを、どんどん書いていくのである。
解決、ではない。そういうところにたどり着ける脳ではないので、
たぶん、途中で堂々めぐりになるとは思う。
それを解決へと導くには、他の人や本などからのヒントや、別の出来事や、時間も
たぶん、必要になるだろう。
ただ、今は単純に、視点を変えるとはどういうことかを体験してほしい。
検査で原因を見つけるかのように、
自分が自分を嫌っている「元」の部分を、知ってみてほしいのである。
今日はやり方を書いたので、私が感じたことの掘り下げなどは、また明日以降に……。
ぜひ、「感じて」みてください。やってみて損はないと思うから。