泣き言も、涙も

つらいときに、「つらいんだな」と思うこと。

怒りがわいたときに、「怒りがあるな」と思うこと。

悲しいときに「悲しいんだな」と思うこと。

それ自体は、必要なことなので、吐き出してください。

ただし、その感情に巻き込まれてひたすら、たとえば「つらい・つらい・つらい」と繰り返すのではなく、

自分を遠くから静かに見守る人のように

「つらいんだな、私」と、思って、ただ、静かに認めてあげてください。

この「感覚」の違いは、自分を「追い込まないで済むかどうか」につながります。

私は実際、何度も、どちらもやっていました。

繰り返してどんどん自分のまわりに「つらい」「悲しい」という言葉を並べていくと(というふうに例えさせてくださいね)、

その量と重さに耐えきれなくなって、自分がもう、どうなってもいいや、って、投げやりな気分になっていきます。

もう一方の、「ああ、また私、つらいんだな」って、ボーッと眺めるかのような状態だと、

なんだろう、つらい気持ちをつらいまま、無理に追い立てられることもなく、それを味わえるのです。

激情にかられるかどうか、と言い換えてもいいのかもしれません。

もちろん、激情が湧いてきたときは、一瞬、それに身を任せて「もうイヤだっ!」って口に出していいのです。

でも、その際、出てくることも多いであろう涙は、しっかり、十分に、流してください。

泣いていければ、やがて、激情が収まっていきます。

収めていかなくちゃいけないのは激情、その大きな揺さぶりの「波」のほうであって、

悲しさそのもの、つらさそのものは、無理に抑えなくていいのです。

だから「ああ、悲しいなあ。悲しんでるな、今」「悲しもう、うん。悲しいんだから」というふうに、

静かに認めて、味わうことで、少し、気分が落ち着きます。

つらいんですもの。

苦しいんですもの。

悲しいんですもの。

そのこと自体は、排除するのでなく、自分の中にある「感情のひとつ」として、

今、そこにあることをゆるしてあげてくださいね。

私自身が、無理に感情を抑えようとしたり、

逆に激情に駆られてそのまま乗り上げていき、どちらにせよ、さらに苦しくなった経験から、

今日はそんなことを、お伝えしてみようと思いました。

あなたのなかの、あなたのいろいろな気持ちは、大切な大切な、あなたの一部です。

そのひとつか2つがあなたのすべてでもないし、

それがあるから「ダメ」でも、「悪いわけ」でもない。

私には、そう思えます。

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