自分であれ 他人であれ 責めることは 何もよいものは生み出さない
ひたすら 自分を苦しくさせるだけである
黒い気持ちを感じ続けることは 単純に 人を疲弊させるから
黒い気持ちの自分 そのこと自体で 自分をまた 嫌になるから
責めたい気持ちが 湧くのは仕方ない
その感情を「持たない」ようにするには 相当の鍛練が 人には必要で
たとえばあなただけが悪いから そんなふうに感じるわけではない
怒り 腹立たしさ 情けなさ
その感情は 人として普通に湧くものである
ただ 鬱々とした気分のときには
の感情にとらわれ 自分をど真ん中に置いてしまいがちになるため
その黒さをもろに感じて よけいにいたたまれなくなるのだ
だからなおのこと 苦しくなる
その「責める」感情は 何らかのことが今 または過去に起こって
自分を 相手を そのように「受け止めた」ときに湧く
過去のことであれば そのときの感情を ふたたび思い出すほど
あなたにとって つらい経験だったということだろう
でも ど真ん中にいたままでは あなたが 苦しいだけだ
相手が悪い 自分が悪い そうやって 感情の渦に巻き込まれ続けても
何も変わらないから
そのことで さらに 落ち込んでしまうから
ねえ じゃあ こういうふうにはできないだろうか
自分はなぜ そういう受け止め方をしてしまうのだろう
なぜ そう考えてしまうのだろう と 見つめてみるのである
なぜ を考えはじめると 過去の似たような経験に 思い当たるかもしれない
あるいはそのときの自分が もともと憂鬱な気分だったな とか
周囲に目を向けられる状況じゃなかったな とか
いろいろなことを「可能性として」 思うことになる
それが本当の原因かどうか まずは別にして
自分の状態を 考えてみるのだ
他人に対する責めの感情でも その相手が どういう状況かを 考えてみると
相手が つらい状態だったり 実は自分の不満を 人に転嫁していたり
もしかして 何かが怖いから 人を攻撃していたのかもしれない
自分ではどうしようもない感情を他人にぶつけることは
幼い と思えるだろうけれど
悲しいかな その人は そのときそれしかできなかったのである
それを選択したのは 相手の何らかの事情による
もしかして幼少のころ 他人に痛い目に遭わされ続け
その人もまたそういう「受け止め方」しかできなかくなっているのかもしれない
別に同情しろと 言っているわけではない
そういうわからないものに対して あなただけが正しい と叫べるとは限らない ということだ
あなたにはあなたの背景があるように 相手には相手の背景があるのだから
そしてまた あなたの常識は 世の中でのひとつの選択肢であり
あなたもそのときたまたま それ以外の選択をしなかったのだ
では さらに 自分にはどんな選択肢があったか なぜそれを選んだのか
相手の問題にまで踏み込む必要はない 相手の問題は相手のことだから仕方ない
今は あなたの選択について考えてみたときに
それを選んだ理由から ひとつの価値観や 判断基準や 自分の受け止め方 世の中の見方がわかってくる
そうやって 自分というものを 冷静に捉えられれば
相手や自分を責めるだけの感情からも 少し 離れることができるのだ
どうしようもない 自分の「クセ」のようなものに気づいて
またそこで新たに 落ち込むかもしれないけれど
それをまた「なぜ」そうなのか と考えてみることで
自分が自分をどう捉えているかも 見えてくる
責める というのは 必ずどこかに「非がある」と感じているわけだから
それを「なぜ」と見つめてみたとき
最終的には 自分を発見することにつなげられる
掘り下げていけばいくほど だんだんと 仕方ない と思えることも 多いし
変えられる部分だって 見つかるかもしれないのだ
自分が何を 責める材料 つまり「非」と捉えているのか
そこには自分の どんな経験や受け止め方 考え方が隠れているのか
責める気持ちが生まれたときを幸いと思い
ぜひ一度 見つめ直してみてほしい