私もあなたも大切、な姿勢 ~前編~

今日の話は、複数の読者さんとやり取りしたり

ブログを拝見していて感じたこと。

恋愛であろうと、友情であろうと、家族間であろうと、

悩んだり、困ったりするときに、意志の疎通の「仕方」が

結構な割合で何か、おかしくなっているのかな、と。

もちろん、これは私にも当てはまることゆえに、

自戒を込めて、書くことになるのだけれど。

何かを一緒にしたいとか、どう考えているか知りたいとか、

お近づきになりたいとか、お互いの距離感を縮める希望を持ったとき。

なぜか、相手の都合、相手の考え、気持ちだけを優先しようとしたり、

逆に、自分の都合を押し付けてみたり。

それで「今回は勝ったわ」などと、何というのか、 

相手との駆け引きの部分に、注目してしまうことがある。

それってやはり、長い目でみればキツイよな、と。

その場限り、その場さえしのげればとか、

そのとき自分が優位に立てればとか、

そんな感情がお互い、見え隠れしてしまうと、

信頼関係とか、深い愛情(親愛も含む)を、

構築しづらくなるだけに思えるのだ。

例を挙げると、あの人と仲良くなりたい、近づきたいと思ったときに、

自分の希望や気持ち、感情を抑え、相手に気に入られることのみを望むとする。 

で、相手がどうすれば心地よいかだけを探し、実践していくと、やがて相手側も

「この人は自分のことより、私を優先してくれるんだ」と、

近くはなったけれど、それが「当たり前」の関係ができてしまう。

最初のうちは相手も、ありがたい、うれしい、と思ったとしても、

それが標準になれば、人は、やがて慣れてしまう。

そして近寄っていく側も元々は、自分の感情を抑えていたわけだから、

慣れてくれば少しずつ、自分がどう感じるかも伝えたくなるだろう。

しかし、そこですでに「片方が気持ちを抑える」関係が標準になっていれば、

相手は「どうして今ごろになって、自分のことばっかり言うのさ」

と、受け取りかねない。

それは、相手側がワガママというだけでなく、言ってしまえば

近づく側も、相手をヘンなふうに甘やかしてしまった、という話でもあるのだ。

で、仲良くなってから、ちゃんとお互いを尊重しようなどと思うと、

ケンカしたり、ズレを矯正するのに、時間がかかったりする。

そりゃそうだ。最初は、近づく側も、無理してるのに

「やってあげられるのうれしい♪」

などと思っているわけだから、やがて、

その無理が続かなくなることを、想像していない。

受け取る側も「あ、やってくれる相手か」と感謝や遠慮があったのが、

慣れてしまえば「いつもやってくれてるのに!」となる。

そうなってから修正するのは、普通に考えて、面倒だし困難だ。

また一方で。

初めから、自分がとりあえず今、楽しくなることのみに目的を置く人もいる。

私はこういう気分を味わいたい、そのために自分が優位に立てる他者を必要とする、

じゃあとりあえず、弟や妹ならいいか、子どもなら、結婚相手ならいいか、

あるいは逆に、身近な人でなければややこしくならないからいいか、と

考えてしまう人も、残念ながらいる。

これはハナから「もし、自分が相手の立場で、

同じように扱われたらどう感じるか」を想像できていない。

怒りや悲しみを、相手が受け取ることを、自分じゃないからいい、と

割り切ってしまえば、ある意味、怖いものナシである。

なぜそんな非情なことができるかというと、それって実はその人からの

とても遠回しなSOS、Help me! だったりするのだけれど……ね。

今は、その話は申し訳ないが割愛したい。

で、それゆえに、最初に自分の気持ちを抑えてしまうタイプの人が

割り切りタイプの人と出会い、近づこうとすると、

ものすごい主従関係になってしまったりする。

片方はワガママ前提、もう片方は、アナタを理解できるのは私だけね、とか。

やがてワガママな人も、それが通じる相手はその人しかいないから、

その人に対してのみ、存分にワガママを発揮する。

……たぶんそれが、身近な相手との関係に深く適用されると、

心理学で言われる「共依存」にもつながっていくのだろうと思う。

~中編へつづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

code