ま、そんな極端な例はともかく。
話を戻すと、自分の満足のために他人を利用するタイプの人も、
一見、メリットがありそうだけれど、
実は、どんなにたくさんの人と知り合っても、
本当の信頼関係を築きにくくなる。
「自分勝手さ」に慣れていく過程で、過去に知り合っていた人との間にも亀裂が入りやすい。
結果として、たとえばやがて「へりくだる相手」と「上位に立てる相手」を
区別するようになって、損得勘定でしか、人付き合いができなくなっていったりする。
で、残念ながら他者は、人のそういう計算をたいてい、きちんと「怪しい」と感じ取れるので、
やはり、よい人間関係からは、遠のいていってしまうのである。
「自分がこうしてほしい」という希望だけが、何かと強すぎることを、
いつか、自覚できればいいのだけれど。
とはいえ、そういうゆがみは、誰にでも起こり得る。
私だって、常に両方を揺らいでいるのだと思う。
自分と他者との関係は、1人ひとり、
誰が相手かによって、変わるだろうから。
でもね。
なるべくうまくいく捉え方は、あるような気がしてきたのだ。
それは「私も大切、あなたも大切」という、
両方を大事にするやり方。
まず最初に「自分がやられてイヤなことは、他人にしない」という
一番の(!)前提条件があって、
そのうえで、自分も相手も尊重する方法だ。
その場面、場面によって、どっちでもよいこと、
正解がいくつも存在することって結構、あるように思う。
だから、お互い、折り合えるところ、妥協できるところ、
その着地点を、探ればいいんだな、と。
いちいち面倒だと思われるかもしれないが、
最初にきちんと、その着地点を一度見つけられれば、
それは次から、暗黙の了解にもなっていく。
確認し合わなくてもよくなっていくのだ。
わかりやすい例を挙げれば、新婚さんが、タオルの使い方ひとつで
習慣が違っていて、最初にケンカするような、そんな感じ。
それを、気持ちの部分にも、当てはめていいのではないか。
そのときには「あなたがどうこう」と相手側のことを
指摘するのではなく、これもまた心理学用語で言うところの
「アイ・コンタクト」を用いればいいのかな、と。
「アイ・コンタクト」の“アイ”とは、「私は」の“I” である。
しかもなるべく、何をしたい、何が悪い、などでなく、
それを「どう感じるか」まで踏み込んで伝える。
たとえば、この日に一緒に何かをしたい、
それにはこんな理由がある、
さらには、それがその日にできないと
私は「困る」のか、単に「寂しい」のか。
そこまで伝えるのだ。
困るレベルなら、相手も都合を合わせてくれるかもしれない。
あるいは、他にやり方がないかも検討できる。
寂しいだけなら、代わりにメールで報告したり、
別の日に埋め合わせしたりできるかもしれない。
なぜそうなのか、という気持ち、感情まで伝えることで
相手にも無理のない選択肢を、検討できる余地が生まれる。
自分も、たとえば「あ、単なるワガママを言ってるな」と気づいたりして、
今回は甘えたいな、今回はまあ、我慢しようかな、と
落ち着いて判断できる余地が生まれるのだ。
~後編へつづく