想像する力

とある方から 生きていく辛さを

どこまで想像しうるか という

ご質問をいただいた

先日 ここでの私の友の一人も

「自分の傷の深さは その人自身にしかわからない」

「その代わり 相手の気持ちをはかることはできる その想像力がある」

と語ってくれていた

今日の1本目の記事とリンクすることでもあり

そうした想像力について

自分を例に挙げ 語ってみたいと思う

私の場合で言えば

頑張らなくてはいけない思い込みに捕らわれ

頑張っていく目標 達成地点も

自分から延々とハードルを上げ続け

身体の不調のサインも無視して 鬱にはまった

このときの気持ちはブログを始めたときにも詳しく書いたけれど

死ぬのが怖いと心の奥底で感じつつ

役立たずは「死ぬしかない」ことは、自分の中で“決定”していて

そこからまったく抜け出せないまま休職期間の期限だけが終わりかけ

何も決められないまま 死の期限は近づいてきているようにも感じて

ただ毎日 おびえていた

その状態のなか 親しい友人が事故で急死した

頭が真っ白になって 通夜の席に駆けつけたら

祭壇に大きい 彼女の笑顔があって

いきなり大切な人が死ぬことのあまりの辛さと悲しさ その現実に

鬱の頭は耐えきれず 翌日 葬儀にも出られなかった

ここでもし 私がすぐ 自ら死んだら

通夜で泣き崩れていた他の友人たちが

私と同じように鬱にさえなるかもしれない

これほどダメな私が さらに周りに そんな迷惑をかける資格はないと感じ

休職明けで復帰するしかなかった

幸い会社は時短を長く認めてくれる体制であったため

まずは半年 様子をみようとしてくれた

でも私は 回復できるとはやはり思えず

細々生きる可能性と 死を両天秤にかけながら 息をひそめていた

その まさに半年後だった

会社の仕事で 皆と深く関わっていた人が

私と同じころ鬱になっていたのだが

そのころに再悪化 今度は入院となってしまい

病院で自死を選ばれた

結果として 仕事を再開していたことも 自死の原因のひとつとなった

その人は たくさんの人と関わっていたため

会社中の人間がパニックに陥ったように大混乱し

仕事は3日くらい皆 ストップしたようになり

上司は対応に追われ 私たちは後輩を慰めることしかできなかった

しかも復帰後 私は その人とたまたまお昼ご飯を食べたことがあり

そのとき「死の選択肢」が間近に現れたことを

お互いの驚きとして話し合ってもいた

そう 私は彼の希死念慮も知りながら

何も手助けできないまま 終わってしまったのだ

その人への 申し訳なさ いたらなさ 罪悪感 悲しみ いなくなった辛さ

さらには社内にいる他の人の悲しみ 死への恐怖心

自死すると こんなことが起こる と

ある意味 目の前で 実例を見せられたようにも感じた

それでまた 自分の死からは いったん遠ざかるしかなかった

死にたい 死ななくちゃいけない 生きているだけで邪魔なのにと 感じる私が

なぜ 次々と こんな経験をするのか

訳がわからず ただこれでもう 1~2年は生きなければいけないのか

どうしよう と 思っていた

そして 1年半後 私はやはり復活し切れず 早めの再休職を取らされていた

そのなか さらに会社の仕事に関わっていた別の人が

先に自死した彼への責任感などから 鬱を患い

それが悪化して 死の連鎖を自ら引き起こされたのだ

このときの会社もまた 大変なこととなり

私はさらに 自死が他者の死も呼ぶ実例を見せられ

とうとう 死ぬこと自体は 心配してくれる人たちのために

完全に 完璧に 選べなくなってしまった

生きるしかなくなったのだ

この3回 約2年ほどの間の 他者の死を

鬱の脳みそで受け止め 感じ それでも自分の死は そのときどきで

ますます許されなくなっていく

その気持ちをわかってほしいとか そういう話ではない

たとえば 脳みそが暗いほうに振り切れて

反転させる以外 許されなかった感じ と

当時の自分が日記に残している

自分に勇気がないだけでなく 止められもして

死ねない自分を 本気で あざ笑っていた時期もある

そう確かに 人の苦しさなんて 他者にはたぶん はかりきれないのだ

どんなに不幸自慢し合ったところで 本当に正確な不幸度なんて

比べることは 誰にもできない

でも その代わりに人は 他者の痛みを知ろうとする想像力がある

これもまた 確かなこと 痛みは分かち合っていけるのだ

実際 私も 3人目の死が訪れたとき

それまで私を支えてくれていた人と

決定的とも言える分かち合いが起こり

結果としては とうとう 死をあきらめる決意ができた とも言える

その人のために今はまず 生きようと思え それをまた お互いに

受け止め合えた 

電流のように短いセリフと 目線合わせだけで

その瞬間 想像力がどちらにも働き合い 

それが通じ合ったことをお互いが 瞬時に理解した

あれは今でも泣きそうになる 鳥肌が立つ 真摯な瞬間だった

もちろん連鎖自死という 異常事態だったからこそ 

そういう体験が起こったことは理解している

だが もはや 生かされている と思ったのだ

ただ それだけだった

今 生きてこれを読まれている方もまた

読むことになったからこそ 何か どこか 生かされているのでは と思える

不幸のほうではなく 生かされ 今なおあることの 不思議さ ありがたさに

目を向け 気づく機会が訪れますことを 心から祈ります

その意味に いつか たどり着きたい

私も まるまるは理解できなくても

そのひとかけら分くらいには たどり着いてみたい

死ねないからこそ 今はそう思えている

感謝 m(_ _)m

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